第7話


 ――――何で、こんなところにカノンが。




 懐かしい声を聞いた気がした。

 朝起きると、カルロはいなくなっていた。いつの間にか自分にかけられていた毛布をはぎとり、カノンは慌ただしく扉を開け、朝ごはんを作っているクルーエルに、カルロの行方を確認してみたが、彼女も知らないとのことだった。昨日のうちに、無理にでも叩き起こして確認しとけばよかった、と後悔してももう遅い。


 気落ちしながら扉を開け、シーツがぐちゃぐちゃのまま放置されているベッドを見る。これくらいちゃんと直していけ。その流れで、椅子の背にひっかかっている毛布を見た。彼が自分にかけてくれたのだろうか。


(……まあ、優しいところもあるじゃないですか)


 少しだけ苦笑した。

 さて、いつまでもぐだぐだとしていられない。朝ごはんを頂き、取りあえず荷物は宿に置いて、もう一度、色音使いの門の前に行こうと宿の扉を開けた。色音使いの門とは、昨日カノンが黄色い鷹に追い返された場所である。あの門の向こう側では、魔力があると判断された人間たちが、日々色音の技術を磨こうと切磋琢磨しているらしい……ということはクルーエルから聞いた。

 特級レベルであるカラーシンガー達もそこにいるかどうかはわからないが、入ってみる価値はある。再び追い返されたら、そのときはそのときだ。足を動かす。前に進む。それしかない。


 空はいつも通りの曇り空だった。いや、きっと黒のベールの向こう側では、ぎらぎらと太陽が輝いているに違いないけれど、いつでもどこでも空の上でふわふわと漂っている大きく黒い布のおかげで、はっきりとは分からない。


「さて、今回、上級からカラーシンガーに昇格するものは出るか!?」


 カノンが街を歩いていると、街中を走りながらビラを配る男がいた。カラーシンガー、という言葉に思わず反応してピタリと足を止めたが、上級なんて関係ないし、ビラを見ようにも、手持ちの金は無駄に出来ない。お金がないということは、首がないのと同じことだよね。と、と呟いて、ため息をついた。この頃自分はため息をつき過ぎだと思ったので、鼻の穴から吐き出した分を思いっきり吸い込んだ。


 色音使いの門の前を見てみると、昨日と同じく人だかりができている。色音使いの魔力検定は、一週間行われる。昨日が二日目だったから、今日で三日目。大人も子ども、我こそはと黄色い鷹を肩に乗せて、「魔力なぁあああああし!!!」と叫ばれてがっかりしながら帰って行く。色音使いになれば、ある程度の生活は保障されるので、魔力がないと分かりながらも、少しの希望を求めて毎年検定にくる人間もいるらしい。


 門から蛇のようにぐねぐねと列は蛇行している。ざっと見て約五十メンテル。またあの列に並ばなければならないかと思うとぞっとする。別に色音使いの検定ではないが、割り込みをするのは気がひけるし、そんなことが許される雰囲気ではない。「魔力なぁああああし!!」また一人がしょんぼりしながら帰って行った。その姿を見て、カノンはよしと歩きだす。


 役人に会って、自分が上級色音使いに勝利したという胸を伝える。もしそのことで、昨日の無罪がなくなってしまうと言うのならばしょうがない。そのときはそのときだ。ぐねぐねと曲がっている中で、【最後尾】と書かれたプレートがちらちらと見えた。カノンは色音の門の壁を沿うように、プレートに向かう。ちりんっ。壁の向こうから、どこかで聞いたような音が聞こえた。


 思わず壁に視線を向けると、にゅにゅにゅにゅ、と茶色い枝が常識外のスピードで育ち、カノンの頭上に立ち上る姿が見えた。その枝には一人の人間がくっついている。


「どやあ!」


 少年はていやと壁から人垣の中に体をつっこませた。周りの人間は空から降って来た少年を、驚いたように見つめたが、そんなの一瞬だ。すぐさま列に目を向けて、周りに抜かされないようにと必死に人の波を歩いていく――――カノン以外は。


