第10話



 アウサーからもらったチケットにより申請はつつがなく終了した。ただとっくの昔に受付時間を過ぎていたことにより、カノンはアウサーの代わりにこっぴどく怒られ、大した確認もなくさっさとしなさいと試合場に背中を押される。


 大丈夫だろうか、これで問題ないだろうか、途中で止められたりしないだろうかとドキドキしていたのだが、それも杞憂に終わったと言う訳だ。


「わかっていると思いますが、初めは上級色音使い同士でのトーナメントとなります。優勝した人間のみ、カラーシンガーとの直接の対決を許されますが、アウサーさんはシード権がありますので、決勝からの参加となります」


 口早に説明された言葉に、カノンはうんうんと頷く。決勝から、ということは、アウサーは本人が言うように、中々名の通った色音使いなのだろう。


 カノンが通された控室には幾人かの人間が部屋の隅の椅子に座り、じっと自分たちの出番を待っている。おそらく彼らは上級の色音使い達だ。ちなみに女も男も全員ムキムキだった。カノンは自分に注がれた彼らの目線がずきずきと自身の体に突き刺さるのを感じた。彼らに比べてしまえば悲しいほどな貧弱ボディがちょっぴり恥ずかしくなってしまう。目は口ほどにものを言うとは、一体だれが言い始めたのだろうか? 彼らの瞳が爛々と言葉を放ってみる。


(え? 誰だよあれ。貧弱な)(さあ? 知らないけど。え、誰? 貧弱だし)(どこのどなた様? 貧弱だなぁ)


 きまずい。ちなみに貧弱云々というところはカノンの被害妄想かもしれない。筋肉に押しつぶされたらどうしよう。


 カノンは部屋の隅で、そそくさとちっちゃくなった。そんなカノンの心情も知らす、「それじゃあ出番になればお呼びしますのでー」と案内人は消えてしまう。カノンも一緒に消えてしまいたい。ちょっと待って。


 いや、今の自分はアウサーと言う、ムキムキ筋肉ダルマの代わりなのだ。せめてもと、彼女は胸板をぐいっと前に寄せ、気持ち鳩胸になりつつ、ない胸を主張する。まさかこの中に偽物がまぎれ込んでいるとは思わないだろう。要は堂々としておけばいいのだ。


 カノンがふん、ふん、と鼻息荒く堂々としているもんだから、次第に興味も失せ始めたのか、周りの視線も薄れて行く。ほっと安心したのもつかの間、カチャリとドアが開き、まさかもう出番なのだろうかとカノンがドアへ顔を向けると、のそりと大きな巨体が顔を出した。ムキムキ男、イーバム。アウサーのお仲間、その1である。


 カノンはぽかんと口を大きく開けた後、そうだ当たり前だ、彼も上級だと言っていた……言っていたっけ? と首を傾げて、自身の顔を隠すようにこそこそと部屋の隅に体育座りで座り込み、ついでに顔を隠す。設定を言うのであれば、唐突に腹痛に襲われたので座りこんじゃった可哀そうな人Aである。


(今の自分はお腹が痛い感じなので、触らず気付かずそのまま時間よすぎてください……!)


 むにゃむにゃカノンは呪文を唱えた。祈りよ届け。

 彼はトイレ帰りらしく、両手をふらふらとさせて、濡れた手のひらをぱたぱたと振っている。


「ハンカチ……ハンカチ……」


 どうやらハンカチを忘れて行ってしまったらしい。自分の持ち場へ戻り、ごそごそ荷物をあさる。取り出したシンプルな赤いハンカチで手のひらをふき、そのまま席に座ってくれたらいいものの、彼は意外な几帳面さを発揮し、自分が濡れた手で触ってしまったドアノブをふきふきと拭き始めた。ピーピー上機嫌に口笛まで吹いている。


 こっち見んな。絶対こっち見んな。見ないでくださいお願いしまーす!

 カノンはどちらかと言えば細身の体をこれでもかと言ったぐらいに小さくさせる。できることならこのまま空気になって消えうせてしまいたい。自分の体を即座に空中に分解する術はないのだろうか。


 けれども悪事はばれてしまうというのがお約束。ピーピープー、とへたくそな口笛を吹いていたイーバムは、なんとなくふいっと部屋の隅を覗いた。そしたらなんだか妙な人間がいた。見るからに怪しげに顔を隠して、べったりと壁に体をつける勢いで体育座り。


 普通の人間ならば、そのまま見ない振りを決め込むべきシーンなのだが、残念なことに、彼は好奇心旺盛な奴だった。ピーピーップー。口笛ふきふき。一歩一歩、のそりと近づき、ふいっとカノンを、その大きな体で見下ろし――――「……何してんだ、お前?」


