カラーシンガー

雨傘ヒョウゴ

第1話

 世界には、色が溢れている

 音には、色が宿っている。




 ぽろぽろと小さな黄色い花がまき散らされた草原で、二人の少年少女が向かい合っていた。両方とも年は十やそこらだろう。彼らはあどけなさが残る可愛らしい顔の眉をきゅっとつり上げ、睨み合う。けれども別に憎み合っていると言う訳でもなく、さあやるぞ、今からやるぞ、というお互いの合図みたいなもので、つまりこれはただの遊びみたいなものだった。


「今日こそ色音でお前に勝ってやるよ、ナギ!」

「それは一生無理だと思うなあ、カノン」


 っていうか女の子がお前とか言っちゃダメだと思うんだけど。とナギと呼ばれた少年は軽く肩をすくませた。真っ赤な瞳と同じく真っ赤な髪の色で、彼の赤の容姿はひどく目立つ。それだけ魔力を多く内に秘めているということだ。

 少年の様子にカノンはムッと唇ととがらせながら、村では一般的な、黒く、まるで男の子のように短い髪をぐしゃぐしゃにした。ナギはむっと眉を寄せて、「あー、ほら、くしゃくしゃになっちゃった」とまた呆れたような表情をする。


 そんなナギの反応を気にすることもなく、カノンは腰につけたポーチから二本のベルを素早く取り出す。これはカノンとナギの養父達が買ってくれた色音の媒体だ。ナギも同じものを買ってもらったのだが、彼のベルは未だに部屋の机の中で眠っている。大切なものだから使えない――――というのが、ナギの言い分。


「もうっ、いちいちナギはうるさいなあ!」

「カノンって根本的に短気なんだよねぇ」


 ナギはさっと両手を構える。

 カノンは片手でチリンとベルを鳴らした。涼しげな音がする。


「これは青の音……!」


 もう片方のベルを鳴らした。先ほどの音よりも低い音程だった。


「こっちは緑の音……!」


 カノンが鳴らしたベルの周囲を覆うようにぐるりと輪が出来上がった。青と緑の光がらせん状に入り混じり、まっすぐにナギを狙う。けれどもナギは不敵に微笑んだまま、軽く手のひらを叩いた。


「これは赤の音」


 ただ彼がそう一言呟くだけで、カノンの色音はナギの周囲にあふれ出た真っ赤な炎の中に食われてしまう。カノンは力なくため息をついてへたり込んだ。そんなカノンの元に、ナギは歩み寄り肩をたたく。


「だから言っただろ、僕には勝てないってさ」


 知ってるよ、と言う言葉をカノンは飲み込んだ。自分自身で認めてどうする。結構悔しい。かなり悔しい。色音の魔力の量は絶対だ。生まれ持った才能には誰も勝てない。天才と呼べるほどの魔力を持ったナギに、ただの凡人であるカノンが勝てるはずがない。カノンは立ち上がり、軽く自分の尻をはたいた。そしてポーチにベルをしまう。分かってる。分かってるけど、やっぱり……ため息をついてしまいそうだ。


「……まあ、カノンの二色同時に扱うなんていうのもすごいと思う。きみはものすごく器用なんじゃないかな」

「慰めはいーよ。それより早く義父さん達の手伝いに行こう」

「そうだね」


 ツン、と唇を尖らせたままずかずかと歩くカノンの後ろを、ナギが苦笑しながら歩いていく。


「カノン、僕達は二人で最強の色音使い、カラーシンガーになるんだ。そしたら国と契約して、お金をがっぽがっぽと稼いで、義父さん達のパン屋を楽させてあげようね」

「……ん」


 それはもう、何度も彼と約束したこと。ただの孤児を育ててくれた養父達への恩返しだ。内乱は自分たちが生まれるとっくの昔に終わってしまった。けれども今も飢えて死ぬ人の数は減らない。

 空を見上げれば、うっすらと黒いベールで覆われていた。それはキイキイと、まるでガラスを爪でおもいっきりひっかいたような、耳触りな音を発している。色音使いの卵である自分たちには、それがよくわかる。


 自分たちに色音の才能があると分かってから、ずっとずっと小さいころから、何度も交わした約束だ。けれどもいつの間にかできたナギとの実力の差に、カノンはぎゅうっと小さくなってしまいそうになっていた。カノンは触媒のベルがないと色音を生み出すことができない。けれどもナギは両手を合わせた音だけで炎を生むことができる。


(……頑張らないと)


 小さなころから一緒だった。ナギの歩幅は大きい。それすらもカノンの様子をちらちらと振り返りながら、進んでくれていることを知っている。


(……負けらんない)


 彼と、一緒に歩いていきたい。


「そんで、色音使いになってたんまりお金を稼いだら、二人で養父さんのパン屋を継ぐんでしょ? 分かってるって」

「そう。もうちょっとで養母さんと養父さんの子どもが生まれる。僕達の弟だよ。僕らとは血がつながってないけど、本当の家族だ。これからもっとお金が必要になると思う。カノン、僕らはまだ子どもだけど、色音の才能がある。二人で一緒に頑張ろう」

