第17話 実はすごい人達だった!

「お松さん、どうしてここに?」


 すそそそそ、と床を滑るようにして近付いて来たお松さんの顔は相変わらず真っ青だ。そこに、今日も鮮やかな赤い口紅が引かれている。


 お松さんはにんまりと笑って、わたしと目線の高さが合うように、腰を落としてくれた。


「いやぁ、何だか『レイ』に似てる子がいるなぁって思ってね。確かめに来たってぇわけさ」

「わたしが『レイ』だって、どうしてわかったんですか? だってわたし、ずっと男の子の振りしてて。ユウも誰も気付いてなかったのに。髪だってこうして――」


 と、長い髪を一つにまとめて、頭の後ろに隠す。


「ほっほ。お松さんを舐めてもらっちゃあ困るよぉ。帽子の中に隠してたろう? あんなのはね、女にはバレバレさぁ。男共はまーったく気付いてなかったみたいだけど。襟足の毛の流れもそうだし、帽子だって後ろ側が不自然に膨らんでた。あたしに言わせりゃあ、何で男共が気付かないのか、ってぇ方が不思議だよ」


 そう言って、けらけらと笑う。

 

 そうだったんだ。

 お松さんには最初からバレてたんだ。


「ご、ごめんなさい。騙してて」

「なぁに謝るこたぁないんだよ。何か事情があるんだろ?」

「あの、わたし、どうしてもユウと、ユウ達と友達になりたくて。ずっと友達がいなかったから。だけど、ユウが女の子とは緊張して話せないって言ってるの聞いて、それで」

「そうだったんだねぇ。いやぁ、ユウはまだまだ子どもだからねぇ」


 もうちょいしたら、女のケツばっかり追いかけるようになるってのにさぁ、なんて言って、あっはっは、と手を叩く。でもわたしが笑ってないのを見て、コホンと咳払いをし、「ちょいとこれはレイには通じなかったかねぇ」と真顔になる。


「しかし、まさか人間だったとはね。こいつぁ松代姉さんもびっくりだよ、レイ」

「わたし、身体が弱くて、外をあんまり出歩けないんです。それで、幽体離脱っていうのをやってみたら、成功して。幽霊になったら、全然疲れないし、たくさん遊べるから」


 話しているうちに、じわじわと涙がにじんでくる。それをゴシゴシと拭っていると、「およし」と止められた。


「そんなに強く擦っちゃあ、腫れちまうよ。せっかくのべっぴんさんが台無しだ。大変だったねぇ、レイ。寂しかったんだねぇ」


 ひんやりする手で、優しく頭を撫でてくれる。そんなことをされるとますます涙が出て来ちゃうよ。


「わた、わたし、ほんとはレイなんて名前じゃなくて、ほん、ほんとは『礼夏あやか』っていうんです」

「そうか、そいつも良い名前じゃないか。まぁ、あたしらにしてみれば『レイ』の方が馴染みがあるがねぇ」


 お松さんはそう言って、やっぱりけらけらと笑った。それで、ひとしきり笑った後で、ぱちぱちと大きく瞬きをし、わたしをじぃっと見た。


「なぁレイ。ここ最近急に体調が悪化したんじゃないかい? あたしらに会いに来られなくなったものそれが原因だったり」

「そ、そうです。わたしはずっと調子が良いと思ってたんですけど、でもそうじゃなかったみたいで。それで、酒井さんと長岡さんがつきっきりになっちゃって」

「成る程、そういうことかい。急に悪くなったのは、その『幽体離脱』が原因だね」

「えっ」

「だって考えてもご覧よ。身体から魂を抜くんだよ? その間、その身体はどうなってると思う?」


 そう言われて思い出すのは、一番最初に幽体離脱をした時に見た、自分の姿だ。まるで死んでいるようだった。それに、わたしだってちゃんとわかってる。魂が抜けているわけだから、死んでいるのと同じだって。だからこそ、酒井さんと長岡さんに見つからないようにしていたのだ。


「えっと、死んでる時みたいに……」

「実はね、死んじゃあいないんだ。心臓だってかすかには動いてる。ほんとかすかにね。何せ魂はね、見えないくらいに細い細い糸でギリギリ繋がってる状態なんだ。わかるかい?」

「はい」

「ただでさえ身体が弱ってるところに、そんなことを頻繁にやってたら負担がかかって当然さ」

「そう、ですよね」


 しょんぼりと肩を落とす。

 じゃあもし、あの時幽体離脱なんてしないで、望遠鏡で覗くだけにしておいて、そうして身体をすっかり良くしてから、ユウと会っていたら――、いや、それはきっと無理だ。それだと何年かかるかわからない。きっと大きくなったら、男の子の振りだって難しくなるだろうし。女の子のわたしでは、ユウはきっと友達になってくれていない。


