第6話



 嬉しいのか悲しいのか、空しいのか、よくわからない。事実すらもなかったことにされてしまったらしく、カノンはすでに暮れ始めている空を見上げた。空の上にかかった黒いベールの向こう側で、白い月がうっすらと見えている。この頃、またベールが濃くなった。いつか空が落ちてきてしまうのではないか、と民の間でひっそりとうわさされているらしいけれど、案外ホントのことかもな、と思う。


「もう、諦めようかな……」


 カノンは一瞬本気でそう考えてしまった自分を叱咤した。あの血のにじむような努力はどうなる。この、ナギに会いたい気持ちもどうなるんだ。


 カノンはとぼとぼと歩いた。魔力を切る。そうすれば、どんな色音使いにも勝てるようになる。そう気づいたのはいつのころだろうか。もともと、うっすらとそんなことを考えていたのだ。色に音が見えると同時に、カノンには螺旋が見える。その螺旋に沿って、刀を自分の魔力でコーティングして、ジャガイモの皮をむくようにくるくると線をなぞれば、あとはただの中身が残るだけだ。一番厄介な皮、つまり魔力は消えうせる。


 ナギが言うように、自分は人一倍器用な人間なのだ。おそらく他の人間には、理屈が分かっても実践することはできないだろう。魔力の解体。これがカノンの最大の武器であり、唯一の取り柄でもある。


 パチリと自分の頬を叩いて、とにかくクルーエルの宿に戻ろうと決めたときだ。「ええー! いないのー!」聞こえた声に、思わず振り返った。


 先ほどカノンが出た留置場の前で、役人に対してぶうぶうと文句を言っている人影が見える。フードをかぶっていて、はっきりと顔を見ることができないが、体格と、声変わりをやっと終えたような声から、彼が自分とさして年の変わらない少年であることが分かった。


「マジありえないんですけどっ! せっかく来たってのに、それホントに?」


 少年の声が大きいものだから、いくらか離れた場所にいるカノンにも、その内容がはっきりと聞こえた。役人の方は困ったように片手をあたふたとさせている。


「さっき釈放しちゃった? なんでさー、俺が来るまで待ってくれないの?」


 思わず首を傾げた。それってもしかしなくとも……と自分の顎を手のひらでさする。役人は、慌ててこっちに向かって指をさす。少年が指をさした方向へと視線を向けた。パチリ、とカノンと視線が合う。反射的に逃げてしまった。


「あ、ちょっと、待った、待てってー!」


 背後から声が聞こえる。どうやらやっぱり、少年の探し人は自分だったらしい。探されるような覚えは、悪い意味しか思いつかない。例えば、先ほどぶったおしてしまった男(たしかアウサーとイーバム)の知り合いであるとか。


 逃げるに越したことはない。そう思い、外套を翻して大通りに逃げ込もうとした。しかし日も暮れ始めた今、大通りにはぽつぽつとしか人間が見つからない。これでは反対に目立って、捕まえてくれと言っているようなものだ。さっと路地の中に足を踏み入れた。ここいらの地理はあまり詳しくはないが仕方がない。息をひそめて、少年が通り過ぎるのを待とう。


 そう判断し、外套のフードをかぶった瞬間、ちりんと鈴が転がる音とともに、レンガの壁の上から少年が落っこちてきた。


「見つけた!」


 少年はカノンを見つめて、目をきらきらさせる。ちりん、ちりん、と少年が体をゆする度に鈴の音がする。驚きの悲鳴は、少年が予想以上に小さくて、カノンと同じくらいの背丈だったことで引っ込んだ。こんな子どもに、一体何を焦ればいいと言うのか。腰の刀へと伸びかけていた手のひらを、ぎゅっと握りしめる。


