第5話

 

 カノンはため息をついた。つい先ほどクルーエルの店でもため息をついた訳だが、そのため息とは意味が違う。これはもっともっと重いため息だ。粗末な椅子の上で足を組み、膝の上に肘を乗せ、その手のひらに顎を乗せる。自分はなんてことをしでかしたんだ。頭が痛い。


 鉄格子の向こう側では、小さな明かりがぽっぽと燃えていた。見張りの兵士がちらりとカノンを興味深げな目で見たが、すぐさま視線を逸らした。はー、とカノンは再び長いため息をつく。まさか人生で牢屋に入る日が来るとは思わなかった。


 一体自分の罪はどれくらいのものになるんだろうか。罰金程度で済んでくれたらうれしいのだけれど。鬱々としてくる気分を誤魔化すように、カノンはぶるぶると首を振った。


(ほら、やっぱり。あいつは自分が上級色音使いと言っていた)


 その人間を、カノンが倒してしまったのだ。これでカノンの実力は証明された。落ち込んでいたプライドが、むくむくと立ち上がる。


(よし、よしよしよーし!)


 カノンは何度も拳を握った。これを足掛かりにして、もう一度役人にかけ合って、ちゃんと審査をしてもらって、そしてそこからカラーシンガーに…………「ハアアアアー……」現実に戻って来た。牢屋の中にいる人間が、一体何をしようと言うんだ。


 クルーエルさんにも申し訳ないことをした。カノンは結局暴れるだけ暴れて、何の解決も出来なかった。もし、彼女の宿にも何らかの罪をかぶせられていたら、自分はどうしたらいいのだろう。とにかくこの牢屋を出ることができたら、すぐさま彼女のところに確認に行かなければならない。そして思いっきり謝らなければ。


 自分は待つことしかできない。ぼんやり天井を見上げた。考えるとき、そうするのが癖なのだ。今あがいてもしょうがないか。しょうがないので瞳を瞑った。こういうときは、眠るに限る。時間を無駄にするのは、ちょっとしゃくだし。


 暫くしてから、すうすうと寝息を立てるカノンを見て、見張りの兵士は「随分図太い奴だな」と呆れたように呟いた。


 ――――せめて、夢の中だけでも、ナギに会いたい。


 そう思ったからだろうか。ナギの夢を見た。ナギは自分よりも二つ年上だったけれど、身長はカノンと同じくらいで、本人はそのことをこっそり気にしていた、と思う。直接聞いたことがないから、はっきりとは分からないけど。


 大人たちの間ではしっかりもので通っていたくせに、本当は一番の悪ガキだったこと。出来たての養父のパンを、こっそりと二人で食べたり、夜に家を抜けだしたり、色んな家に浸入したり。大抵の大人は、自分たちの悪さには気づかなかった。けれども何故だか養父には簡単に見つかってしまった。その度に、二人一緒にこっぴどく叱られた。できたタンコブを二人で撫でて、次第におかしくなってきてゲラゲラ笑い合った。


 色音の勝負も、何度もした。草原に行って、おもいっきり色音を使う勝負も楽しかったけれど、ナギは一つのゲームを思いついたのだ。お互い、ぎゅっと手のひらを握る。そして色音になる前の、透明な魔力を発散させる。そしてお互いの魔力をぶつける。ただ力でぶつかってもいけない。そんなことをしたら、魔力の量が圧倒的に違う自分には、勝ち目はない。


 頭の中で考えるのだ。

 まっすぐに突き進んでくるナギの膨大な魔力を、自分の魔力でくるりとまとめ上げ、ちょうちょ結びにしてやって、そのまま閉じ込めてきゅっと小さくしていって――――こっちの勝負は、結構得意だ。魔力を操ることは人一倍得意なのだから。ふふんと自慢げに鼻をならすカノンを、ナギは悔しげもなく、にこりと微笑んでカノンの頭をなでた。ついでとばかりに頬も撫でた。