 カノンは少年の首根っこを、ひっつかんだ。「ぐえっ。なにすん……」だ、と少年が文句を言おうと、黄緑色の瞳でカノンを見つめた。けれども言葉を飲みこんで、「やぁ」とひらひら手のひらを振る。カノンも手のひらを振った。


「昨日ぶりだね、カルロ」

「あ、あっはは、運命の出会いだね、カノン」

「何を言いますか」


 何が街中で色音を使ってはいけないだ。堂々と使っていたではないかこの男は。

 なんだか自分が捕まったことが理不尽なことのような気がしてきた。むっとしたまま少年の首根っこを掴んでいると、カルロはパタパタと腕を暴れさせ、「話は後、あとあと、あーと! 俺今急いでんの!」とおびえたように視線をきょろきょろさせる。


 そんなカルロの背中から、何やら一本の赤い糸が伸びている。「何これ?」不思議に思いながらもカルロから手を放し、きゅっと糸を握る。糸を触っているという感覚がない。


 カルロはカノンの拳からにゅっと伸びている赤い糸を見て、「うあっ!」と叫んだ。ちりん、と彼の懐から鈴の音が鳴る。カルロは手のひらを叩き、合わさった人差し指の間から、黄緑色の糸を取り出す。


「そのまま掴んでて!」


 カノンに声をかけると、カルロは伸びた黄緑糸を、器用に赤い糸にくくりつけ、両はじから引っ張る。音もなく赤い糸がぷつりと途切れ、黄緑の糸はカノンの指先へと沈んでいく。

 カノンはその光景を呆然と見つめていた。


「セーフ。また見つかるところだった」


 カルロは口元に軽い笑みを浮かべ、カノンの腕を掴んだ。


「こっちだ!」

「ちょっと、私は――――!」


 聞く耳なんて持ってもらえない。カノンは流れる人の列を未練がましげに振り返り、ため息をひとつついて、ぐいぐいとひっぱる男の子に任せるままに、足を走らせた。


 ***


(こいつ、目がいいんだ……)


 カルロはカノンの腕を握りしめながら、うんと頷いた。魔力が少ないかわりに、色を見る目と、耳がとてもいいに違いない。そうでなかったら、ナギがカルロにくっつけた追跡用の糸を見つけられる訳がない。あの糸はナギが色音で作った特別製だ。あいつの所為で、いつもカルロは逃亡に失敗する。


 カラーシンガーの役目なんてどうでもいい。あんな場所、くそくらえだ。ナギなんて大嫌いだ。自分より三つ年上というだけのくせして、いつの間にかカラーシンガーの元締めのような存在になっている。


(……あいつは……)


 悔しくないのだろうか。所詮自分たちは利用されているだけだ。頭のいいあいつが、気づかない訳がない。それとも、金が必要なのだろうか。カラーシンガーには、毎月莫大な給金が支払われる。カルロには分からない。


「ちょっと、カルロ、どこに行くの?」

「……え? ……ああ、あんた、カノンの宿に行くよ」


 昨夜ナギに捕まった場所だが、まさか二度同じ場所に行くとは思いつかないだろう。どうせ他の場所も思いつかないしちょうどいい。カルロはふと眉を寄せた。昨夜のことを思い出したのだ。


 ――――何で、こんなところに


 確かに、ナギは、あのいけすかない赤い瞳を細め、カノンを見つめ呟いた。けれどもそれは一瞬だった。彼はすぐさまカノンから視線を外し、カルロを強制的に肩に抱え、ついでにカルロがカノンからぶんどっていた毛布をカノンへと放り投げて、窓をカラリと開けたかと思うと、そのまま夜の街へと駆け抜けた。


 米俵のように持って、色音使いの宿舎に運ばれるのはこれが初めてではない。カルロが逃亡するたびに、ナギはカルロを拾い上げた。腹が圧迫されてぐちゃぐちゃとシェイクされるあの感じは、いつまでたっても慣れない。


