第3話
さて、とカノンは心の中で頭を抱えた。
故郷のヴィオラ村から、そのあまりの魔力のために色音使いへとスカウトされたナギを目的に、ここまでやって来たのだ。彼が首都、トラッパへと消えてから七年、ナギからの便りは、一通もない。ただ毎年莫大なお金が国から送られてくる。養父に確認したことはないが、ナギの色音使いとしての給料であることは、うっすらと気づいていた。
養母は亡くなってしまった。そして養父は自分の息子、つまりカノンの義弟をかかえ、一人パン屋の経営を続けている。
あの日、幼いころに約束したこと。
カノンとナギは、一緒にカラーシンガーになって、お金をいっぱい稼いで、稼いだお金を風呂敷に包みこみ、故郷へと戻り、養父のパン屋を継ぐ。あの約束はどうなってしまったのだろうか。都会へと消えた彼はもう、あんな幼い約束など忘れてしまったのだろうか。
もしそうなら、悲しい。それにナギに会いたい。あの優しい顔付きで、やんわりとほほ笑む彼を、またこの目で見たかった。だから追って来た。ナギに比べ、魔力が平凡な自分は努力とアイデアを重ねるしかなかったが、今ではそこいらの色音使いには負けない、そう自負しているのだが……現在はこれである。「ううううん」カノンは頭を抱えた。口からは勝手にため息が漏れる。
おそらく、ナギは色音使い最強の証、カラーシンガーになっているはず。
はっきりとした話は聞いたことがないが、赤髪の炎使いのカラーシンガーの噂は、ぼんやりと村々で耳にした。そんな彼の前に、たかだか初級色音使いレベルだし、選考会からはほっぽり出された自分が、ひょいひょいと顔を出すだなんて恥ずかしすぎる。その上、どうやって会えばいいかも分からない。
カノンはやることもなくベッドの上でごろりと寝転がり、天井のしみを数えた。空しい作業だ。やってられない。「うううーん」考えても考えても、いいアイデアが浮かばない。次第に考えること自体が億劫になってきた。ごろん、と体を寝返りさせて、うつ伏せになる。そしてジタバタと手足を暴れさせてみた。現実逃避しかできない。瞳を閉じた。
「…………ナギの、ばか……」
あいたい。
ナギにあいたい。
ずっとその気持ちは変わらない。
カノンはきゅっと唇をかみしめた。こんなところで腐っている場合ではない。下手な考え休むに似たり。考えて思いつかないなら、足で動けばいいのだ。自分にはそっちの方が性に合っている。「――――よし」カノンはパッと瞼を開ける。頑張ろう。
そう彼女が決意した瞬間、床下から女性の叫び声と、皿が割れる音が聞こえた。いくつかの足音と、男性達の野太い声が響く。
一瞬の間ののち、カノンはベッドから飛び起き、蹴り飛ばすように扉の向こう側へと向かった。
「なんだ、俺達にメシが出ないってのか! おりゃあ上級色音使いのアウサー様だぞ!」
「いいえ、いいえ、決してそんなことは……ただ、うちは宿屋でして、お食事単品では提供していないんです。今日の分の材料は全部使い切ってしまいまして……」
「だったら今すぐ店に行って買ってこい! 俺はこの店で食いたいんだ。もうすぐカラーシンガーの昇級テストがあるからな。カラーシンガーを出したと噂のこの店で縁起を担ぎたいんだよ!」
男な野太い声をクルーエルへと叩きつけた。ひゃあ、と彼女は丸いお盆で体を隠し、小さくなる。
「ちょっと、何してるんですか!」
カノンは扉を開け、クルーエルをかばうように滑り込む。片手には細い剣を握りしめていた。鞘に収められてはいたが、あまり見ない、珍しい形のものだ。男はじろりとカノンを睨みつつもその武器を目にした。
「誰だお前」
床に散らばった皿の破片を靴で踏み、カノンも負けじと眉をひそめた。
「この店の客ですよ。カノンと言います」
「俺はアウサー! 上級色音使いのアウサーと言えば、知らない人間はいないだろう!」
アウサーと名乗った、黒く日に焼けた男は、むん、と腕に力こぶを乗せる。そんなことを言われても、自分はこの街に来たばかりだし、ナギ以外の色音使いにはあまり興味がなかったので、きょとんと瞬きを繰り返し、首を傾げた。
