試論(「知らんけど」について)

森下 巻々

誰も知らないの美学

不図、「知らんけど」という物言いについて考えることがありました。整理がてら、少し書いてみようと思います。


これを考えるために本を机に積むというようなことはしていません。参考文献なしで書きます。


さて、私が「知らんけど」という結語をもった文章を見たのがいつであるかを考えると、数年前でツイッターを結構利用していたときではなかろうかと思う。


正直に言うと、腹がたった。

今でも好きじゃないし、自分では使いたくない言葉である。


何故、私は腹がたったのであろうか。

それはおそらく、突き放された感じを覚えるからである。

最初から距離を置いておかれているのではない。

興味を誘っておきながら、最後に突き放されるのである。

これは、何かを思ったよりもうまく説明できなかったり、結果的に意見を構成できなかったりして、苦し紛れに出てしまった言葉ではない。

何処かで、最後にこれさえ付け加えて置けばよいと感じながら、見切り発車でつぶやかれたものの結語なのである。


と、書いてみて、気づくことができた。

私は、この「知らんけど」のある文章の、無責任性に反応してしまっていたのだと。


無責任なつぶやきに腹をたてるなんて、馬鹿らしいね。

しかし、「知らんけど」は文章の最後に付されるのであって、読み始めてしまうことを、どうすれば防げるのだろうか。


やはり、そこがこの言葉のイヤらしいところである。

興味を惹かせるという点においては、いわゆる《釣り行為》と同じではないか。


「知らんけど」が乱立すれば《対話》は成立しなくなってしまう。


しかし、世の中は、それでよいと思っている人がむしろ多いのかも知れない。


「気軽に」発言する者どうしで成立する《会話》。内容の正当性は、誰も知らない。そして、それでこそよいのだということかも知れない。

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