「あんたがカノン? 予想以上に小さいな。よくこんなんで大立ち回りしたもんだ!」

「え?」

「……あっれ。すっげぇちっこいけど、胸があるような……なんだ女か! がっかりだ!」

「がっかりって……ちょっときみね」


 っていうか今とても失礼な台詞が聞こえたような。


「背も小さい上に胸も小さいとか笑うしかないなー、あははー!」「どこに笑う要素があるのかちょっとよくわからないんだけど!?」


 激しく失礼な人である。カノンはフードを下ろすと、サッと風が頬を撫でた。レンガの壁に伝うように生えている緑のつたの葉っぱがさわさわと揺れる。向こう側には、壁と建物に挟まれて、狭いと苦しげな様子のずんぐりと太い木が見えた。(あれ?)首を傾げた。さっきまで、あんなものあったっけ。


「おいカノン、聞いてる?」


 少年は唇をつんととがらした。彼の黄緑色の瞳が不機嫌そうに細められる。パタパタと揺れる風が、少年のフードをひっさらった。「あ」慌てて少年はフードをかぶりなおしたがもう遅い。黄緑色の髪の毛が、ぱたぱたと影に揺れた瞬間を、はっきりと目撃してしまった。カノンは瞳をまんまるにした。


 カラーシンガー?

 ――――私の息子もカラーシンガーなの。黄緑色の髪をしていたから、生まれてすぐに色音使いに登録されてしまって……私の顔も、あの子は知らないと思うけど。


 カノンはごくりと唾を飲み込んだ。


「黄緑色の髪?」

「あっ、ちょいまち。気の所為だから、うん気の所為」


 何が気の所為だと言うのか。クルーエルはカラーシンガーである息子と会うことができないと嘆いていた。ナギとカノンと同じだ。こんな偶然って、あるだろうか。とカノンは胸をどきりと高鳴らした。同じ気緑色の髪だなんて、滅多にいない。


「君のお母さん、今どうしてる?」


 唐突にカノンは少年に確認した。少年は「えッ」と言う風に息を飲みこんで、視線をふらふらとさせて、そんな風に動揺してしまった自分が許せないとでも言う感じに瞳を一回つぶり、唾を飲み込んで、「え?」ともう一回、丁寧にカノンに聞き返した。ついでにフードもかぶりなおした。どう考えたって、母親というキーワードに深く反応してしまった人間の様子だ。間違いない。


 フードのすきまからちらりと覗く、気まずげな表情をしていた少年の手のひらを、カノンはぎゅっと握りしめ、叫んだ。


「……きみのお母さんのところに、連れて行ってあげる!」


 少年はパチクリと瞬きを繰り返した。そして驚いたように息をのみ込んだ。



 ***


 さて、感動の再会になるかと思いきや、どうやらそうはいかなかった模様で。


「…………はじめまして、クルーエルです」

「あ、はじめまして、俺、カルロ」


 はじめましてのご挨拶は重要である。クルーエルは、ほうっと口元に手を当て、「うちの息子みたいな髪色の男の子っているのねぇ。でもうちの子はもうちょっと緑が強かったかしら」とほのぼのしていた。


どうやら、カノンは思いっきり勘違いをしてしまったらしい。冷静に考えてみれば、クルーエルは二十代後半、このカルロと言う少年は、十五、六がせいぜいっぽい。一体いつの子だと言うのだ。


「うちの子はまだニ歳くらいの男の子で、ルッサムって言うの」とクルーエルはのんびり付け足す。早めに教えて欲しかった。


「……かさねがさね、ごめんなさい……」

「え? 何が?」

「そのさっき、お店で暴れちゃったことも、含めまして……」


 しょんぼり頭を下げるカノンに、クルーエルは「あらそんなこと?」と、首を傾げた。


「カノンさんは私をかばってくれただけだし、実際はあの三人が原因よ。寧ろこっちが心配してたんだから。それになんだかお店の修理費も、国が出してくれることになったらしくって……ラッキーよね」

「そうなんですか?」


 上級の色音使い達が暴れた責任を取ってくれたのだろうか? もしそうだとしたら太っ腹だ。少しだけこの国の役人を見なおした。カノンが無実ということになってしまったので、確かにあっちの三人が一方的に悪い話になってしまったのかもしれない。自業自得とはいえ、少しだけ可哀そうだ。