 初めはカルロ以外にも逃亡を謀る人間はいたのだ。けれどもナギが全て連れ帰った。今でも諦めていないのはカルロくらいだ。


(こいつ、ナギの何なんだろう)


 カルロはちらりとカノンを振りかえった。考えている間に、昨夜の宿に着いてしまっていたらしい。確かクルーエルと名乗った女店主に頭を下げていた。彼女はカルロと同じく子供のカラーシンガー、ルッサムの母親だ。今頃ルッサムはいつものごとく、マリーのベッドに出張して、すやすやとお昼寝しているに違いない。


 カルロはほんの少し、ルッサムが羨ましくなった。クルーエルはルッサムを気にかけている。母親だから当たり前のことかもしれない。けれどもカルロには一生手に入ることのない感情だ。あんな小さな年下の少年が羨ましいだなんて、自分でも少しだけ情けない。


「さて、カルロ。きみは昨夜、いつの間にかいなくなってしまってたけど――」

「それについては謝るよ。迎えが来たもんでね。挨拶する暇がなかったんだ」


 これは本当だ。ふうん、とカノンはよくよく見ると可愛らしい顔の唇をとがらせて、憮然とした態度で椅子に座り、腕を組んでいる。カルロよりも一つ年上だと言っていた。一歳くらいの差なんでよくわからないので、敬語を使わずそのまま話すことにしている。というか、生まれてこのかた敬語なんて使ったことなんてないかもしれない。そういう性格で、血筋なんだろう。


 カノンは何か話したそうに、ちらちらと視線を泳がせた。カルロは取りあえずカノンの出方を待つことにした。自分の逃亡に加担してもらうにしても、いきなりと言う訳にはいかないだろう。とりあえずあちらの目的を確認してから上手く話を進めるべきだ。俺ってかしこい、天才じゃね。とカルロは脳内でにんまり笑う。


 案の定、カノンはカルロが待って幾ばくもしないうちに疑問を投げかけてきた。

「……その、カルロ、君ってカラーシンガーなんだよね?」

「そうだよ」


 カルロの黄緑色の髪を見ればすぐさま分かることなので、別に隠すこともなく、飄々と頷いた。するとカノンは、「やっぱり!」と言って顔をほころばせた。ずっと怒っているような顔ばっかりだったので、なんだかカルロはドキッとした。その後、と彼女の方が年上なのに、なんだこいつ可愛いぞ、と思った。きっとギャップだ。ギャップにビックリしたのだ。ぶんぶん、と思いっきり頭を振る。


「じゃあカルロ、ナギってカラーシンガー、知ってるかな? 赤髪で、赤の色音が得意なやつで、年は今年で十九なんだけど」


 椅子に座った体を腰から上げ、ベッドに座る自分をカノンはキラキラとした瞳で見つめた。その途端に、なんだかつまらない気持ちになった。ナギだって? 知ってるとも。いけすかなくて、カラーシンガーでは一番の実力者で、お高くとまってて、そのくせストイックでカッコイイと女にもてるらしくむかつく、ぶっちゃけ言うと、自分が大嫌いな男だとも。


「さー?」


 カノンの口から、そいつの名前が出てくることにもなんだか腹が立った。カノンは途端にしょぼくれたような顔をしたので、慌てて言葉を付け足した。言っておくが、別に彼女に意地悪したくてとぼけたんじゃなくって、「カラーシンガーの内部情報は国家機密だから。おいそれと口にする訳にはいかねーの」と、いう訳なのだ。まあなんだかと言いつつ、公然の秘密と言うように流れている情報もあるが、それはさておき、堂々と言うべきことではない。


 カノンはがっくりとうなだれながら、「そうか……そうか、そうだよね」と悲しげに何度も繰り返している。なんなんだ。カノンはナギの何なんだ。じろっとカルロはカノンを睨んだ。


「そのナギってやつは、カノンにとってなんな訳?」


 ナギってやつは、という言葉がわざとくさくて、なんだか自分自身空しくなった。


「幼馴染、かな。同じ村出身で、ナギは色音の才能があるから、色音使いとして、首都にスカウトされちゃったんだ」


 そのカノンの言葉を聞いて、ほっと安心した。なんだただの幼馴染かよ。その後不思議気に自分で胸をさする。今何でほっとした?

