第45話
イザベラが侍女を呼んでくると慌ただしく出て行って、私とダニーがポカンと開けっぱなしになったドアを見つめていると、寝室の方から物音がした。
王族の近衛騎士でもあるダニーが、動かないように目くばせをしてくる。
ダニーはサッと立ち上がって寝室のドアの横に立つ。
カチャリと静かに寝室のドアを開け、そっと中を覗く。
「あ。え?」
「え?なに?どうしたの?誰かいたの?大丈夫?」
「うん。大丈夫」
そう言ってダニーは寝室に入っていった。
一分もしないうちに、ダニーがお仕着せ姿の女性を連れて出てきた。
その女性は、私にも見覚えのある王宮のハウスメイドだった。
「俺たちが来る前にこの部屋を使っていたやつが、夜会開始前から酔って寝室の床やベッドにワインをこぼしたらしい。それで彼女が掃除していたら、我々が来たんだって。出るに出られずにいたらしい。イザベラは空室の札だけ見て、奥まで確認しなかったのかな?」
「そうだったの。困らせたわね、アン」
「! 私の名前を憶えていてくださったのですか」
「えぇ。もちろん。いつも王宮を綺麗にしてくれてありがとう」
アンにお茶を入れてもらって、そんな感じで三人で話をしていると、いきなりバーンとドアが開いたのだから驚かないほうが無理だろう。
とにかく今は、イザベラが奥の部屋を確認していなかったことが幸いした。
「イザベラは相談があると言っていたけど、嘘なのね?でも、チョコレートに媚薬なんて入っていないと思うわ。この通りなんともなっていないもの」
「マリー。チョコレート自体が媚薬と言われているんだ」
ライオネル様が少し思案したあと、テーブルの上にあるチョコレートを見ながら口を開く。
「最近西の国から入ってきた菓子に媚薬効果があるとして、娼館などで用いられていると聞いたことがある。それがそのチョコレートという菓子なのだろう」
「え?でも、私は小さい頃から食べていたけれど何かなったことなんてないと思います。ダニーもよね?」
「そうだね。子供の頃スワロセル公爵家へ遊びに行ったときにはよくご馳走になったな。ハリストン卿がおっしゃった娼館で流行っている媚薬の話は聞いたことがあるが、それがまさかチョコレートのことだとは知らなかった」
「マリーは小さい頃から食べていたのか?チョコレートは最近西の国から輸入されるようになったはずだが」
「母が西方の国の出身なので。母も昔から食べていた好きなお菓子だからと実家から定期的に送ってもらっていました。砂糖が多く含まれているから日持ちするらしく、纏めて送られてきていて、少しづつ食べるのが楽しみでした」
「なるほどな。ということは、幼い頃から食べていたために耐性ができているのかもしれないな。毒でも媚薬でも慣らせばある程度耐性を付けることはできるからな」
チョコレートが娼館で媚薬として用いられていると聞いて、イザベラが私とダニーが不貞をしていると声高に叫んでいた理由がわかった。
媚薬効果のあるチョコレートを二人とも食べたのを見て、絶対にそうなっていると信じていたのだろう。
思惑通りに事が進まず、何をしようとしていたかがバレたイザベラはあっさりと白状した。
イザベラは昔から、公爵令嬢で何不自由なく育っているマリアベルが妬ましかった。
父親は同じ公爵家出身のはずなのに、自分はあまり裕福ではない低位の男爵令嬢。
小さい頃から欲しいものもあまり買ってもらえず、何でも持っているマリアベルがいつも羨ましかった。
成長すると男爵令嬢の自分にはまともな縁談も来ない。
かたやいとこは将来の王妃を約束されたようなもの。
マリアベルが婚約者候補を外されて、公爵家も自分の父が継ぐことになったときはとても気分が良かった。
ずっと妬んでいたいとこは冷酷騎士と呼ばれる男の元に、辺境まで飛ばされて清々した。
そして自分は公爵令嬢になったから、これから贅沢ができるし降るように縁談も来るだろうから将来安泰だ。
――そう思っていたのに、来るのは権力を借りたがる男爵家や子爵家ばかりで公爵家と家格の合う家からは一件の縁談も来ない。
さらに数日前から急に『元婚約者候補のマリアベル様と辺境伯様はとても仲睦まじい様子だった。精悍な辺境伯様と可憐なマリアベル様はとてもお似合いである』という噂が流れ始めた。
そこで、落ちたはずのマリアベルが幸せになるのが許せなかったイザベラは、娼館で使われているというチョコレートを入手した。
相談があるふりをして別室に誘い込んでチョコレートを食べさせる。
媚薬が効いてきたころにライオネルを連れてくれば、婚約破棄になると思ったのだと話した――――
なんて荒い計画なのだろうか。
それに、そこまで嫌われていたとは……。
しかし、ダニーとはこの部屋までに移動する途中で偶然会って一緒にくることになったのだ。チョコレートを用意しても、私にしか食べさせなかったら意味はないのではないだろうか?
イザベラの当初の計画では、マリアベルにチョコレートを食べさせた後、侍女を探しに行くふりをして適当な好色な貴族を見繕って部屋に押し込むつもりだったという。
良くないことだが、媚薬に酔った女性が侍女などであれば計画は成功していたかもしれない。
しかし、元婚約者候補で現在ハリストン辺境伯の婚約者と知れ渡っている私と関係を持とうという勇気のある貴族はなかなかいないだろう。
それが例え媚薬に酔った状態だったとしても。
相手が酒に酔っていたとしても、私の顔を見たら手が出せないはずだ。
計画の浅さに呆れかえる。
「だって、マリア姉様たちが食べ慣れているなんて知らないもの!私が公爵家に行ったときにはチョコレートなんて出してくれなかったわ……!」
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