「それよりカノンさん、お代はもう貰ってますし、もう夜も遅いから、今日はうちの宿に泊ってくださいな」


 カノンはクルーエルの申し出をありがたく受けることにした――――のだけれど。


「何できみがここにいるの?」

「なんでって……カノンが俺を連れて来たんだろ。母さんに会わせてくれるってさ」


 黄緑色の、ふわふわとした髪の毛の少年は不機嫌そうに唇をつんと立て、ベッドに腰をかけた。そう言われると反論は出来ない。カルロは不意に諦めたように笑い、「まあ、初めから期待はしてなかったけど」と声を落とした。まるで本当に両親に会ったことがないかのような台詞に、カノンは少しだけ違和感を持ったけれど、カルロはばしばしベッドを叩く。


「そんなことよりも、俺はカノンと別の話をしに来たんだ」


 カノンはベッドに座ったカルロを見下ろし、眉を寄せる。そう言えばこの少年は、初めから自分を目当てに、留置所の人間に自分のことを問い詰めていたのだ。変な少年だ。


「あんた、今日上級の色音使いをぶっとばしたんだって?」

「うん……まあ。なんでか無罪ってことになっちゃったけど……なんで知ってるの?」

「見たのを聞いたんだよ。気にするなって」


 もしかしたら野次馬でもされていたのかもしれない。ふうん、と聞き流した。


「あんたさ、魔力は初級レベルなんだって?」

「まあ、そう、だねぇ」

「やっぱりそうなんだ! 興奮するなぁ。俺、あんまり詳しく聞かなかったんだけど、どうやって倒したんだ? お前の胸とおんなじくらいちっちゃい魔力なくせに!」

「ちょっと」

「俺気になって気になって気になってさー。マリーも詳しく教えてくれないし」

「ちょっと」

「なあなあ、なあ、どうやって? そんなヘタれたぺちゃパイ魔力で一体どんな」

「ちょっと!」


 カノンは頬を膨らまし、カルロの顔面を右手で掴んだ。カルロは「ひぎゃっ」と情けない声を出して、「おい失礼だなお前!」とカノンの手をどかしながら叫ぶ。いや、どう考えたって失礼なのは君だから。


「私、十七歳」

「だから?」

「きみは」

「十六だけど」

「お前とはあんたとか、ちっちゃいとか、ヘタレた魔力だとか、ぺちゃパイだとか、年上に言っちゃダメでしょ! っていうか年下にも言っちゃダメなんだからね!」


 カノンの気迫に押されたらしく、カルロはコクコクと何度も頷く。納得したようならありがたい。


「その、ごめん?」

「いいえ」


カノンは首を振る。まあ、自分の体の凹凸が少ないのは事実であるので……そこまで怒らなくてもよかったっていうか……でも事実の方が人を傷つけるって言いますか……。カノンがぶつぶつこぼしているのも気にせず、カルロはもう一回、とばかりに体を乗り出す。「で? 結局どうやって倒したんだよ」「秘密」「ええー」


 ペラペラと他人に話すようじゃ、必殺技と呼べない。カルロは不満げにぶうたれたが、それじゃあさぁ、と話題を変えた。


「街中で色音を使っちゃった訳だよな? なのになんで釈放されてんの。おかしくない?」

「私にもわからない。無罪だってことになっちゃって。上級の色音使いに、初級が勝てる訳ないって信じてくれなかった」

「なんだそれ。軍の奴らって頭かったいなぁ!」


 カルロは舌うちをして、「つまんねーの」と言いながら勝手にベッドの中にもぐりこんだ。ちりん、とカルロの体から、鈴の音がする。ほんの少し前に聞いた音だ。


「……ちょっと」


カノンがかけた声を無視して、彼は頭まで布団をかぶった。唯一黄緑色のふわふわ毛がちょっぴり覗いている。「カルロ、きみ、起きなさい」そこはカノンのベッドである。カルロの宿代なんて払っていない。次第に寝息まで聞こえてきた。無理やり布団から叩きだしてやろうと思ったけれど、ここに連れてきてしまったのはカノン自身だ。彼女は髪の毛をひとかきした。