「言われなくても」


 カノンとナギはお互いニヤッと笑ってお互いの手を打ち鳴らした。この音は、赤い音。ナギの音だ、とカノンは嬉しい気持ちになった。

 約束だよ、とナギはカノンの額に、自分の額を合わせた。こつん、と優しい衝撃にカノンは目を見開く。よくわからないけれど、彼女はなんだかドキドキしたのだ。

 約束だよ。

 そう言った彼の声が、今でもカノンの耳から離れることはない。その年、ナギはカノンの前から姿を消した。


 キイキイと、黒い空の不協和音は鳴り響く。




 ***


「結果ァアアアア!!! 初級色音つかぁああああい!!!」


 その叫び声に、カノンはぽかんと口を開けて瞬きを繰り返した。カノンが出した右手の上に、一匹の鷹が乗っている。その鷹がくちばしをあらん限りに開け、翼を水平に開きながら、空に向かって叫んだ。鷹は全身が黄色い体毛に覆われていて、自然に生きている生き物ではない。というか、普通の鷹はしゃべらない。黄の色音から生まれた生き物なのだろう。


 カノンが呆然としている隣で、役人は素早く鷹を両手に抱え持ち上げる。そして手早く、カノンの後ろに並んでいた男の右手の上に鷹を乗せて、右手の門を開けた。


「検定終了ォオオオ!!! はいはい初級のコースはこっちですよ! 今からみっちり軍人としての基礎を教えてあげるからね! 素人さんも安心してねー!」

「え? え? ええ?」

「ほらほら後がつかえてるんだから、早く動いて」


 一名様ごあんなーい、と肩を掴まれ、無理やり門の中へと進ませようとされる中、「ちょ、ちょっと待って!」とカノンは地面に足をすった。


「初級色使いって? その、どういうこと?」

「どういうことって……君の魔力量は初級レベルって測定されたんだ。さ、明日からみっちり訓練だ。技力が上がれば中級だって夢じゃないよ! 上級は無理だけど」


 さあさあ進んだ進んだ、と声をかけられ、冗談じゃないとカノンは役人に声を張り上げる。


「わ、私は特級色使いカラーシンガーになりたいんだ! 初級なんて入れないよ!」


 その瞬間、周りの音がしんと静まり返った。役人や、カノンの後ろに並んでいた長蛇の列、そして周りの野次馬に黄色い鷹までもがしんとカノンを見つめている。カノンはびくりと体を小さくさせた。さすがにこの視線は痛々しい。

 自分は何か妙なことを言ってしまったのだろうか。とにかく今の自分には、主張することしかできない。カノンは力強く拳を握った。


「魔力なんかじゃなくて、私の力を見て欲しい! 試しにその上級色使いとやらと戦わせてください! そしたらきっと分かると思う! 私はカラーシンガーにならなきゃいけないんです!」


 役人は呆れたようにため息をついた。頭の帽子を片手で取りながら、ふるふると首を振る。


「いるんだよなぁ、こういう勘違いしてるやつ」と小さく呟き、カノンの肩を掴み、ぽいっと野次馬の中に放り投げた。


「はーい、一名脱落、みなさんお好きに持って帰ってー!」


 え? とカノンが瞬きする暇もなく、わっと野次馬達がカノンへと覆いかぶさる。さっきからずっと気になっていたのだ。この人達は一体なんなんだ。見ればそこいらの街の住人と変わらないような格好をして、男ばかりだ。若い男だけではなく、中年から初老までずらりとそろっている。カノンはさっと身の危険を感じた。背筋が寒くなる。わああああ! と雄たけびを上げる彼らにそろって、思わずカノンもみぎゃあと叫んだ。自慢の剣を振るう暇もない。


「おきゃくさあああああん! うちの宿にどうぞォオオオ!!」

「うちノ方がやっすいヨォ! サービスいいヨォ!!」

「そんなカタコトで怪シイとこより、俺んとこはドーダイ!?」

「お前も片言じゃねーか!」

「うちー! うちー! うちに泊ってぇえ!」

「うるせぇー!!」


 目の前でぼかぼかと殴り合いを始める彼らの足の間を縫って、カノンはそそくさと逃げた。途中何度か蹴られて頭にこぶができている。顔なんてすりだらけだ。ナギがいたら怒られるに違いない。一体なんで自分がこんなめに、とほうほうのていで人垣から脱出した。そして力なく建物にもたれながら座りこむ。目の前では相変わらず宿屋の主人たちの乱闘騒ぎだ。ハー……とカノンは重っくるしいため息をつき、腕で顔をぬぐった。こすれたほっぺたがひりひりする。


「……あのー」


 ふと、彼女に柔らかい女性の声がかけられた。カノンが顔をあげると、カノンよりも幾分か年上の女性がカノンを見下ろしていた。

 カノンと目が合うと、彼女はほんの少し困ったように苦笑した。


「あのう、旅人さん。うちの宿屋に泊まりませんか?」


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