第2話


「丁度今、色音使いの検定の時期じゃないですか。だから検定目当ての旅人さんの宿を提供しようと、街の人間は必死なの」

「なるほど」


 納得されましたか? と宿屋の主人はカノンの前へと盆を置いた。ほかほか湯気が立つスープとくるみのパン。テーブルに座っているのはカノンだけだ。他の客は見えない。失礼ながら、あまり繁盛しているようには見えなかった。


 客が欲しいけれども、女性ではあの荒波の中に飛び込むことも勇気がいるということで、足踏みしていたらしい主人は自分の分の昼ごはんもカノンのテーブルへと乗せる。カノンがパチリと瞬きをすると、主人はいたずらっぽく笑って「一緒に食べましょ?」と首を傾げた。

 中々にフレンドリーな店主だ。けれどももちろん大歓迎だ。こっちも真似をして、すまし顔を作ってみた。


「どうぞ、お姉さん」

「あらま上手。でももう私、お姉さんって年じゃないのよねえ」


 店主は頬に手のひらを乗せて、がっかりした顔をする。可愛らしい仕草に、カノンはくすりとほほ笑んだ。二十五、六だろう。十分にお姉さんの範疇だと思うのだけれども、どうだろう?


 対するカノンは長い黒髪を低い位置で後ろに束ね、年は十代も後半。未だに少女と呼べる年だろうに、体に余分な、必要なはずの肉までもない所為で、カノンに少女と言う言葉は似合わない。どちらかというと、少年という言葉の方が似合う。よくも悪くも凹凸のない体だ。多少気にしているけれど、体質なのでしょうがない。人並み以上にご飯は食べる方なのに、まったくもって不思議だ。


「お姉さん、お名前は? 私はカノンって言います。ヴィオラ村からやってきました」

「あら、随分遠いところから。私はクルーエル。女一人で宿屋を経営してるんだけど、見ての通り、ちょっとねぇ。……あ、違うのよ? 別にうちの宿が悪いんじゃなくって、トラッパの街、みんなこんな感じなのよ? うちはご飯がおいしいを売りにしてるんだから。さあさあ冷めないうちに頂いてくださいな」


 クルーエルはパタパタ手のひらを振り、盆の前へとさっと手を伸ばす。カノンは口元をゆるめながら、頂きます、と頭を下げた。ご飯を食べることは大好きだ。はむりとパンを口に含む。焼き立ての香ばしい匂いと、柔らかい触感が口の中に溢れる。こりこりとしたくるみの触感で、幸せな気分になった。うふふ、と人知れず彼女は微笑む。ちょっと怖い。


「おいしい。うちで焼くパンみたい」

「……おうち?」

「実家がパン屋なんです」

「そうなの。やっぱり私、パンの才能があるみたいね」


 クルーエルは満足げに笑って、自分も同じくパンを口にふくむ。久しぶりの女性客だから嬉しいらしい。カノンは次にスープを飲み込んだ。体の中からほんわりと暖かくなるようだ。ちょっぴり入れたコショウが味を引き締めていて、こっちも美味しい。


(……それにしても、首都って言っても、やっぱり景気はよくないみたいだな)


 ヴィオラ村からここ、首都トラッパまで、カノンは長い月日を歩いてきた。馬車や馬があれば、もっと楽な旅ができただろうけれど、残念ながら財布の口がせまかったのだ。やっとこさ首都までついて、ナギに会えると思ったのに、門前払いをされてしまった。


(……しかも、初級色音使いとか)


 正直、自分ではもっとできるものだと思っていたのだ。自分にナギのような才能がないことくらい分かっている。けれどもカノンはそれにとってかわる努力と工夫を磨いてきた。それなのに、あの変な黄色い鷹が叫んだだけで結果が決まってしまった。いっそのこと、その初級色音使いとやらから頑張ってみるのも手かもしれない。けれども本当にそれでいいのか。カラーシンガーになりたいと叫んだ瞬間、突き刺さった周りの視線を思い出して、胃の奥がきゅっと痛くなる。というか。


