星喰みの女神・外伝

粒安堂菜津

0話 退治屋


 埼玉県H市 私立那華都なかつ大学に職員として勤める「秋津 葵」は、終業時間が憂鬱だった。

 教務課に配属されている葵に残業はあまり無く、暇を持て余す友人も少ない。時間を潰す為に独りでカフェなども気後れするタイプなので、自然と構内を散歩してから帰宅するという事になってしまう。


 5月後半の構内は、夕方でも比較的に暖かく、葉桜も美しい。元々、散歩好きというのもあって心が癒される。


 ベンチに座り、葵は深いため息をつく。

 彼女を悩ませているのは、所謂「怪奇現象」または「心霊現象」といった類のものだ。

 「怪異」とも云うとネットで知ったが、そちらの呼び名の方が、幾分マシかなと思う。自分自身が他人から聞かされれば、鼻で笑ってしまう様な話だけに、誰にも相談出来ないでいた。


 そんな中、とあるSNSで「織神おりがみ」と名乗るアカウントを見つけた。

 プロフィール画像は可愛らしいピースサインの少女だったが、自己紹介文には『怨霊怪異、魑魅魍魎ちみもうりょう、お困りならば相談無料、退治有料、織神ちゃんと、その従者が即解決』と書かれていた。

 半信半疑ではあったが、頼ることも相談することも出来ずにいた葵は、藁にも縋る思いでダイレクトメッセージを送った。

 