そんなカノンの様子を見て、アウサーの後ろに佇む男がブハッと噴き出す。彼はアウサーに負けず劣らずの筋骨隆々な男であった。
もう片方は小柄な男が、アウサーと噴出した青年の間であわあわと手のひらを振っていた。カノンが知るよしもないが、アウサーとその後ろの男には竜の意匠をあしらった上級色使いのバッチが。小柄な男の胸には中級色使いの、鷹をあしらったデザインのバッチが胸についていた。
アウサーは仲間に笑われたことが悔しかったのか、サッと顔を赤くした。「うるさいぞ!」と背後の仲間に怒鳴ると、言われたわけではない小柄の男が、「ヒッ」と体ごととび跳ねる。仲間と言うよりも、まるでおつきの人間のようだ。
「アウサー、無理ってんならいいじゃないか。食べる場所はどこにでもあるぜ」
「うるさいイーバム。俺はここがいってんだからいいんだ!」
どうやら笑った男の名前はイーバムと言うらしい。アウサーが駄々をこねる様を困ったように見つめている。「意外と乙女チックだな、お前」プッと、再びイーサムが噴出した。その瞬間、アウサーの怒りは頂点に達したようだ。バンッと力強くテーブルを拳で叩き、木で出来た丸テーブルが、叩かれた場所から綺麗に真っ二つになって左右に落ちた。
クルーエルはお盆を抱きしめ、ぽかんとした表情でただの木の残骸となってしまったテーブルを見つめる。
「ちょっと、失礼じゃないですか。ここはクルーエルさんのお店です。さっさとテーブルの代金を弁償して出て行ってもらえませんか」
カノンは毅然とした態度で、男三人に向かい合った。「嫌だね」アウサーは興奮しているのか、赤黒い顔をさらに赤くさせてくいっと口元を上げた。とてもガラが悪かった。
「俺は腹が減ってるし、験をかつぎにここへ来て、今更帰れますかってんだ。そこの店主がメシを出すまで俺はこの店に居座り続けるぞ」
どうやら聞く耳を持っていないようだ。カノンは静かにため息をつき、クルーエルへ振り向く。
「と、言っていますがクルーエルさん。お食事は出せますか?」
「え、あ……今すぐには無理だけど、今から店に材料を買ってくるまで待ってくれたら……」
「とのことですが」
「了解した」
イーバムがひょいと片手をあげて苦笑する。しかしアウサーはニマニマと笑うばかりで、「これ以上俺達を待たせるってんだ。それ相応の礼を出してもらわねぇとな」と、のたまった。
「礼ですか?」
ふるふると震えて、声もでないクルーエルの代わりに、カノンは眉をひそめながら彼を見上げる。アウサーは人差し指と親指を合わせ、円を作った。金だ。つまり、金を出せと言うのだ。イーバムは呆れたように小山のような筋肉をつけた両肩の横で両手を開き首を振った。その後ろの小柄な男は、相変わらずどうすればいいか分からないと言った顔で、イーバムとアウサーを交互に見守っている。
冗談じゃない。
カノンはこの店の客であり、店主はカノンが後ろにかばうクルーエルだ。だからカノンが判断すべき内容ではないと思いつつ、彼女はカッと頭に血がのぼった。この店はクルーエルが一人で切り盛りしている。どう見たって繁盛しているようには見えないが、なんとかやっていけているのは、カラーシンガーだという息子の給料のおかげであり、それはクルーエルと息子の母子のもので、それをなんで、赤の他人である、この無礼な男たちに渡さなければならないと言うのか。
「断る!」
カノンは気付けば彼らに言葉を叩きつけていた。言った後に、クルーエルの代わりに自身が返答を代弁してしまったと後悔したけど、もう遅い。
アウサーは、ニマッと笑い「おい、バリュー」「へ、へ、へ、へ、ハイ!」バリュー、後ろの方で瞳をぐるぐるとさせていた男が、アウサーに背中を押されてカノンの前へと叩きだされる。バリューは、片足を何度かつくてんとさせ、だらだらと汗を流し、イーバムとアウサーを振り返る。アウサーは太く、ささくれ立った手のひらを振った。「かるーく遊んでやれよ」
バリューは、相変わらず、「へ、へ、へ、へ、ヘハイ!」と奇妙にどもった声で頷いた。そして腰につけていたベルトから、リコーダーを取り出す。カノンはハッとしてクルーエルに、「下がって!」と叫んだ。そして剣を引き抜いた。
ぴぴぴっ、ぷーうう、う!