「……あのう、クルーエルさん」

「はい、なんでしょう」


 クルーエルは可愛らしく首を傾げ、彼女の茶色い前髪がさらさらと揺れた。


「初級色音使いって、何なんでしょうね?」

「え?」

「いやだから、色音使いの中で一番すごいのがカラーシンガーじゃないですか。それで初級って何なんでしょう。初級ってからには、中級とか上級とかあるんですよね?」


 神妙な口調でクルーエルを見つめるカノンを見て、彼女は瞬きを繰り返した。そしてテーブルの上から、そっと体を乗り出す。


「その、失礼なんだけど」

「はい、どうぞ」

「カノンさんは……色音使いになりたくってトラッパに来たのよね?」


 クルーエルが、解けない難題を出された村の生徒のように眉をしかめた。彼女の言いたいことはよくわかる。カノンはわずかに頬を赤らめた。「そのう」と頭の後ろをひっかくと、彼女の黒髪がわしゃわしゃと崩れた。そしてハッとして、ナギに怒られると、いもしない人間を思い出して髪を整え直す。


「……えっと、その、クルーエルさんの言う通り、色音使いになりたくってやって来た訳ですけど……カラーシンガーになること以外、興味がなくって……。田舎だから、首都のこともよくわからなかったし」


 こうやって言葉に出してみると、いかに自分が無鉄砲だったかということがよくわかる。クルーエルは呆れを通り越して、「……それは、本当にすごいわぁ」としきりに感心して頷いていた。


「それじゃあ私もあまり分かっている訳じゃないんだけど……知っている限りをお話しするわね」

「あ、ありがたいです……」


 カノンは椅子の上に小さくなり、居住まいを正した。


「そもそも色音使いは、才能のある人間が国に登録されることで、その存在を認められる、ということは知っているわよね?」

「それくらいなら」


 いくら色音が使える人間でも、トラッパへと訪れ、審査を受けない限りは色音使いとは認められない。逆に言えば、色音など使えなくても、魔力があると国に認められれば、色音使いなのだ。よろしい、とクルーエルは頷く。


「色音使いには初心、初級、中級、上級、そしてその上の特級、つまりカラーシンガーの五つのランクがあって最初に魔力のレベルによって振り分けられ、基本的には一生その位から動くことはないの。つまり初級色音使いは、一生初級のままなことがほとんど」


「五つもあったんですか……」


 つまりカノンは、下から二番目ということになる。なんとも情けない結果だ。


「あ、でも魔力がある人間なんて滅多にいないし、初心にひっかかるだけでもすごいことなのよ? 国と契約すれば軍人のある程度の位の人間と同じ扱いになるし、お給料がたくさんもらえるのよ?」


 クルーエルの言葉を聞いても、気分はしょぼくれるばかりだった。そんなの、初級にひっかかった程度で喜べる訳がない。自分はカラーシンガーにならないといけない。そうじゃないと、ナギに会うことができない。

 はー、と重いため息をついて、カノンは腰につけたポーチから、二本のベルを取り出した。毎日大切に磨いているおかげで、細かい傷はあるものの、新品同然、ぴかぴかの楽器だ。カノンは嬉しげに目を細めた。


「それがカノンさんの触媒? 何色なの?」

「一応。これ以外でもできるんですけど。色は青と緑です」

「二色も扱えるの?」


 カノンの台詞に、クルーエルがぎょっと目を見開く。カノンは恥ずかしげに頭をかいた。複数の色音が扱える色音使いは少ない。魔力の問題とは別に、色音を扱う器用さが必要とされるからだ。カノンはベルを軽くならした。チリン、と低い音が鳴り響く。緑の音だ。


 その瞬間、ベルの周囲に緑色の光がともり、くるくると螺旋を描いた後、テーブルの上に置かれていた植木鉢へと飛び移る。小さな双葉が見る見るうちに成長し、赤い可憐な花びらを咲かせた。クルーエルは口元を押さえながらその不思議な光景を見つめる。多くの色音使いが集まるトラッパと言えど、色音をじかに見ることは初めてだったのだろう。大きな瞳がこぼれんばかりに見開かれていた。


