第8話
カノンはカルロの言葉に、そんな方法があったのか、と胸を高鳴らせた。それならば、確かに可能かもしれない。うんと頷き、自分の相棒である刀をぎゅっと抱きしめる。諦めるな、諦めてたまるか。ナギを連れ帰ってこいよ、と店のパンを土産に自分を快く送り出してくれた養父と、義弟を思い出した。彼らの期待に、自分は答えなければいけない。
カルロが出した提案とは、至極単純であり、簡単なものだった。けれどもある意味、とても難題なものでもあった。
『カラーシンガーをぶっとばして勝利する』
ただそれだけだ。
あんまりにもシンプルで暴力的だけれど、一番効率的で効果的。ちなみにこれは、衆人の前でなければ効果がない。きちんとした証人が必要だ。あとで言い逃れられてもたまらない。そして次に、カノンは色音をつかって勝たなければならない。ただ暴力のみ、不意打ちで勝利したとしても、まったく意味がない。ただし正面きっての肉弾戦なら話は別だ。
カラーシンガーはかつて、カノンが生まれる二十年ほど前の内乱では最強の切り札とされていた。色音の能力、そして自身の肉体的な強さを併せ持ち、弱者も強者も関係なく滅ぼす戦闘力を持ってこそカラーシンガーたりえる。この間の上級色音使いの二人が素晴らしい筋肉を有していたところも、ここに起因する。……ただし、大抵の場合、色音一つで勝負はついてしまうので、カラーシンガーの編成には魔力が最重要視されるという訳である。
そして最後に、色音を合法的に使える場であること。そうでなければ、カノンはただの犯罪者として、今度こそ言い逃れの出来ない状況で牢屋の中に後戻りしてしまうことになる。初めの二つはいいとして、問題は一番最後。こんなものを満たす場所と条件など、本当にあるのだろうか? ――――あるのだ。
カルロは懐に入れていた一枚の紙をカノンの前に差し出した。どうやらそれは街中で配っていたビラを購入したものらしい。カノンは懐が寂しく、購入を断念したものだ。
――――カラーシンガー昇格試験、今年こそ、上級からの昇格はなりえるか!?
そう大きく見出しが書かれていた。
その下には地図らしきものと、時間などが詳細に記入されている。黒い髪をした時計を持った女の子と黄色い鳥が可愛らしいイラストで描かれており、ポップな囲いの中には記者のコメントも書かれている。
『カラーシンガーVS上級色音使いの戦いが今年もやって来た。チケットは売り切れ続出大盛況のこの大会。はたしてカラーシンガーを破るものは現れるのか。毎年行われるこの大会であるが、未だかつてカラーシンガーをやぶり、上級から特級に昇級したものはいない。しかしながら、まじかでカラーシンガーの雄姿をその瞳に刻もうと、なけなしの金で入場する市民も多い。売上金はすべて国のものとなる訳だが、今年は更に立見席も設け、入場者の枠を増やす予定らしい。美貌のカラーシンガー、黒髪のマリーを一目見ようと、男性客の殺到する姿が、今から目に映るようだ――――』
こんなことってありえるのだろうか。
カノンはじっくりとその文字を瞳と頭の中に叩きこみ、顔を上げカルロを見つめた。カルロはふふんと得意げに鼻を鳴らす。カノンはさっとビラを床に置き、ベッドに座るカルロの元まで駆け出した。「わっ」と驚いたようにカルロはのけぞった。そこをぎゅっと彼の手のひらを掴む。カルロは目をぱちくりとさせ、あわあわと視線を動かす。けれどもカノンは気にせず、「カルロ! ありがとう!」
「え? え、え?」
「ありがとう、きみのおかげだ、希望が見えてきたよ!」
そう言って、もう一度ぎゅっと彼の手のひらを握った。カルロは黄緑色の瞳を右往左往させたあとに、カノンの瞳を見つめた。彼は少しだけ困ったように瞳を落とし、ぽっと頬を赤らめて、「どーいたしまして……」と、ぶっきらぼうに呟いた。
まあ、実はカノンは上級色音使いではない、という問題が残っている。この昇格試験と言う名の大会はあくまでカラーシンガーVS上級色音使いだ。上級の下の下のレベルであるカノンが参加できる訳がない。でもまあ、そこはカルロがなんとかしてくれるらしい。カノンは胸の中がありがたい気持ちでいっぱいだった。
何でカルロは自分にこんなによくしてくれるんだろう。初めは嫌な奴だなぁ、とちょっぴりそう感じたのだが、今ではそんな過去の自分さえ申し訳ない。カノンは何度もありがとう、と彼に握手を交わしていると、カルロはとうとう気まずくなったような顔をして、そそくさと宿から出て行った。
別に、一緒に泊って行けばいいのに。彼の宿代くらい、(そんなに懐が温かい訳じゃないけれど)自分が出す。けれどもカルロは、「いやいや、いやいや。男女が同じ屋根の下に泊るとはいけないんだぜ」と言い残し、去って行った。昨日、カノンのベッドを占拠した男の台詞とは到底思えない。
数日後、準備万端とばかりにカノンは拳を握った。
そして跳ね飛ばされた。
「……え、い、いた、ちょっと、い、いたたたたたー!!」
ふみ、ふみふみふみふみ。
まるで流れのごとく、彼らはカノンを踏みつぶす。みんなそろって手のひらサイズのチケットを持ち、入口に殺到する。受付の十数人の担当者は手慣れたもので、「はーい、カラーシンガー昇格試験の会場はこちらになりまーす。みなさま順番を守ってお並びくださーい、受付の前に、あらかじめお手持ちのチケットを準備しておいてくださーい」とプラカードを片手に男性職員が拡声器を使い呼びかけている。
ちなみに、彼が持っている拡声器は、けばけばしいオレンジ色であり、現在のぎゅうぎゅうに混雑した状況であろうとも、不自然なくらいにすっと声が聞こえてくる。おそらくあれも色音なのだろう。拡声器全体に、ぼんやりとオレンジ色のもやがまとわりついていることを、カノンの目はしっかと捉えた。
「邪魔よ、ちゃんと並んでなさい!」
「……あうっ」
「ふらふらすんな!」
「……ひうっ」
「すすまなーい! どいてぇー!」
「……ひんぎゃぁ!」
殺気立っている。
怖い。
人間いっぱい恐ろしい。
(所詮、私は田舎育ち……!)