「だからね、幽霊になろうなんて馬鹿なことは考えないで、まずはゆっくり身体を休めな? そしたら――」

「駄目なんです」

「何?」

「そんなこと、言ってられないんです」

「どうしたんだい?」

「わたし、九月になったら、東京の大きな病院に入院するって決まってるんです。だからここにはあともう一ヶ月もいられなくて」


 だから絶対に間に合わない。ちょっと元気になったくらいじゃきっと、奥村先生だって「これなら入院しなくても大丈夫」なんて言ってくれないと思う。


「それじゃあどうするっていうんだい? ここで無理をしてもっと身体を悪くして、最悪死んじまって、それであたしらの仲間になるってぇのかい?」


 お松さんが困ったように首を傾げる。


「そっちの方が良いかも」


 そんなことをぽつりと言うと、お松さんはわたしの手に触れてきた。ゾッとするほど冷たい手だ。ただ冷たいだけじゃない。どうにも説明が出来ないけれど、すごくぞわぞわして、何だか嫌な気持ちになる冷たさっていうか。初めてわたしの手に触れた時、ユウもこんな風に思ったのかな。それでもユウは嫌な顔なんかしなかった。ぎゅっと強く握ってくれた。とてもあったかかった。


「そんなこと言うもんじゃないよ、レイ。あんたの手はまだこんなにあったかいじゃないか。レイにはね、あったかい血が流れてるんだ。心臓も動いてる。あたしらがどんなに願っても手に入らないものをアンタは持ってるんだよ」

「でも、わたし、ユウと遊びたい。べーやんさんと、お松さんと、ザエモンさんと、皆で遊びたい。こんな生活なんてもう嫌」


 お松さんが言うことだってわからないわけじゃない。

 お松さん達からしてみれば、幽霊でいることよりも生きてる方が何倍も良いに決まってる。


 だけど、ずっとこのままだったら?

 わたしの一生、ずーっとベッドの上だったら?


「レイ、ザエモンが死んだ時のことを覚えてるかい?」

「はい。えっと、敵から逃げてる時に階段から足を滑らせて、って」

「そう。ザエモンは城に仕える武士だ。本当なら、そんな風に逃げるのだって許されないんだよ」

「でも」

「ザエモンは逃げた。『命さえ残っていれば、どうにでもなる』ってね。――まぁ、結果として死んじまったけど」


 わかるかい、とお松さんは言った。

 わかる、って何がだろう。そう思って、首を傾げる。


「命ってぇのは、そういうもんなんだ。残ってさえいれば、次の道がある。必ずあるんだ。もしザエモンがうまいこと逃げおおせていたら、しれっと別の城に仕えて、そこで名をあげて、歴史の教科書に載るような武将になっていたはずさ」


 くくく、と愉快そうに笑って、「アイツ、あれで剣の腕は確かなんだよ。誰もが知ってる剣豪をちょちょいと負かしたことだってあるんだ。そいつの名前はね……」とその『剣豪』の名前をこっそり耳打ちしてくる。嘘でしょ? わたしでも知ってる人だよ!? 思わず、「そうなんですか!?」と声を上げると、「口ほどにもなかったでござるって笑ってたよ。そうは見えないだろ?」とお松さんは、ぱちんと片目をつぶって見せた。


「それにね、べーやんだってそうさ。いまでこそあんなんになっちまったけどね、実はべーやんは、もしかしたらオリンピックの代表に選ばれてたかもしれない、ってくらいの陸上選手だったんだよ」

「えっ?!」

「ほっほ。人は見かけによらないんだよ」


 ザエモンさんもびっくりだけどべーやんさんにもびっくりだよ。そんなすごい人達だったの?!


「だけど、大事な記録会の直前に膝を壊しちまってね。それでやけを起こしてグレちまったんだ。元々、任侠映画っていうのかね、そういうのが好きだったみたいだけど。で、慣れない小刀ナイフを振り回して――っていう」

「あぁ……」


 あんなに明るく話してくれたけど、まさかその前にそんなことがあったなんて。


「べーやんだってね、あそこでやけを起こさないで、ちゃんと膝を治していたらね、オリンピックは無理でも、何か別の道があったかもしれないんだ。幽霊になったばかりの頃はそれはそれは悔やんでいたんだよ。もっと走りたかった、ってねぇ」


 だから、生きるんだよ、レイ。

 生きていれば、必ず次の道があるんだ。


 そう言われ、わたしは、こくん、と頷いた。


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