滑稽なリコーダーの音が響く。バリューはリコーダーをくわえたまま、「あふゃいおふぉ!」とふごふごと口を動かした――――赤い音。
リコーダーの下の穴から、真っ赤な火の子が飛び出した。カノンは青の音を出すべきか否か、一瞬逡巡した後、剣を前へと突き出した。
***
アウサーはにまにまと口元をにやつかせた。丁度いい。迫りくるカラーシンガーの昇級試験に、アウサーはガラにでもなく緊張していた。今はただの上級色使いだが、その上の特級、カラーシンガーになってしまえば、国からの対応がガラリと変わる。カラーシンガーとは国宝なのだ。
現在は機械が発達し、過去の栄光に陰りはあるものの、カラーシンガー一人で、何百人もの軍隊に値する戦力を持つ。国がそれだけの力を持っていると宣言すれば、国民を縛りつけることができる。
バリューはたかだか中級色音使いだ。その上、一般人が相手なのである程度の力加減をするだろう。炎の色音で、多少の火傷を負うだろうが、それはこっちに刃向い、自分をいらだたせた罰である。色音は許可なく使用することは禁止されているが、なに、こちらは三人だ。万一軍に見つかってしまった場合でもこちらは悪くはない。悪漢を退治すべく、仕方なく使用してしまっただけだと口裏を合わせればいい。
ぴぴぴっ、ぷーうう、う! 相変わらず気のぬけるような音を出して、バリューはリコーダーを思いっきり吹いた。
何を考えたのか、少女――いや、こんなに肝が据わった女は見たことがない。もしかしたら少年かもしれない――は、アウサーには見覚えのない形の剣を、目の前へと突き立てた。恐らく、それは剣だった。片方しか刃がなく、反対は潰れている。ゆるく弧を描いた刃はほんの少し力を加えれば、簡単に折れてしまいそうだ。
一体そんなもので何をしようというのか。色音がただの武器で対抗できる訳がない。音の中に色を見出す色音使いは、時に不思議な現象を生み出す。何もない場所から、水を生み出し、炎を作る。一般的な解釈として、色音使いは別の時空を無意識に感じる才能があるとされている。その無意識が、色として解釈されるのだ。色音と、ただの武器では、文字通り次元が、チャンネルが違う。
アウサーは失笑した。おそらく、彼女は田舎ものなのだ。色音とはなんたるかということすら認識していない、おのぼりさんである。これは可哀そうなことをした、と口元を押さえて、視線を逸らし笑った。こんな光景を見ていては、申し訳ない。象につまようじで対抗するようなものだ。腹がよじれて死んでしまう。ぷっぷー。
「あ、あああ、あう、あ、あ」
相変わらずバリューが気味悪く言葉を繰り返している。おいおい、もう終わったんだろ? お前は馬鹿だけど、無能ではないんだから、もっと自信を持つべきだ。そう言おうとアウサーは顔をあげた。なあ、そうだろう、と相棒のイーバムへと声をかけようとしたのだ。イーバムは、ぎょっとしたような表情で、ただ目を見開きの眼前を見つめていた。
いや、付き合いが長いアウサーだからこそ分かる変化である。彼はただ無表情だった。こいつは対処に困れば困るほど、表情が抜け落ちていくタイプなのである。イーバムは、ゆっくりと指をさした。
一体何が起こったのか、と眉をひそめながら、アウサーはイーバムが指をさす方向へと目を向ける。少女がいた。あのよくわからない奇妙な剣を床におろし、店主をかばうように立ちはばかりながら、じっとこちらを見つめていた。
どう見たって火傷一つおっていない。まさかバリューが色音を失敗したのか、と思ったが、彼女の足元で円を描き焦げている床を見ると、そうではないらしい。一体こいつは何をしたのだ。
アウサーは顔をひきしめ、イーバムを見つめた。イーバムはごつごつとした大きな手のひらをバリューの肩に乗せ、ぐいと後ろに引っ張る。「う、ああう」とバリューはふらふらと体を動かし、アウサー達の後ろへと下がった。その間にカノンはドアを素早く開け、店主である女性を扉の向こう側へ押し込む。
イーバムはポケットの中から二つの石を取り出した。それは彼の触媒だ。がつん、とためらうことなくイーバムは石同士を叩きつけた。
「茶の音……!」