ちくしょう、とバコバコ押されて足を踏まれて跳ね飛ばされて、カノンは半泣きのままに刀を抱きしめる。何故こうも都会の人間は、他人を避けて歩くと言うスキルに特化しているのだろう? 自分には一生得られることのない技術な気がする。これだけの人間の間を平然と縫って歩くだなんて、大量の襲い来る牛から逃れる方がまだマシだ。
やっとこさ建物の壁際へと移動し、はふう、とカノンはため息をついた。当日、入場時間の入り口にて待ち合わせ。そうカルロは言った。けれどもこの人ごみだ。彼を見つけられる自信などひと欠片すらも持ち合わせていない。入場用のチケットなどカノンが持っているはずもなく、彼に会うことができなければ、カノンは空しく指をくわえてカラーシンガー達のお祭り騒ぎを建物外にてしょんぼり待つことしかできない。想像するだけで悲しい。
(……もっと具体的に待ち合わせをしとけばよかった……!)
まさかこんなに人間がいるとは予想外だったのだ。普段は落ち込んだような空気を放つ街のくせに、お祭り騒ぎとなるとこうも変わるのか。娯楽というものは、すごいんだなぁ、とカノンは感心してしまった。
ちらりと目を配らせると、首にひもをひっかけ、箱を手に抱えている親父が、「一賭け百クルッセントから! もし挑戦者が勝てば大穴だよ! どうだいどうだい!」と声を張り上げている。なんとまあ、賭けごとまで商売として成立してしまっているらしい。こうも表でどうどうとしているところを見ると、公然の秘密、暗黙の了解というやつなのだろう。賭けるも何も、カラーシンガーに勝利した挑戦者、上級色使いは一人もいないとビラには書いてあった。けれども記念品感覚で買っていく人間も多く、中にはもしやと期待している人間もいるのだろう。
「チケットー、チケットー、あまってるよー、まだあるよー、いらんかえー」
こっちも同じような格好をして、背中側に【チケット屋】と書かれた看板を抱えた親父がぶらぶら歩いている。
(……ダフ屋までいるのか)
ううん、とカノンは首をひねった。自分のポッケにつっこんである財布の中身を即座に思い起こし、千クルッセントまでなら、と頷く。ちなみに百クルッセントでパン一個のお値段だ。こう言う場所にいる転売屋は『お高い』というのが常識なので、多めに見積もってみた。親父は叫んだ。
「チケット一枚、二クレジットからー」
ちなみに一クレジットは、万クルッセントと同じである。
世知辛い。というか、カノンがチケットを手に入れたところで、ただの入場者と同じ扱いになり、参加者の枠を得ることはできず意味はない。カノンの前を通り過ぎるダフ屋を恨めしい表情で見つめながら、ため息をついた。結局、カルロを待たなければならないのだ。彼がいなければ、何も始まらない。この計画にはカルロの存在が必要不可欠だった。
カノンは待った。待って、待って、待った。そしてカルロは。
来なかった。
入場時間も終了して人気もまばらになった試合場前で、カノンはぽつんと立ちつくした。呆然とした。そして、「まあ、人生ってこんなものかな」とうっそりと呟いた。お客さん、もう入場時間は終了しましたよ、とかけられる声を適当にかわしながら、カノンはぽてぽてと歩き始めた。まさか見逃したということもないだろう。都合がよすぎたのだ。たまたま会ったカラーシンガーが、カノンのためにカラーシンガーとなるべき場所を教えてくれて、ついでに色々手配も準備もしてくれて。そんなご都合展開ある訳がない。
どうやら自分は騙されていたらしい。くるくると彼の手のひらの上で踊り狂っていたのだ。怒りよりも、甘えていた自分が恥ずかしくなった。
カノンはすっと試合場を見上げた。大きく荘厳な、黒い天を突き刺す勢いで屹立しており、壁には流麗で美しい竜の意匠が彫られている。竜が綺麗だから、りゅうれい。はは、なんちゃって。慣れない冗談を考えて、カノンは頭をくしゃくしゃにする。そして、ナギに怒られる、といもしない人間のことを考えて、また空しくなった。くしゃくしゃになった髪の毛をてぐしで直す。鏡もないから、ちゃんと直っているか分からない。なくてよかった。多分おそらく、とても情けない顔をしているであろう自分の顔を確認しなくていいから。
(……ナギに会いたいって?)