(そう言えば、やっぱりこの子もカラーシンガーなのかな)


 赤い髪をしていたナギのように、魔力が強い人間は目立つ髪の色になりやすい。そんな人間は大抵首都へと連れて行かれ、カラーシンガーとなる。カルロが両親に会っていない、というようなニュアンスで話していたこと思い出した。ナギは義母が死に、難しくなった店の経営を危惧し、自身から首都に行くことを望んだが、カルロはクルーエルの息子と同じく、彼も両親と引き離されてしまったのかもしれない。


 そう考えて、ふと気付いた。ナギがカノン達に、七年間連絡一つ渡さなかった理由は、渡さないのではなく、渡せなかったのではないだろうか? 首都に行って、カノンのことをすっかり忘れてしまったのではとも考えていたが、そうでは未だにヴィオラ村の養父へと送られてくる莫大な金の理由がつかない。


(そうかな……いや、きっとそうだ)


 彼は自らの意思では、連絡が取れないに違いない。そうだとしたらとカノンはカルロの肩辺りをゆすった。彼がカラーシンガーだと言うのなら、ナギのことを知っているかもしれない。けれどもカルロは嫌そうに布団をかぶり直し、今度は髪の毛も隠れてしまった。カノンはため息をついた。


 まあ、明日にでも、彼が起きたときに確認してみることにしよう。そう考えて、自分は部屋の端に置かれた椅子の上に座り、壁にもたれ掛かるようにして眠った。

 今日はなんだか色々あって、疲れた。牢の中でいくらか寝たが、寝たりない。




 

「カルロが消えた?」

 ナギは眉をひそめて、マリーの報告を耳にした。あいつの逃亡癖は今に始まったことじゃない、と思いつつ、無視する訳にはいかない。申し訳なさそうに頭をたらすマリーに、「君は気にしなくてもいい」とスパリと言葉を叩きだす。マリーは黒髪を揺らしながら、再び瞳を落とした。


「でも、私がしっかりしていなかったから……あなたたちよりも年が上なのに、ごめんなさい。情けないわ」

「何度も言うけれど、年齢はともかく、僕の方が君よりも立場が上なんだ。責任を取るべき、気にするべきなのは僕で、あなたには関係ない」


 言葉尻だけととらえれば冷たく聞こえるナギの言葉だが、マリーを思いやってのことだ。彼女は決して頼りない女性ではない。言動だってしっかりしているはずなのに、ナギは彼女の黒髪を見ていると、ふと彼女の年を忘れてしまう。まるで二つ年下の人間のように見える。


「あの子は、また両親を探そうとしてるんじゃないかしら」

「いや……それはない、と思う。そうそうに会える相手ではないし、あいつも十六だ。いつまでも子どもじゃない」

「でも、いつだって子どもは親に会いたいものじゃない? あなただって……」


 マリーはハッとして口元をふさいだ。「ごめんなさい」と早口で言葉を付け加える。ナギはいつもは冷え冷えとしている瞳を和らげ、珍しく苦笑した。


「何を謝ってるか知らないけど、僕はもう故郷に帰るつもりはない。……もし故郷の誰かが僕を迎えに来ようとしたって、追い返すよ」


 ナギの脳裏に一つの約束が思い浮かんだ。カラーシンガーになって、いっぱいのお金を手にして、故郷に戻ってパン屋を継ぐ。笑ってしまう。ナギの口の端が、くいっと皮肉気に上がった。「子どもの戯言だ」「え?」


 こっちの話だ、とナギは首を振った。


「カルロには糸を取りつけてある。それを追いかければ、どこにいるかわかるだろう。あいつの捜索には僕が行く。マリーは気にせず、ルッサムのおもりでもしといてくれ」


 それだけ言うと、ナギはポケットから赤い石を取り出した。「これを」首をかしげるマリーに、ふっと口元を和らげた。「念のため、渡しておくよ」



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