第18話 人間に戻った気分

「とにかく、話し相手くらいならいくらでもなるから、やれるだけのことはやってみようじゃないか。少しでも回復の兆しがあったら、まだ可能性はあるんじゃないかい?」

「それは――そうかもですけど」

「気を強く持つんだよ、レイ。病は気から、って言うじゃないか」


 それは確かにそう。

 もしかしたら、あの時ご飯をたくさん食べられたのだって、そういうことかもしれない、なんて思った。身体はものすごく弱っていたはずなのに、あの時はどういうわけか、毎日気持ちだけは元気だったし、ご飯ももりもり食べられたのだ。長岡さんも酒井さんもわたしがあまりにも元気だったから、身体が弱ってることに気付いてなかったみたいだし。


「さて、長居も出来ないから、これくらいでお暇しようかね」

「もう行っちゃうんですか?」

「そんな顔しなさんな。また来るさ。そうだ今度はあのうるさい二人も連れて来るよ」

「ほんとですか?」

「もちろん。言ったろ? 病は気から、だ。負けるんじゃないよ、レイ。一ヶ月しかない? 違うね、一ヶ月あるんだ。なぁ、良いことを教えてやろうか」


 そう言って、お松さんはうんと悪い顔をし、わたしの耳元でこっそりと言った。


「自慢じゃないがあたしはね、たった一週間かそこらで五きん目方めかたを増やしたことがあるんだ」

「目方……って、確か、体重、でしたっけ。それを五……きん? ですか?」

「あぁそうか、いまはそう言わないんだったねぇ。ええと、そうだねぇ、まぁ体重をだいたい三キロくらい増やしたってことかねぇ」

「一週間で三キロも!?」

「いやぁ、餅が美味くってねぇ」


 さすがにあの時は帯が足りなくなるかと思ったよ、なんて言って、楽しそうに笑う。えぇ、お餅ってすごい……。


「まぁこれは極端な話だけどね。でも、人間、やろうと思えば出来ちまうこともあるのさ。いまちょっと話しただけでも、こんなに表情が良くなったんだ、この調子で行けば、どうにかなるかもしれないよ?」

「……良くなりましたか?」


 信じられない、と思いながら、ほっぺたをふにふにと揉んでみる。でも確かに、こんなに楽しくおしゃべりしたのだってずいぶん久しぶりだ。長岡さんや酒井さんとも会話はするけれど、ただの挨拶だったり、相槌を打つ程度だったから。


 もしかしたら、と思った。

 もしかしたら、また元気になれるかもしれない。


 そう考えると急にお腹が空いてきて、きゅる、と鳴った。それに気付いたお松さんが「そら、レイの腹の虫も飯をよこせって騒いでるよ」と笑う。


 お腹の音が聞かれちゃったのは恥ずかしかったけど、ここ最近はこんな音だって聞いてなかった。


「ほ、ほんとは、ユウにもすごく会いたいの、わたし。会ってお話したい。また一緒に遊びたい」


 お腹の虫の声に勇気をもらった気がして、そんな言葉がポロリと出る。お松さんはちょっとびっくりしたような顔をしたけど、すぐににんまりと笑顔になった。


「もし、もうちょっと元気になって、自由に歩き回れるくらいになったら、そしたら――」


 そのタイミングで、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。きっと酒井さんだ。話が中断しちゃったけど、お松さんには伝わったらしい。小さな声で「そうだね。その時は」と囁いてくれた。


「お嬢様、スイカをお持ちしました」


 ノックはやっぱり酒井さんで、わたしが返事をする前にドアが開く。わたしの声がそこまで届かないとわかっているから、返事を待つだけ無駄なのだ。これまではそれでも全く不便がなかったから別に良いんだけど。でもいまはお松さんが――と考えたけど、そうだ、酒井さんにはきっと見えない。だから問題はないはず。


「よく冷えていて美味しいですよ。――あら」


 一口大の大きさにカットしてガラスの器に盛ったスイカをサイドテーブルに置いた酒井さんが、わたしの顔を見て目を丸くした。


「お嬢様、何だか顔色が良くなったんじゃありません?」

「えっ、本当?」

「ええ、ええ。それに何だか声にも張りがあるような……?」


 そう言うと酒井さんは、ちょっと失礼しますね、とわたしの手を取った。スイカを切ったばかりなのかその手は冷えていたけれど、お松さんの時のようなぞくりとする冷たさではない。そして、わたしの手をきゅっと握って、「あぁ、手も温かい。今日は調子が良いみたいですね」と嬉しそうに目を細める。


 その彼女の背中越しにお松さんが「だろ?」とでも言いたげな顔でわたしに向かって目配せをして来た。それにわたしも瞬きで返事をした。


「酒井さん、わたし、今日はいつもよりもちょっとだけたくさんご飯食べられそうかも」


 おずおずとそう言ってみると、酒井さんは、「あらあら!」と飛び上がった。


「そうですかそうですか。それじゃあ張り切って準備しないとですね! さぁさ、スイカも冷えてるうちに」

「ありがとうございます」


 小皿にスイカを取り分けてくれる酒井さんをよく見たら、目の端にうっすらと涙が浮かんでいた。ものすごく心配してくれていたのだ。いつも長岡さんと言い合いをしているけれど、それもこれもわたしを思ってのことなんだろう。ついつい反発してしまいそうになってごめんなさい。


 しゃく、とスイカを一口かじる。甘くて冷たくてとっても美味しい。それをそのまま口にすると、酒井さんは、何度も何度も良かった良かったと感激して、「それなら夕ご飯のデザートにも出しましょうね」と泣きそうな顔で笑った。


 どうしてそんな顔をしてるんだろうって思ったけど、そういえば、ここ最近ずっと美味しいなんて言葉も伝えてなかったことに気付く。何を食べても全然味なんかしなかったのだ。何だかずいぶん久しぶりに『人間』に戻った気分。それを思い出させてくれたのがお松さん幽霊だっていうのが何だかおかしいや。

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