そう、自分は考えた。会いたい。カラーシンガーになると言うのは、自分を奮い立たせる手段で、目的じゃない。そんなこと本当はどうでもいい。ナギに会えさえすればいい。だから、別に、この大会に参加できなくってもどうでもいい。どうでもいいけど。
「それはただの逃げだ」
呟いた声は、予想以上に大きくはっきりとしていて、自分でもびっくりするくらい迫力があった。丁度カノンの隣を通った男性が、ぎくりとカノンを振りかえった。
逃げだ。そう、逃げだ。ここを諦めても、別に方法がある。次の方法を探そう。次だ次、これも次。あれも次。……だったら本番は、いつやってくる?
自分は田舎の義父と義弟に、行ってきます、と手を振った。すぐに戻ってくるよ、と約束した。あきらめちゃだめだ。もしくは自分で出来る限りをやってから、ああやっぱり駄目だった、次にしよう、と考えるべきだ。こんな他人に頼り切るばかりの作戦を、作戦なんて銘打つことは軟弱すぎる。
カノンは一歩を踏み出した。チケットがない? いいだろう。参加権もない? いいだろう。
そんなの簡単だ。もぎとってやればいい。
カノンは入口の受付とは反対側の入り口へと急いで走った。試合場は大きな円で出来ている。その場を観察しながら息を切らせ腕を振りあげた。あれだけの人数を収容するのだ。驚くべき大きさだった。壁にほられた竜が、じぃっとカノンを見下ろしていたので、カノンは力の限り睨み返した。ひょっと竜が勢い押されたように、小さくなったように感じた。
やっとこさ回った入口は、表と違っていて小さい。けれどもやはり警備の兵が立っている。予想通りの展開に、カノンは舌打ちをしそうになって行儀が悪いととどまった。さきほど観察しながら回っていた壁のある場所を思い出し、カノンは再び駆けた。荒い息を誤魔化すように、鼻の穴からふーっと勢いよく吐き出す。けれども恥ずかしくなって、片手で顔を隠した。目的の場所についた。
カノンの位置から、丁度五メンテルほど上。そこにはぽつんと小さな窓がついている。運がいいことに、窓はあけっぴろげになっていた。あそこから侵入できないだろうか? とカノンは考えた。壁に背伸びをして両手をついてみる。明らかに足りない。当たり前だ。カノンが三人くらい並べば足りるかもしれない。しょうがない、とカノンは常に腹に巻いて忍びこませてあるロープを服の中からしゅるしゅると取り出し、腰のポーチに常備させてある小さなフックをひっかけ、手早く結んだ。
悪いことはするもんだなぁ、とカノンは苦笑した。小さなころ、見かけは良い子なくせに、中身は大層な悪ガキだったナギと一緒に色んなところに侵入したもんだ。明らかに犯罪であるので、大人となった今では封印してきたが、旅立ちの際、念のためと持っていた悪ガキグッズが、まさかこんなところで役に立とうとは。
(もし、こんなところを誰かに見られてしまったら大問題だ。気をつけないと)
カノンは念のためと周りを確認した。大抵の住人達はこの大会を見に行っているらしく、人っ子一人も見かけない。巡回の兵士もいない今がチャンスだった。カノンはぐるんぐるんとロープを振りまわし、窓に投げる。ロープを引っ張ってみると、何かにつっかかっているらしく、手の中に抵抗が残る。腕は落ちていないようだった。よし、とカノンは心の中で拳を握る。
とにかく潜入作戦開始である。ひっかかりが、自分一人の体重には耐えられますように、となるべく荷物をその場に置いて、けれども刀だけは置いていけず、背中の服の中に差し込み落ちないように固定をしてから、ロープをひっぱり、壁に足をかけた。よっこらしょ。いける。いけるいける。するするとのぼって行く。あと一歩――――というところで、カノンの足元から、野太い男の声が聞こえた。
「……なに、やってんだお前……」
何やら聞き覚えのある声だった。
カノンは思わず振り向いた。するとそこには、筋骨隆々なムキムキ男が、呆れたようにカノンを見上げていた。クルーセルの宿で、ここでなきゃご飯を食べないもん、とじたばた暴れて、カノンが牢屋に入れられるきっかけとなった男だった。
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