 何の偶然か。ちょっと前に彼の相棒が呟いた台詞とまったく同じ台詞をぽそりと呟いた。




 ***



 一応。念のため。だから何度も言うけど念のため。彼は黄緑色の髪の毛をふわふわとさせながら、心の中でちょっぴりの懺悔を繰り返す。俺の所為じゃなかったんだ。そう、自分の所為じゃない。だから不可抗力だったんだって。いやもうホント、マジで、まじでまじで。


「誰が悪いかと言うと、俺の隣で仏頂面してる隣の男が全てもの発端な訳で」

「カルロ、何をぶつくさ独り言を言ってるんだ」

「隣にいるナギという男と会話をするだなんて俺の脳味噌の神経が耐えられないから頑張って現実逃避をしてるんだよね。へへへ」

「うすうす気づいてたんだけど、君は僕のことが嫌いなのか?」

「お前と一緒にいるくらいならそこらのネズミと頬ずりする方がマシって感じ」


 赤髪の青年をジロッと睨みながらカルロはチッと舌打ちした。できることなら隣のいけすかないイケメンに回し蹴りと握り拳を食らわせてやりたいところなのだけど、残念ながらこの状況ではそうもいかない。なぜなら自分の両手は、ぐるっと後ろに回され、普通の人間には不可視の糸でぐるんぐるんに巻きつけられ、その上両足首も同じ状態で、ついでに言うのならば彼の腹部も椅子と一緒にぐるぐるにくくりつけられている。


 もしトイレに行きたくなったら、自分はどうすればいいのだろう……とふっと哀愁にまみれた表情をカルロはおとしたが、ナギはどこ吹く風のまま、「ほらカルロ、さっきから試合を全然見ていないだろう。たまには真面目に見てみたらどうだ? 上級とは言えど、中々骨のある人間もいるぞ」


 どこまでこの男は真面目なんだ。とカルロはギリギリ歯がみしそうになった。

 そんなに真面目さアピールのポイントをアップして、女にもてて嬉しいか。ほら、彼の後ろにいる付き人の女性が、ほわんとした表情でナギの端正な顔を見つめている。ムカツクゥー。それが天然っていうのがまたムカツクゥーン。


 チッチッと、カルロは舌打ちを繰り返した。っていうか、こんな筋肉の祭典みたいな祭りを見たところで、まったくもって楽しくない。何で上級色使いは、どういつもこいつもムキムキなんだよ、とため息をつきそうになる。


 魔力はいくら鍛えても向上することはない。それならばと肉体を鍛えるしかないという理屈は分かっているけれど、ちょっとやりすぎじゃない。うんやりすぎだよね、と現在試合場で大立ち回りをしている色音使い二名を彼は複雑な表情で見つめた。女性同士だというのに、極限に鍛え抜かれた体の所為で、胸までぺったんこだ。あそこって……脂肪だもんなぁ……と夢が崩れる十六歳の少年、カルロである。


 勝負がついたらしく、片方の女性が獣の雄たけびのような声をあげて、拳を天に突き刺した。そんな光景を見ながら、一体どうしてこんなことになったのか、とカルロは軽くため息をついた。


 カラーシンガーの特権を駆使して、適当に書類を作り、カノンを忍びこませる算段を作って置いて、さあ後は彼女に会うだけだ、と部屋を出ようとした瞬間、カルロは釣り上がった。

 文字通り、右足に紐をひっかけられて、頭を下に、両手を重力に従ってぶらりとおろして、一体これはどういう状況だとぽかんと瞬いた。そのカルロの目の前で、壁にもたれ掛かっていた体をゆったりと起こしながら、カルロにとっていけすかない男――――ナギが本をパタリと閉じててカルロに問いかけた。


『カルロ、どこに行くつもりだ?』

『その前においちょっと……頭に血が上りそうなんだけど。馬鹿になったらどうする』

『それ以上馬鹿にはならないさ。質問に答えたらおろしてやるよ』

『何って朝ごはんだよ。ここじゃ朝飯すらまともに食べさせてくれねーのかよ』


 ふん、とぶらぶら右足を上にしてつられたままの状況で、カルロはぶっと頬を膨らませる。ナギはいやらしく鼻で笑った。まあいやらしく、と言うのはカルロの一方的な視点であるので、そこいらの女性陣からすると『優美に』とか『麗しく』とかいう形容詞をあてはめるかもしれないけど。


『嘘だな。いつもの君なら朝食は今から一時間後に摂取するはず。それだというのに、こんなに早い時間に部屋から出る。常のパターンと検証するのなら、君は今からここから逃げ出すんじゃないか? と俺は懸念した訳だけど、間違ってるか?』


 ぐうの音もでない。腕を組み、ただ無言でぶらぶらつりさがっているカルロを、ナギはふっと厭味ったらしく(これもカルロの私的な見解であるけれど)微笑んで、『今日はマリーの晴れ舞台だ。今日くらいは大人しくした方がいいんじゃないか』と言った。