 しばらくすると織神から「承った」とひと言、返信が来た。


 それから2日経ったが、織神からの音沙汰はない。


「まあ、そうだよね…」


 呟き、スマホから視線を外すと、いつから居たのだろうか、少女と青年が佇んでいる。

 葵は少女に見覚えがあった。何せ、今見ていたSNSのプロフィール画像そのままの顔なのだから。


「よお、待たせたな、織神じゃ」


 よく響く澄んだ声と、満面の笑みで少女は名乗る。

 織神と名乗る少女は、どう見ても10歳前後にしか見えない。しかし、佇まいは妖しげな色香をまとった魔女のよう。

 腰まで伸びた黒髪、白く透き通った肌、切れ長の目。

 大正時代の女学生のような袴姿に黒いケープを羽織り、茶色のブーツを履いている。

 純真無垢な笑顔と妖艶媚態ようえんびたいな立ち振舞いに圧倒される。


「ど、どうも」


 何とも間の抜けた返しをしてしまった。葵は顔を真っ赤にしながら隣の青年に視線を移す。

 10代後半から20代前半といったところだろうか。

 ぼさぼさの髪で目が隠れがちだが、顔立ちは美しい。黒いトレーナーにジーンズとシンプルな服装が似合い、モデルのような体型だ。

 目が合うと、青年はにっこりと笑い。


「驚かせてすみません。『あおいーな』さん、ですよね」


 面と向かってハンドルネームを呼ばれた事が無かった葵は、これは意外に来るものがあると痛感した。次の機会があるなら、呼ばれても大丈夫な名前にしよう。


「は、はい…あお…いーな…です」


「良かった。アヤが間違えてたらどうしようかと思ってまして」


「アヤではない、ワシは退治屋 織神じゃ!」


「わかった、わかった。それで、『あおいーな』さん、貴方に悪さをする霊がいると言うことなんですよね?」


「…はい…そうです…あ、あと秋津と呼んで下さい…本名です」


「わかりました。秋津さん、ですね」


「まあ、ワシらが来たからには大丈夫。勝ったッ! 第3部完! じゃ。わーっはっはっは!!」


「露骨な敗北フラグはやめろ。ところで秋津さんは、ここの大学の職員さんですよね」


「あ…はい、そうですけど…」


「なるほど、なるほど、俺は星宮ほしみやと言います。時に秋津さんは今、お付き合いし…ぶふぉ!!」


 織神が少女とは思えぬ力と速度で星宮と名乗る青年にラリアットを放った。

星宮は綺麗な弧を描いて吹っ飛んでいく。


「え…?」


「なに、気にするでない。奴の発作を止めたまでよ」


「発作、ですか」


「うむ、発作じゃ。そんなことより、ちょいちょい」


 織神がしゃがむよう手招きする。

 葵が屈みこむと、コツンと額を指先で弾いた。


「これで、お前に害が及ぶことはなかろう。今晩中には片付けるゆえ、泥船に乗った気持ちで待っておれ、わーっはっはっはー」


 自身よりひと回り以上も大きな星宮を引きずりながら去って行く姿を、ただ茫然と見送った。


「泥船は、ダメじゃないかな?」





 深夜、葵はアパートのベッドの中でうずくまっていた。

 織神は今日中に片付くと言っていたが、本当なのだろうか。

 ベッドの脇には、男の亡霊が立っている。何時もは、おぼろげな影だったのに、今日は、はっきりとした輪郭で現れ、何かをカリカリと噛んでいる。目は眼球が無く空洞で、何処を見ているか分からない。

 もうひとつ、何時もと違うところがあった。

 今までは、ベッドの足元に黒い人影が立つだけ、だったものが、今は手を伸ばし、葵に触れようとしてくる。その都度、手は何かに弾かれているようなので、今のところ無事だった。

 亡霊は、手が弾かれる度に、「アッ、アッ、アッ、アッ」と呻きながら、何かを噛んでいる。そんな事が延々と繰り返され、葵の心は限界を迎えそうだった。


 カリカリ、カリカリと噛む音が響く。そっと窺うと、亡霊は、こちらを覗き込みながら、自分の指を齧っていた。血が溢れる度、「アッ、アッ、アッ、アッ」と呻きながら。


 身体が硬直し、胃が逆流しそうになる。

 逃げ出したくとも、足に力が入らない。

 いつまで耐えたらいいのだろう、何で私だけ、心が削れる、どうして、頭の中が混乱する。



「なんじゃコイツ。自分の指を喰っとるぞ! キモッ!」


 織神が扉の前で仁王立ちしていた。後ろで星宮が小さく手を振っている。


「アッ! アッ! アッ! アッ!!」


 亡霊は織神に向かいヨロヨロと小走りに駆け寄るが、その刹那、少女とは思えぬ速度で足を払い、転倒した亡霊の胸を踏みつける。少女の押さえつける力は相当なものであるのか、身動ぎするも、亡霊は拘束から抜け出せない。


「齧るなら、ソーセージの方が美味いぞ。…さて秋津、こいつをどうする?」


 織神は踏みつけたまま上体を屈め、亡霊の顔を鷲掴みする。


「ヴゥ、ヴゥ」


「どうする…とは?」


 呻く亡霊から目を逸らし、葵は織神に聞く。


「若い女に執着し、覗き見るだけでは飽き足らず、力を付け、欲に任せて襲い掛かる変態亡霊。ワシらにとって、こんな小物はどうでも良い。だが!! お前にとってはどうなのじゃ? 消すかっ!! 消さぬかっ!! 地獄の沙汰も金次第、退治するなら50万!! せぬなら、このまま続きをどうぞじゃ。さあ選べっ!!」


「ごっ…50万……お願いします、退治してくださいっ!!」


「毎度ありなのじゃ! 賢明じゃな」


 織神は満面の笑みを葵に向ける。星宮は苦笑いだ。


「さて、亡霊…いや怨霊か。おい怨霊、おのれに選択肢をくれてやろう」


「ヴゥーッ、ヴゥーッ、ヴゥーッ、ヴゥーッ」


 呻く怨霊に織神は残酷な笑みを浮かべる。


「選択肢はのう、消滅か……より完璧な消滅じゃ!!」


「ヴゥッ!! ヴゥッ!!」


「わーっはっはっは…ウゲッ!…何をする!!」


「調子に乗り過ぎだ」


 星宮の拳骨げんこつに織神は涙ぐむ。何時、つけたのか、星宮は青白い炎をまとった狐の半面で顔を覆っていた。


「舌を噛むところじゃったぞ」


「千切れても生えるだろ?」


「生えるかッ!!……生えるか?」


 星宮は、軽口をたたきながら亡霊を狐面きつねめん越しに見下ろす。薄く、青白く輝く炎を纏う狐の半面は、どこか神聖で、研ぎ澄まされた日本刀のような雰囲気を醸し出しているようだ。