イーバムが叩きつけた石から飛び出した、茶色い湿った土がカノンへと襲いかかる。イーバムの色音は茶色である。土を自在に操り、出現させる。大量の土で対象を圧迫させ、息の根を止める。
彼女が何をしたのか、飛びかかった土が妨げになり、アウサー達は確認することができなかった。ただ、何かがきらめいた瞬間、土はぱさぱさとカノンの足元へと円形に落ちて行く。バリューの火の子の焦げと同じ場所だ。サッとイーバムの顔色が蒼白に変わった。
「ひ、ひ、ひ、ひぎゃあ!」
アウサーの背後で、ばたばたとバリューが一目散に逃げていく音がした。無理もない。こんな人間が存在する訳がない。
「お前、何をした」
「ここいらで出て行ってもらえませんか」
「だから、一体何をしたんだ!」
アウサーは叫んだ。おかしい、ありえない。自分の中の価値観が、ガラガラと崩れ去って行く音がする。色音使いが、ただの人間に負けるだなんて。アウサーは、咆哮し、ためらうことなく腰から二本の剣を引き抜いた。彼は剣同士をこすり合わせる音で色音を作る。
「カノンさん、カノンさん!」
扉の向こうでは女店主が扉を叩いている音がする。どんどん、どんどん。カノンは構うことなく、奇妙な剣をアウサーへと向ける。そしてくいと片方の眉をあげた。かかってこい、そう言っている気がした。
ジャジャジャジャッ、と刃がこすれる、自分自身不快な音が響く。「これは――――」白の音。そう言い終わる前に、カノンはくるりと手元の剣を動かす。はっきりと、アウサーはその目で見た。そして気付いた。彼女の剣に、薄い魔力の膜が出来ていることに。カノンは剣で何かを切り裂いた。何かを。
――――俺の魔力を切っている!
自身の集めた魔力を、彼女は切り裂いている。アウサーの魔力は、情けなく四散して消えていく。彼はやけくそのようにただの二本の剣と化してしまった触媒を、カノンへと振りまわした。カノンはアウサーから逃れるように、右へと飛んだ。そして彼が破壊した机の破片をしゃがんで手に取り、フリスビーのようにアウサーの顔へと投げた。
「ぐッ……」
アウサーがそれを双剣で払おうとした瞬間、カノンは驚くほど彼に近づいていた。あの奇妙な剣ではなく、彼女はぐっと右拳を握り、アウサーの顎を狙う。脳味噌が揺れた。ぐるんと目の玉を回転させ、そのまま後ろに倒れ行く彼の目には、カノンに向かい、飛び込むイーバムの姿が見える。しかしながら、彼もアウサーと同じく返り討ちにされていた。
完璧に負けた。こんな子どもに。
何が上級色音使いだ。何がカラーシンガーになるだ。
彼はパタリと倒れ、思考が消える瞬間、「情けねぇ……」と静かに呟いた。
***
カノンは拳を握りながら、倒れた男二人を見下ろした。これでも腕には覚えがある。久しぶりの喧嘩だったが、まだまだ腕はなまっていないようだ。さて、もう大丈夫ですよ、と扉を開け、クルーエルを迎え入れようとした瞬間、「こ、ここここ、ここです!!」と奇妙にどもった男の声が聞こえた。
「ここここ、こいつがッ、こいつこいつがッ、色音を使いましたァ!!」
カノンの目の前に飛び込んできたのは、先ほどカノンを門前払いした役人だった。肩に黄色い鷹を乗せている。その後ろ、役人を盾にするように、バリューがおどおどと店内を見回し、倒れている男二人を発見し、「あひゃあ」と腰を抜かしてへたり込んだ。役人も、やっと状況を確認したのか、肩に乗っていた鷹へと、声高に叫んだ。
「犯罪者一名、発見! 街中での色音の使用を確認しました――!」
「確認シタァー!」と器用に人語を操り、バサッと黄色い翼をはためかせる鳥を見ながら、カノンはだらだらと嫌な汗を流した。
――――街中での色音の使用は禁止されてるの! これがもし軍に見つかったら、カノンさんは刑務所行きなんだから!
(……あっちゃー……)
今更クルーエルの台詞を思い出しても手遅れだ。扉を叩き、カノンの名を叫んでいる彼女に申し訳なかった。しょうがない。考えもなく暴れたのは自分の責任だ。カノンは剣を鞘の中に入れ、床に置くと、抵抗する気はないと言うように両の手を耳元辺りまでのろのろと上げた。
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