第41話

 久しぶりに今日はぎゅうぎゅうにコルセットを締めて、貴族令嬢らしいドレスを身に着けている。

 最近は髪をおろしていることが多かった ――ことあるごとにライオネル様が頭を撫でるし、去り際には名残惜し気に髪を一束絡めて行くから――が、夜会がある今日はまとめ髪にした。

 昨日ライオネル様に贈られたサファイアのネックレスとピアス、それと指輪をする。

 今日のドレスにも合っているデザインだ。


 支度を終えてロビーに向かうと、ライオネル様が待っている。

 正装姿を見るのは二度目だけど、相変わらず素敵。

 クラバットに刺さっているピンの先には琥珀がついていた。

 そのことに気が付くと、無性に照れくささを感じた。


 更に、今朝の一幕を思い出して少し照れてしまう――――


 朝の光を感じ少し意識が浮上し始めたけど、まだもう少し眠っていたいと身じろぎする。

 ギシリとベッドの端が撓み、もう一段階覚醒へと進む。

 まだ何も頭が働いていない状態で、唇に柔らかいものが触れた気がした。


(んっなに……?)


 薄く目を開けると、唇が触れあいそうな至近距離にいるライオネル様と目が合った。


 ライオネル様はベッドの端に腰かけて身を屈ませた状態。

 まだぼーっとしているのに、ライオネル様にキスされたことだけは、はっきりとわかった。


 おはようと言うライオネル様の吐息が唇に掛かり、一気に覚醒する。

 意識はしっかりしたものの、驚きで固まっていると再びキスをされた。


 ライオネル様は一度頭を撫でて三度キスをしてから、未だに固まっている私を見下ろす。

 ふっと笑んだ後、今度は唇を食むようにキスをしてきた。


 今までの触れ合うだけのキスとは違う大人っぽいキスに驚いてびくりと体が揺れる。

 そうなって漸く攻撃をやめてくれたのだった。


 朝からとても大変だった。私だけが。



 王宮に着いて、何度も歩きなれた道をライオネル様にエスコートされながら歩く。


「マリア?マリアじゃないか!」


 名前を呼ばれ、振り向くと姿勢の良い柔和な顔立ちの男が喜色満面に立っていた。


「まぁ!ダニーじゃない!」

「会えるとは思わなかった!元気だったかい?」

「えぇ。おかげさまで!あ、紹介するわね。ハリストン辺境伯よ」

「ライオネル・ハリストンだ」

「これは、失礼しましたハリストン卿。ダニエル・フィッシャーです。マリアとは幼馴染なんです。よろしくお願いします!」


 ダニーが人好きのする笑顔で手を差し出して握手を求める。

 ライオネル様はそれに無表情で応じた。


「フィッシャー侯爵領と公爵領は隣り合っていたので、ダニーとは幼い頃によく遊んだのです。王宮で再会したときにはダニーは近衛騎士で、しかも王太子殿下付きになっていたのですよ。あのときは驚いたわ」

「ほぅ、それは優秀なんだな」

「いえいえ。三男なので自分で身を立てなければならないからと必死になって。頑張っているだけです」

「ダニーったらそんなこと言って、王太子殿下の覚えがめでたいじゃないの」

「……マリアベル、そろそろ行くぞ。フィッシャー殿失礼する」


 ライオネル様にグッと腰を引き寄せられ、夜会会場へと足をすすめる。

 お互いの気持ちが通じ合ってから、ライオネル様は何かと距離が近かった。

 正式な婚約者なので何も問題はないとはいえ、王太子殿下の婚約者候補時代には経験したことのない距離感に慣れない。

 寄り添う相手がライオネル様だと思うと尚更。


(大勢の人の前でぴったり寄り添って歩くなんて、照れ臭いわ……)


「マリアベルはマリア、と呼ばれているのだな?」

「はい。幼い頃の愛称で家族などにマリアやマリーと呼ばれていました」

「それは俺が呼んでも?」

「え?はい。もちろん」

「マリア」

「はい」

「マリー」

「……はい」


(愛称で呼ばれるのがこんなに恥ずかしいものだなんて知らなかったわ)


「で?俺の事は呼ばないのか?」

「え?」

「俺だけ呼ぶのはおかしいだろう?」


(前にもこんなやりとりをしたような……)


「マリー?……呼んでくれないのか?」

「ラ、ライ、さま」

「くくっ。ただ名前を短くするだけなのにどうしてそんなに緊張しているのだ」

「だっだって恥ずかしいです」


(マリーと呼ぶときのライオネル様の瞳がまるで愛おしいと語りかけているように細められるのだもの。しかもマリアではなくより甘い響きのあるマリーの方を選ぶなんて、照れないほうが無理だわ)



 小さい頃、親からはマリアと呼ばれていたが、親でもマリーと呼ぶのは甘やかすときだけだった。だから、マリアではなくマリーと呼ばれると一段と甘さを感じてしまうのは致し方ないだろう。


「うん、可愛いな。もう一度」

「なっ!?」

「もう一度、呼んで」

「…………ライ様」

「ん。これからはそう呼ぶように。――あ、そうか。今日はだめなんだな」


 満足げに笑って、いつも通り頭を撫でようとするライオネル様。

 頭を撫でる直前で、今日の髪型に気づいて手が止まった。

 いつも通りに撫でてしまうと髪型が崩れてしまう。


「終わるまでお預けだな」と呟くライオネル様。

 一時は頭を撫でられるのは子供扱いなのでは?とさえ思っていたのに、早く撫でられたいと思ってしまう。

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