神聖で、厳かで、いとも簡単に、正邪を問わず両断する刀。


「アヤ、後は俺がやるよ」


「ワシは退治屋 織神じゃ!」


「わかった、わかった……さて怨霊さん、俺からも選択肢だ。改心して自らこの世を発つか、最後まで抗うか…選べ」


 狐面は冷たく怨霊を見下ろす。


「アーッ! アッ、アーッヒャッヒャヒャ」


 動けない怨霊は、憎悪を込めて星宮を睨み、そして笑い出す。部屋中に響き渡る怨嗟えんさの笑いに、葵の身がすくむ。


「そうか…残念だよ」


 そう言うと、怨霊の頭に手をずぶりと差し込む。


「ギュッー! ギャッ!」


 途端、怨霊の全身を青い炎が包み込み燃え上がり、織神が飛び退く。


「あっぶな! ワシまで焼く気か!」


「あ、ごめん、でも大丈夫だろ? お前なら」


「無論!!」


 仁王立ちで鼻を鳴らす。


「ヴァッ!! ヴォンナッー! ヴォンッ…お、女ァッ!!」


 青白い炎に焼かれたまま葵に躍りかかる様は正に狂気だった。

 飛びついては弾かれ、飛びついては弾かれを繰り返され、葵の顔は引き攣る。


「女ァッ! 女ァッ! オデッ、オデノ! 女ァッ!」


「あっちへ、こっちへと鬱陶しいのう」


 織神が右手をかざすと、ケープの中から4本の帯が飛び出し、怨霊に巻き付き拘束する。

 帯は焼けず、織神の意志で自在に動かせるようで、拘束した怨霊は宙吊りにされた。


「そこで大人しく焼かれとれ」


「ヴァッ!! ヴァーッ!! アッ、ああ、アア、嗚呼、あ、ア、あつ熱いあついアツイ熱い熱い熱い熱い熱い」


 正邪を問わず両断する刀。

 炎に包まれ、のたうち回っていた怨霊の動きが止まった。


「ヴヴヴヴゥ、イヤ…ダ、オ…ンナ…お、女ァアアアァ!!」


 未練、欲望、悪意、恨み、総て塵となり燃え尽きる。同時に狐面も燃え上がり、消えた。


「ゴキブリみたいな消え様じゃったの」


「魂は嘘つかないからね…あんな風にはなりたくないね」


「いや、ワシはお前が死んだら、ああなると思うぞ」


「ならねえよ。…葵さん、大丈夫ですか?」


「もう、ほんと…うに、怖かった」


 立ち上がろうとするが、恐怖により足に力が入らず、倒れこんでしまう。


「もう大丈夫。完全に消えました。そうだ、これ、どうぞ」


 手渡されたのは、白い丸石が連なるブレスレットだった。


「これは?」


「魔除けです。持っているだけでも、あの程度なら寄せ付けません」


「あ、ありがとうございます」


「ところで、葵さん、実は俺、那華都大学の生徒なんですよ。それでまだH市に慣れてなくて。今度、是非、一緒にーーッゲッフウ!!」


 織神の正拳突きが、星宮のみぞおちを正確に抉る。


「発作じゃ」


「発作ですか…」


「不治の病じゃ。さてワシらは、これで帰るでの。戸締りはしっかりの」


「はい、何から何まで、ありがとうございました」


「気にせんでよい。代金はしっかり貰うからの。…あぁ、そういえば連れが迷惑かけたのぅ、仕方ないのぅ、代金は5万でよいぞ。ちゃんと払えよ、ではの」


 織神は星宮を引き摺りながら部屋を去る。まったく、ワシという妻がありながらコヤツは等々、ぼやきながら。


「…妻? 許嫁…? まさかね」


 女の子の可愛い夢かな? と思う葵であった。


 寝室を見渡す…さっきまでの事が嘘のようだと思い、ホッと息を吐く。そして、織神から口座を聞くのを忘れていたと、慌ててDMを送った。


 しばらく待つと織神から「ゲンナマ オンリーじゃ。後日回収に行くから用意しておけ」と返信が来た。そして、1分もしないうちに「カオルが来ても渡すなよ(厳命)」と続いた。


 カオル君って言うのか…葵はブレスレットを握りしめて微笑む。


 秋津 葵の怪異は終わった。

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