第52話

 ローズには恋人がいた。

 ゴルバード公爵家で下男として働いていた男と恋仲になってしまったのだ。


 ローズ自身は互いの身分なんて気にせず、自分が平民になってもいいから下男と添い遂げたいと思っていた。しかし、父の上昇志向を知っているローズはなかなか打ち明けられずにいた。


 ローズと下男は誰にもバレないように合図をしあったりして、密かに逢瀬を重ねていた。

 誰にもバレないようにしていたのに、ある日、下男との仲を父が知ることとなってしまった。


 父は激怒し、下男を地下牢に監禁。

 ローズにはマリアベルの侍女として王宮へ行き、マリアベルに毒を盛るように命令した。


「そんな恐ろしいことはできません!」

「では、入手した毒をそのままにはできないからな。下男に飲ませることにしよう」

「なっ!?なんてことを仰るのです!?おやめください!」

「婚約者候補に飲ませるか下男に飲ませるか、どちらにする?婚約者候補に飲ませるなら、下男の折檻もやめてやろう。しかし、できないというのなら……奴はいつまでもつだろうな?―――私はあの男が死のうが構わないのだぞ」


 冷たい目で地下牢のあるほうへと視線を動かす父を見て、父の本気を悟ったローズ。


「……わかり、ました。私が毒を盛ればやめてくださると約束してください」

「いいだろう」


 そうしてマリアベルの侍女となったローズだったが、マリアベルに毒を盛る指示はなかなか出されなかった。

 狡猾な父は、すぐに毒を盛ると怪しまれるから早くても三カ月は待てと言うのだ。


 そして、初めて毒を盛るように指示された日、ローズは毒を盛ることができなかった。

 三カ月もの間、毎日マリアベルと接していたのだ。

 マリアベルの為人を知り、マリアベルの純粋さや優しさを知った。

 マリアベルが少しでも嫌なところのある女だったら、少しは気が楽だったかもしれない。


 父からは、致死量ではなくただ体調が悪くなって長くても一日寝込む程度だ――と聞かされていたが、それでも毒を盛ることが恐ろしかった。


 ローズが毒を盛らなかったと知った父は、ローズを下男が入っている地下牢に連れて行った。

 数カ月ぶりに会う下男は痩せていたものの、見た限りでは外傷もなく元気そうだった。

 父は約束通り下男の折檻をやめてくれたのだろう。


 久しぶりに顔を見ることができたと一瞬喜んだローズだったが、父の命令によりローズの前で下男が突如折檻され始めたのだ。


「っ!ぐあっ!!くっ!」


 石作りの地下牢は音が響く。

 鞭がヒュンと撓る音。ビシッバシッと鞭がぶつかる音。

 そして、下男のうめき声が、ローズの耳に鮮明に届いてしまう。


「やめて!やめてください!おねがい!やめて!」

「言うことを聞かないと罰を与えられるものだろう?しかし、私はお前を愛しているからな。お前の代わりに奴に罰を受けてもらうことにした。互いに愛があるのだろう?ならば代わりに罰を受けるのも本望だろうよ」

「やめて!言うことを聞くから!聞きますからやめてください!」


 そして翌日、ローズはマリアベルに毒を盛った。


 すぐに毒の効果が表れる訳ではなく、徐々にマリアベルの顔色が悪くなっていった。

 マリアベルが体調を崩していく姿に、血の気が引いていくのを感じる。

 ついにマリアベルが目の前で倒れたのを見て、体が震えた。


 絶対にバレると思ったが、高位貴族の令嬢が目の前で人が倒れるところを見れば動揺もするだろうとして、気を遣われるばかりで誰にもバレることがなかった。



 最初に毒を盛ってから一カ月ほどは次の指示がなかったが、またすぐに次の指示が来た。

 初めの頃は月に一度が、次第に二週に一度になった。

 毒の量も次第に増えていく。

 けれど、マリアベルは常に人に囲まれているため、指示通りに毒を盛れないこともあった。


 指示通りにいかないことが何度か続いた直後、ローズの付き添いの侍女が子供の頃から付いてくれていた侍女ではなくなった。

 すると、ローズが毒を盛るのを断念した日にもマリアベルが体調を崩すようになった。


 いつしかローズが王城からタウンハウスに戻っている時間帯にもマリアベルは体調を崩し始める。

 父が厨房に協力者がいると言っていた。

 それなら最初から協力者に……と思ったが、もう自分の手は汚れている。


 恐ろしさに押しつぶされそうになったころ、南の国の王女が王太子の婚約者に内定し、ローズは解放されたのだった。


 王太子妃を狙えなくなったので、野心家の父なら国内で出来る限り良い相手をすぐにでもあてがうのだろうと思っていた。そうなれば父に従って嫁ぐのも仕方ない。


 でも、そうなったら下男はどうなってしまうのかと心配だった。

 父の指示から解放されても下男とは会わせてもらえなかった。目を盗んで地下牢へ行こうとするも、必ず監視に気付かれていた。


 そんなある日、父から地下牢へ行く許可が出た。

 なんとか下男に会おうとする娘に同情したのだろうか。

 どんな理由であれ、漸く会えることに喜んだ。


 下男はずっと地下牢にいるために白く手足が痩せていたが、きちんと食事は与えられているようで安心した。

 下男もローズの姿を認めると嬉しそうに微笑んでくれ、以前と変わらぬ笑顔だった。


 地下牢の中と外で束の間の逢瀬をしていると父がやって来た。


「ローズ、お前に頼みたいことがある」


 そう言ってまた無情な命令を下された。


 この命令に従わなければ下男は今度こそ殺されてしまうかもしれない。

 けれど、命令に従えば間違いなく国際問題に発展する。

 最悪戦争となり、何の罪もない人たちが犠牲になるだろう。


 不安そうな下男と視線が交差する。

 ローズはどうしたらいいのかわからなくなった。


「ごめ……なさい…………」


 消え入りそうな声で発せられたローズの言葉は誰に向けたものだったのか…………

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