 そしてクルーエルはもう一本のベルを鳴らした。先ほどよりもすんだ音だ。これは青の色。いつの間にかベルに集まった水滴が、ころころと丸く膨れ上がり、赤い花の上へと散って行く。赤の花弁から、ほろりと水が滴り落ちた。


「まあ、こんな感じで――――」

「だめだめだめー!!」


 唐突に、クルーエルはテーブルの上へと飛び出し、植木鉢を抱きしめた。ガラガラとテーブルの上の食器がクルーエルの体に押し出されて吹っ飛んだ。カノンはぎょっとして、ベルを鳴らした体勢のまま固まる。クルーエルは誰がいる訳でもないのに辺りをきょろきょろと探し、暫く体を固まらせた後、ほっと溜息をつく。


「カノンさん!」


 ギッと瞳を尖らせたクルーエルに、カノンは「はいっ!」と背筋を伸ばした。


「街中での色音の使用は禁止されてるの! これがもし軍に見つかったら、カノンさんは刑務所行きなんだから!」

「え、ええええー!?」


 そんなの初耳だ。故郷のヴィオラ村では、当たり前のように使っていた。というか、色音が使える人間はナギを除くと、カノン一人だったのだ。誰も止める人間なんていなかったし、物心ついたときから、それが当たり前だと思っていた。


(あ、でもナギみたいな炎の色音なんて、使う人によっては危ないかも……?)


 本人の人格と、技量の問題がある。悪いことをしようと思えば、いくらでもできてしまうし、うっかり暴走なんてしてしまったら危ないに決まっている。ナギが天才すぎたことで、カノンの当たり前の常識は、すっかりどこぞへ消えてしまっていたらしい。


「ご、ごめんなさい……」と、カノンは頭を下げて殊勝に謝る。下手をすると、カノンだけではなく、クルーエルまで巻き込むところだったのだ。これからは気をつけよう、と肝に銘じる。


 クルーエルはそろそろと植木鉢から体をどかし、「わかってくれたならいいの」と特に気にした風でもなく、椅子に座り直す。そして辺りに散らばった食器を見て、頬をひきつらせ、「あちゃー」と額を叩き、カノンが手伝う間もなく手早く片づける。


「それにしても、本当に色の音が分かるのね。私には両方ともただのベルの音にしか聞こえないのに」

絶対音感サウンドカラーと言われるそうです」


 不思議気なクルーエルに比べ、カノンには何故周りの人間が音の色が分からないかが分からない。音には色がある。それがこの世界の常識だ。色音使いとは、魔力を持ち、音の色を感じ取ることができる。――――そんな特殊な才能の持ち主である。


「聞いたことがあるわ。音の媒体は、音がなるものなら何でもいいけれど、自分自身の体で出す音の色を見つけることは、とっても難しいんですってね」

「ええ。自分の体の音は、自分で聞く音と、実際の音とは微妙に違いますからね。……それにしてもクルーエルさん、詳しいですねぇ」


 色音使いの給料の具合や、軍人扱いになるなどと、一般人が知っているものなのだろうか?

 今度はカノンが不思議気にクルーエルを見つめた。するとクルーエルは、いたずらっ子のように苦笑して、実はね、と教えてくれた。


「私の息子もカラーシンガーなの。黄緑色の髪をしていたから、生まれてすぐに色音使いに登録されてしまって……私の顔も、あの子は知らないと思うけど。でも、やっぱり母親として色音使いって何なのかって知りたくて。私なりに出来る限りで調べてみたの」


 そう言えばこの宿には男性がいない。クルーエルさん一人で切り盛りしているようだ。彼女は一人きりの家族である息子を、国に盗られてしまったのだろう。ほんの少し寂しげに瞳を伏せた。

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