 カノンはそんなカルロの心情なんて知らず、言葉を続ける。


「いつまでたっても連絡がないからさ、心配になって」

「トラッパに来て、幼馴染に一目会いたいって?」

「うん。でもただじゃ会えないと思うし……それに、ナギとは小さなころに約束したんだ。お互いカラーシンガーになろうって。だからカラーシンガーになりたくって、魔力の審査を受けたんだけど……」

「初級レベルだったってこと。ふーん、けなげだね」


 けなげだね、の台詞は、どちらかと言うと厭味ったらしく呟いた。なんだ、カラーシンガーになりたいだなんて、カルロの目的とは正反対じゃないか。カルロのカラーシンガー逃亡を手伝ってもらうという目的は達成できそうにない。


 イライラする。


 そうだ、カノンにイライラする。ナギから長く連絡がないと言うことは、とっくの昔に自分が見捨てられているということが、なんで分からないのか。カルロには分かる。あいつは炎のような赤い髪の色をしているくせに、胸中は真っ青で氷のように冷たい男なのだ。それで言うにことかいてカラーシンガーになりたい? バカバカしい。魔力の低い人間が、カラーシンガーになれる訳がない。それどころか、カラーシンガーの目的にそぐわない。


 そんなことも知らずにのうのうとのんきな田舎娘め。ついでに言うとぺちゃパイめ。イライラした。そうだ。自分は彼女の馬鹿さ加減に腹が立つのだ。きっとそうに違いない。


 カルロはくりくりと自分の髪の毛を手で弄ぶ。腹が立つときも、暇なときも、カルロはいつの間にか髪の毛を弄っている。黄緑色で、この髪の色の所為で自分は両親に捨てられた。カラーシンガーという檻に捉えられた。その檻の中にわざわざ入り込みに来るとは、彼女はただのアホである。天下無敵のおバカ様だ。油性マジックでほっぺにぐるぐる描いたろか。


 痛い目にあってしまえばいいのに。何を信じてか、瞳をキラキラさせて希望を胸に生きている人間は嫌いだ。自分はそういう生き方を選ぶことはできなかった。


(……痛い目……?)


 ふとカルロは、ひらめいた。そうだ、痛い目にあってしまえばいいのだ。

 カルロから情報を聞くことができず、とほうにくれているカノンに、カルロは今まさに思いついた、と言うように「あっ、そうだ」とわざとらしく声をあげた。カノンはぴくりと顔をあげた。カルロは彼女に向かいにっこりと微笑みながら、「一つ思いついたんだけど」と人差し指を立てて提案する。自分自身、どちらかと言えば童顔だ。だからこんな風に笑ってしまえば、無邪気で可愛らしく、何の疑いもない人間に見えることを、彼は知っていた。


「魔力がなくても、カラーシンガーになる方法はあるよ」


 カノンはまさかと言う風に、目を見開いた。そしてじわじわとそんなうまい方法があるのだろうか? と疑惑の眼でカルロを見つめる。


 ある。確かに、ある。これが成功すれば、彼女は確かにカラーシンガーになるだろう。そうすれば、魔力の有無が人生のすべてだと勘違いしている他のカラーシンガー達に、ひと泡吹かせられるだろうし、失敗してしまえば、それはそれ。手ひどく傷つき、田舎に泣きながらひきこもる彼女の姿は面白そうだ。


「まあ、聞くだけはタダだから。ちょっとした提案だよ、ね?」


 まあ存分に、俺に遊ばれてくださいな。とカルロは心の中で舌を出した。


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