第32話
「ん……?」
日の光を感じて目を覚ます。
どうやらいつもより少し寝坊してしまったようだ。
見覚えのない景色に一瞬ここがどこか分からなくなるが、すぐに思い出した。
(そうだわ、王都のタウンハウスに来ているのだった。はっ!ライオネル様は?)
そーっと後ろを振り返ってみるが、誰もいなかった。
ベッドを使った形跡はあるけれど、今はもぬけの殻。
触ってみても温もりを感じないので早々に起きたのだろう。
(いない。……目が覚めたら後ろから抱きしめられてた――なんて、小説の世界の話なのね)
実際そんなことになったら心臓がもたなそうなのに、とても残念に思う気持ちもあった。
ぼけっとしながら、『起きた?おはよう、マリアベル』とライオネル様のあの声で起こされたら……と想像し、一人で照れる。
(でも、ライオネル様はそういうことしない人なのね。置いて行かれているし――ん?そういえば……)
寝ぼけていた思考もはっきりしてくると、気付いたことがある。
ベッドから落ちそうなほど端に寝ていたのに、起きた時にはベッドの真ん中程で寝ていた。
寝ている間に寝返りをうって真ん中の方へ移動してしまったのだろうか?
(きっと今夜も同じベッドで寝ることになるのだから、今度はちゃんと端で寝ないと)
身支度を整えてから食堂に向かうと、もうライオネル様の姿があった。
「おはよう。よく眠れた?疲れてないか?」
「おはようございます。はい、おかげさまで。ライオネル様はお帰りは遅かったのでしょうか?ちゃんと休めましたか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ」
今日は、ライオネル様と王都デートの日。
王都と辺境伯領は遠く離れているので、移動には数日の予備日を設けてある。
今回、何の障害もなく無事に着いたので、王都滞在中の自由時間が多く取れることになった。
小さめの馬車から降りると、二人きりで王都の街中を歩く。
王太子殿下の婚約者候補という立場上、あまり王都を歩いたことがなかったので、何もかもが真新しく感じてしまう。
何よりもライオネル様と一緒ということが嬉しい。
「マリアベルが言っていた店はここのようだ。入ってみよう」
婚約者候補だった時は侍女たちが街の情報を教えてくれて、雑貨屋やお菓子屋さんなど、興味津々で話を聞いていたものだ。いつか行ってみたいと思っていた店がいくつもあった。
私がそんな話をしていたから、ライオネル様は調べてくれたらしい。
王都は詳しくないと言っていたのに、迷いなくエスコートしてくれた。
最後に連れてきてもらったのは、侍女が話題のお店として話していたお菓子屋さんの一つ。
侍女が話していた時から数年経っているけれど、今も人気のようだった。
店内には可愛らしい飾り付けをされた焼き菓子が並んでいる。
目移りしそうなくらい品ぞろえも豊富だ。
日持ちしそうなクッキーもある。
せっかくなのでフレアやタウンハウスの使用人一同へもお土産を買おうと一生懸命選んでいると、気が付けば店内は女性客でひしめき合っていた。
ライオネル様がなんだか所在なさげにしているのが申し訳なくなってしまう。
「ライオネル様、先に外へ出て待っていてくださいませ」
「しかし」
「後は包んでもらうだけですから」
「わかった。では店先で待っている」
手渡された紙袋を手にお店から出ると、ライオネル様の腕に女性がするりと腕を巻き付ける瞬間だった。
見てはいけないものを目撃してしまい、固まってしまう。
「ライオネル様ではないですかぁ!ご無沙汰ですねっ」
「は?あ、あぁ、久しぶりだな。っておい、離せ」
「お元気にされてましたぁ?全然いらして下さらないから寂しかったですわぁ」
「離せって」
「やんっ。つれないこと言わないでくださいまし」
ライオネル様の腕に巻き付いているのは、婀娜めいた大人の女性だった。
自分とは全く違うタイプの綺麗な女性。
話の内容からして、知り合いなのは確実。
(誰?昔の恋人、とか?)
「おい、離せと言っているだろ」と言いながら振り返ったライオネル様と目が合う。
すると、ブンと音が聞こえそうな勢いで、ライオネル様は女性を振りほどいた。
「…………」
「マリアベル?」
「…………」
「あら?もしかして、奥様かしらぁ?」
私とライオネル様の顔を見比べて、婀娜めいた女性がにっこりと笑いながら聞いてくる。
余裕綽々の女性の態度に、ますます心の中のモヤモヤが大きく濃くなった。
「…………違います」
自分でもびっくりするくらいに低い声が出た。
(婚約者だけどまだ妻ではないわ。婚約だって王命で、望まれてしたわけじゃない。さっきまで凄く楽しかったのに、先に店の外で待っててなんて言うんじゃなかった。こんなところ見たくなかった)
思わず俯いてしまう。
その場に居たくなくなって、くるりと方向転換して歩き出す。
「マリアベル!?」
ライオネル様の焦ったような声がしたけど、歩き出した足は止まらない。
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