 そうやって柔らかく撫でられる度に、そこまでされるとなんだかちょっと恥ずかしくなる。やめてくれ、とカノンが言う前に、ナギはムッと眉をひそめた。カノンのおでこに、横に長い傷を見つめたのだ。当時のカノンは村の男の子達と同じように暴れまわり、毎日生傷だらけだった。


「カノンは女の子なんだから、もっと体を大切にしなきゃ」


 いつもの台詞だったので、「はいはい」とカノンは適当に聞き流した。

 ナギは男の子のように短いナギの髪を両手で触れて、彼はほんの少し言い辛そうに呟いた。


「せっかく可愛いのに、もったいないよ。せめて髪の毛でも伸ばさないの?」

「えっ」


 カノンはぱちくりと瞬きを繰り返した。男の子みたい。そんなことばっかり言われていたので、可愛いなんて言われたのは初めてだ。気がつくと、どんどん恥ずかしい気持ちになった。悪い気持ちじゃないけれど、ナギに見られているのが恥ずかしい。

 カノンはバタバタと腕を動かして、ナギから離れた。そして恥ずかしさを誤魔化すように逃げた。


 ――――カチンッ


 ふいに小さな音が聞こえて、カノンは目を覚ました。懐かしい夢を見ていたらしい。今では長くなってしまった自分の髪の毛を思い出し、少しだけ恥ずかしくなる。カノンは目を覚ますように、何度も瞬きを繰り返して鉄格子を見た。手にランプを持った兵士がぬっとカノンを見下ろしている。


「よかったな、釈放だ」

「え?」

「だから釈放だよ。勘違いだったんだってな。可哀そうに、災難だったろ?」


 兵士は心底同情したかのようにカノンに話しかけた。

 勘違い? 一体何のことを言っているんだろう。冗談じゃないか。そう思ったのに、兵士は重くこすれる音を出しながら、鉄の扉を開けた。冗談じゃないようだ。「ほらよ」と言いながら、兵士はカノンに、カノンの荷物を手渡した。ご丁寧に剣までついている。慌てて大事に受け取った。


 この剣は刀と言って、たまたま村に来ていた行商人が持っていたものだ。どう使えばいいかもわからなくて、誰も使いたがらないから荷物になって困っていると言っていたので、安くで譲ってもらった異国の剣だが、この剣がカノンの手に一番馴染んだ。なくなってしまえば、困ってしまうところだ。


 とりあえず、出られるというのだからありがたく荷物を頂戴して立ち上がり、兵士の後ろを歩く。けれどもやっぱり胸の方がそわそわした。勘違いだなんてありえない。カノンは街中で色音を使ったし、その光景はバッチリと目撃されているはず。


 入口へと歩く兵士の後ろに並びながら、「あのう」とカノンは恐る恐る声を出した。「なんだ?」と、兵士は振り向くことなく、気のいい声を出す。


「勘違いって……ホントなんですか?」

「なんだ、変な聞き方だな。まあでも、あんたが捕まったってことの方がありえないよ。上級色音使いに喧嘩を売ってぶちのめしたって理由で入ったんだろ? あんたみたいな可愛い娘さんが、そんなことできるもんか」


 可愛いと言われてしまった。さっきの夢の中のナギを思い出して、カノンは少しだけ頬を赤くした。そしてパチパチとほっぺたを叩く。それにしても、ありえないってなんだありえないって。


「……ホントのことですよ?」


 カノンはおそるおそる、呟いてみた。聞こえなかったらしい。「ホントのことですよ!」今度は力いっぱい。兵士はピタリと立ち止り、振り返った。そしてカノンの頭からつま先までまじまじと見て、最後にまたカノンの顔を見つめた。カノンはその間どぎまぎとしながら立ちすくむ。兵士はニマッと口元を見せて笑った。


「面白い冗談だなぁ。上級色音使いが、負ける訳ないだろ? ちゃーんと上の方の人が、あんたの無実を証明してくれたんだよ」


 まったくもって信じてくれなかった。

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