 そんなこんなでぐるぐる巻きの状態にされて、延々とナギの隣で試合を観戦している訳だが、まったくもってつまらない。なんだこの強制具合。冷淡で、氷のような男で、冷たい瞳でこっちを見てくるくせに、その実態は職務に忠実な炎の色音使いという、自分が大嫌いな男である。

 それにしても今朝のブービートラップは中々に見事だった。一体どこであんなもん覚えたんだ。大好きな本の中にでも書いてあったのだろうか。だとしたらこいつは一体どんな内容のものを読んでいるんだ、とカルロは長いため息をついた。


「ほら、カルロ。次の男の色音は紫だそうだ。ふうん、媒体は……ン、ブドウ? ブドウがならない時期はどうするんだ……?」


 となりで相変わらず本を片手に体を乗り出すナギは、いつもよりも饒舌だ。何故だろうか、とカルロは考え、そうか、今日の昇級試験を担当するカラーシンガーはマリーだったか、と彼と仲のいい黒髪のカラーシンガーを思い出す。ガラにもなく、本人でもないくせに緊張しているのだろうか。カルロはいつもならば会話もしたくないほどに毛嫌いしている相手だったが、こんなにぐるぐる巻きでは何をすることもできないし、試合もさして興味もなかったので、「恋人なのか?」と聞いていた。


 ナギは赤い瞳でカルロを見下ろし、何のことだか話からだない、と言った表情で首を傾げる。そんな反応をされたら、まるで自分がバカみたいじゃないか、と開き直ったように大声を出した。


「だから、恋人なのかって聞いてるんだよ。好きなのか? 随分マリーと仲がいいみたいだけど!」


 さして興味もないことなのに、何で自分はこんなに力強く叫んでしまったのか。なんだか空しくなってきた。

 ナギはと言うと、相変わらずよくわからない、何でそんなことを聞くんだ? と言いたげに眉をひそめた。


「俺とマリーが? 何故」

「何故って……仲がいいから?」

「普通じゃないか」


 特に照れる様子もない彼に、あっそう……とカルロはそっぽを向く。相変わらず、この男は何を考えているか分からない。こんな男に会いたいというカノンも変わり者だ。よくよく見てみれば可愛らしい顔をしているくせに、一瞬男かとみまがってしまうのは、凛としたたたずまいの所為だろう。まあ、体の凹凸が不必要に少ないと言うのも理由かもしれないけれど、それはさておき。


(……まあ、カノンには申し訳ないこと、したかな……?)


 ちくり、とほんの少しの良心が痛んだ。

 別に、初めから遊んでやろうと思っていただけなのだ。けれども約束をたがえてしまったということは事実なので、胸がうずく。今頃彼女は受付前で、ぼんやり指をくわえて盛り上げる民の声を空しく聞いているのだろうか。自分のことはどう思っているだろう。やっぱり、裏切られた、あいつは最低だと思っているだろうか。思っているよな、とため息をつく。


 なんだか辛い。目の前では豆粒のような男たちが色音を屈指し、お互いをたたきのめさんと勇ましく媒体を振るい合う。試合場の空気も熱気がこもったように白熱し、自分が賭けている色音使いの名を力の限り叫ぶ見物客までいるというのに、それとは反対にカルロの胸の内はどんどん冷え冷えとしていく。


「……カノン……」


 勝手に口元が動いていた。自分でもびっくりした。とても小さな、カルロ自身にしか聞けないような声だったのだが、「えっ」と隣に座りナギが大きく瞳を見開きカルロを見つめた。ついでに手の中の本が滑り落ち、本の角がぐさりと彼のつま先にめりこみ、彼は声にもならない悲鳴を上げたあと、取り繕うようにして本を拾い上げ、なんてこともないように再び試合を見つめている。


 ……なんかこんなこと、前にも会ったような。

 カルロは瞳を細めた。そういえばこいつ、カノンの幼馴染なんだっけ。


「……カノーン」


 ぽそっとカルロは呟いてみた。今度は本を落とすという失態はしなかったものの、ナギはピクリと体を震わせた。「カ・ノ・ン」 さっきよりも小さな反応で、瞼が微かに痙攣している。カルロを縛っている不可視の糸は、ナギが作り出したものだ。本人の動揺は、この糸に一番現れる。カルロがカノンの名前を出すたびに、糸はぎゅぎゅっとカルロをきつくしばった。苦しいけれども、面白い。いつもは飄々としている氷の男が、今まさに自分の言葉でうろたえている。


「カノォーン?」

「……なんなんだ、さっきから」


 とうとうナギは不機嫌そうな顔をしてカルロを睨んだ。「べっつにーぃ?」カルロは片方の眉をくいっと上げ、ついでに口元も一緒ににやつくことで自身に出来る最高に嫌味な顔を作って、「ただのまじないさ」とのたまってやった。




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