僕とオバケン君とレイ

第25話 最後に一回だけ

***


 一方その頃千鳥家のお屋敷では――。


「お嬢様、お疲れになられましたか?」


 ベッドの上に足を投げ出して座る礼夏あやかに向かって、執事の長岡が目の高さを合わせるべく腰を落とす。


「宝地君とはどんなお話を? あぁいや、決して内容を細かく知りたいとかそういうことではなく」


 そう言ってぶんぶんと首を振る。


「ただ、初めてお会いしたとばかり思っておりましたので。何やらお知り合いのようなご様子で驚いたと言いますか」

「長岡さん」


 彼の言葉を遮って、礼夏は、「信じてくれる?」と尋ねた。


「お嬢様の言葉でしたら」


 何を、と聞かずに、長岡は即答した。


「でも、前は信じてくれなかった」

「前?」

「男の子が幽霊に付きまとわれてるって話をした時。わたし、霊媒師の先生を呼んでってお願いしたのに」

「だってあれはあまりにも――」

「これから話すの、それよりもすごい話なんだけど」

「えっ」

「それでも信じてくれる?」


 いまとなっては、あの時長岡が霊媒師を呼ばなかったことを感謝するしかないが、その時信じてもらえなかった点についてはやはり悲しい。また軽くあしらわれて終わりかも。そんな思いで、礼夏はギュッと拳を握りしめた。


「信じましょう」

「ほんと?」


 その場しのぎの嘘じゃなくて?


 恐る恐るそうも聞いてみる。

 普段の礼夏ならば、そこまで踏み込むことだってなかった。大人の言うことにただ黙って頷いてきたのだ。けれど。


「本当に信じてほしい話なの。ほんと、本当に」

「本当にです。あの時は申し訳ありませんでした。今度はちゃんと耳を傾けますから。信じられないようなお話が飛び出しても、ちゃんと受け止めますから」


 ゆっくりと、心に染み渡るような落ち着いた声で、そう答える。その声に勇気をもらって、礼夏は少しずつ話した。


 望遠鏡を覗いた先で見つけた『ユウ』という名前の男の子と幽霊達の話。彼らと遊びたくて本に載っていた幽体離脱を試してみたこと。それで幽霊になって遊んでいたこと。だけどそれのせいで身体に負担がかかってしまっていたこと。


 何の偶然か、その男の子がここを訪ねて来るようになり、一緒に幽霊達も来てくれて、自分を元気づけてくれたこと。


 それで今回勇気を出してみたことを。


「わたし、ユウのこと傷つけちゃったみたいなの。ずっと男の子の振りして、本当は幽霊じゃないのに幽霊の振りして、嘘ついてたから。それをちゃんと謝りたくて」

「お嬢様」

「長岡さん、ユウの電話番号とか知らない?」

「実は、宝地君は携帯をお持ちではないようで、伺っていないのです。一緒にいた大葉君の方でしたらわかるのですが。……でも明日また来てくださるのではないですか? 大葉君はまた明日も来ると」

「でも、ユウは来ないかもしれない。もうわたしのこと嫌いになっちゃったかも。どうしよう、長岡さん」


 泣きそうな顔で礼夏がそう言うと、長岡は、ぐぐっと眉間にしわを寄せ、「うーん」と唸り出した。しばらくの間そうしていたが、やっと絞り出すような声で、「お嬢様」と言う。


「その……、幽体離脱、というのは、どれだけ身体に負担が?」

「え?」

「例えば! 例えばですけれども、これが最後、ということで、二時間……いや、一時間だけ、ちょーっと抜け出す、というのは」

「え、っと。たぶんあと一回くらいならそこまでは……」

「本来であれば、お嬢様のお身体に障ることをお勧めしたくはないのですが……。宝地君とお話するだけなら。いかがでしょう」

「わかった! 長岡さん、ありがとう!」


 ぱあっと表情を明るくさせ、長岡の手を取る。それをぶんぶんと振る力強さに長岡は涙ぐんだ。


 そうと決まればのんびりしてもいられない、と、礼夏はベッドから下り、クローゼットの中に隠してある『レイ』の服を取り出した。


「お嬢様、そちらにお着替えなさるので?」


 その言葉にハッとする。


 自分はこれから、『レイ』ではなく『礼夏』として会いに行くのに、これを着て良いのだろうか、と。

 

 もう嘘はつかない。

 そう考え直して、服を元の場所にしまう。


「やっぱり、このままで行く」


 そう答えると、長岡は何も言わずに頭を下げた。


 身仕度を済ませてベッドの上に横たわる。


「長岡さん、あの、この部屋には誰も」

「かしこまりました。ドアに『お休み中』のプレートを下げておきます。酒井さんにも掃除は控えるようにと伝えておきますから」

「ありがとう。怪しまれるといけないから、長岡さんは普通にしててね」

「酒井さんは鋭いですからね。お嬢様、くれぐれもご無理なさいませんよう。一時間とは言いましたが、出来るだけ早くお戻りくださいね」

「わかった。長岡さん、あの、わたし、死んでるみたいになってるけど、絶対に大丈夫だから。絶対、絶対に遅くても一時間で戻るから」

「信じております、お嬢様」


 それじゃ行ってきます。


 そう言って、礼夏は目を閉じた。

 長岡が、その手にそっと触れる。

 さっきまであんなに温かかった手が、ゾッとするほどに冷たい。顔にも血の気がなく、礼夏の言う通り、まるで死んでいるかのようである。とはいえ、かすかに、本当にかすかに脈はあった。成る程、こういう状態なのかと、長岡は思った。


「お嬢様、どうぞご無事で」


 祈るように手を強く握ってから、約束通り、部屋のドアノブに『お休み中』のプレートを下げる。たまたま通りがかったメイドの酒井に「お嬢様は少々お疲れのご様子なので、大事を取ってお休みになられています」と伝えると、「あら、それでしたら、お掃除はお嬢様がお目覚めになられてからにしますね。せっかくだから、お菓子でも焼こうかしら。お嬢様、最近はよくお食べになるから」と声を弾ませて、くるりと踵を返した。


「今日はレモンケーキにしようかしら。夏だもの、さっぱりしたものが良いわよねぇ」


 るんるんとそんなことを呟きつつ去っていく背中に、長岡はほっと胸を撫で下ろす。これでもうこの部屋には誰も入らないだろう。そう確信を持って、礼夏の言葉通り、『普通に』過ごさねば、と考え、やりかけの庭木の剪定を終わらせてしまおうと庭へ行くことにした。何、たったの一時間なのだ、絶対に大丈夫。


 広い庭内を歩く途中で、ふとオバケンが見つけた小さなお社のことを思い出す。確かこのあたりの木の根元にあったのではなかったか、と思ったが、それはもうどこにもなかった。

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