第19話
庭や畑を散策し終えると部屋に戻り、お茶を飲むのが辺境伯領に来てからの日課になっている。
お茶を飲み終わったころ、フレアから「お召し替えを」と言われた。
散策の際にドレスを汚してしまったのだろうか?
今日はしゃがみこんだり汚れるような事をした覚えはなかったけれど……。
そう思いながらも衣裳部屋へと移動することにした。
「あ。もしかしてどなたかお客様がいらっしゃるの?」
「いえ、そうではありません」
そんな会話をしながら衣裳部屋へ足を踏み入れると、初めて見るドレスが用意されていた。
辺境伯邸では必要最低限のドレスで充分だと思って衣裳部屋もすっきりしているので、今まで見たことのないドレスがあるとすぐ目に入る。
そこにあったのは、淡い緑の生地に胸元に黄色の色糸で刺繍が入っているドレス。
最近お気に入りで着ている普段着用のドレスではなく、ちゃんとした社交にも着て行けるタイプのドレスだった。
それに、いつも着替えはフレアだけが担当しているけど、今日はユリアとエマも控えている。
「どうしたの?このドレス。このドレスに着替えるの?」
「はい。旦那様より承りました」
「えっ。ライオネル様から?それってこのドレスは贈り物ってこと?」や、もう一度「お客様がいらっしゃるの?」と聞いたけど、何故か誰も答えてくれない。
こちらが疑問に思ったことを聞いても答えてもらえないことには慣れていた。
婚約者候補としての教育中はよくあったから。
無視は、それ以上聞くな、深く聞くなという合図だとわかっている。
(もしかして、正式な歓迎の晩餐はいずれと以前仰っていたからそれかしら?でも、それなら事前に伝えられるはずよね。……なんなの?)
いまいち分からないまま、久しぶりにコルセットを締められると、こんなに苦しいものを着ていたかしら?と思ってしまった。
フレアが化粧してくれている間に、ユリアとエマが髪を整えてくれる。
「お嬢様の支度をお手伝いできて嬉しいです」
「旦那様のお支度の手伝いは兄さんがいれば良いし、初めてメイドらしい事ができました!」
ハリストン辺境伯家には長らく女主人がいなかった。
前当主の妻は若くして亡くなり、後妻はとらなかった。
だから、二人は女性の支度を手伝ったことがないのだと言う。
ユリアとエマは女主人ができる事を喜んでいるらしい。
複雑に編み込まれた髪型が、それを物語っている。
可愛い髪型にしてくれてありがとうとお礼を言うと、二人とも顔を見合わせて喜んでいた。
(これからはユリアとエマにも手伝ってもらった方が良さそうね。そうすればフレアにもっとお休みをあげられるし)
結局、どうしてちゃんとしたドレスに着替えるのか分からないまま夕食時を迎えて、いつものダイニングへと導かれる。
ダイニングの扉の前で、ライオネル様が正装姿で待っていた。
初めて見る正装姿はとても似合っていて高位貴族らしい風格があった。
いつもはおろしている耳に掛かるくらいの髪を今日は横に撫でつけて、正装姿であっても騎士らしく凛々しくて、思わず見惚れてしまう。
ライオネル様も何も言わずこちらを見ている。
お互いに無言で見つめ合っていると、そこへ明るい声が割って入る。
「ごめんごめん!待たせちゃった?」
「……いや、大丈夫だ」
「そっか、良かった」
ふいにこちらを向いたロバート様がニッと笑った。
ロバート様もいつもの騎士服を脱ぎ、貴族らしい正装姿だ。
「マリアベル嬢、そのドレス凄い似合ってるね!可愛いし綺麗だ」
「ありがとうございます」
「じゃあ始めようか!」
そう言ってロバート様がダイニングへの入室を促す。
ダイニングに入ってみると晩餐の用意がされていたが、三人分のセットで特にお客様はいないようだった。
(もしかして最初に寝過ごしてすっぽかしてしまった晩餐のやり直し?)
戸惑ってキョロキョロしていると、こちらに体を向けたライオネル様の手には花束があった。
訳がわからずに花束とライオネル様の顔を交互に見る。
その花束を私の方へ差し出しながら、今日のこの会の目的が告げられた。
「マリアベル、成人おめでとう」
「え…………?」
(今、成人おめでとうって、言った?―――成人、おめでとう、って……)
「驚いた!?ライがさ、マリアベル嬢の成人祝いをやり直してあげたいって言ってね」
「え、じゃあやっぱりこのドレスも……?」
「そうそう。ライが急ぎでって仕立て屋に圧力かけてたよ」
「おい、余計な事を言うな」
予想外すぎる展開に、周囲に視線を巡らす。
使用人のトマス一家も、他の住み込みの使用人たちも勢揃いして、皆笑顔で「おめでとうございます」と言ってくれる。
フレアに至っては涙ぐんで何度も頷いている。
ロバート様も満面の笑顔でこちらを見ている。
最後にライオネル様を見ると、とても優しい笑顔を湛えていた。
その表情を見た瞬間に滂沱のごとく涙が溢れる。
まさかこんなふうにお祝いしてもらえるなんて思ってもみなかった。
こんなふうに泣くつもりではなかったが、涙が止まらない。
「そんな……あり、がとう……っ」
「あ~、泣いちゃった。ライ、慰めてあげて」
「うれ、し……こんな、こと……!」
辺境への移動の馬車の中で誕生日を迎えた時は、まだまだ投げやりな気持ちだったし、成人祝いなんてどうでもいいと思っていた。
一番見せたい人たちはもういないのだから。
けれど、こうしてお祝いをしてもらって、両親も楽しみにしてくれていた成人祝いを両親とできなかった事が残念に思ってたし、両親に成人を迎えた姿を見せてあげたかったのだと気が付いた。
そもそも成人祝いをできなかったことを、自分自身が残念だと思っていたことにも気が付いていなかった。
泣きながら言葉を紡ぐ私を、みんなは優しく見守ってくれていた。
支離滅裂に気持ちを吐露して、漸く少し落ち着いてきたころ、ふわりとベルガモットの香りに包まれた。
ライオネル様に抱きしめられたのだ。
優しく、そっと包み込むように。
(…………!?)
そのことを理解した瞬間、止まらないと思った涙が一瞬で止まった。
呼吸も思考も身体の動きも止まった。
代わりにぶわりと体が熱くなる。
何度か頭を撫でられた後、抱きしめる腕の力が緩む。
体が少し離れたと思ったら、ライオネル様に顔を覗き込まれた。
おずおずと視線をあげると、眉を下げてふっと笑うライオネル様と目が合う。
「泣き止んだな」
そう言われて一層顔に熱が集まったように感じた。
ライオネル様が懐からハンカチを取り出して、私の頬を拭いてくれた。
―――そのハンカチはマリアベルが刺繍して差し上げた物だったが、それに気付く余裕がない。
こちらの動揺なんてお構いなしに、ライオネル様に腰に手を添えられて、「さあ、食事を始めよう」と晩餐の席へと誘導される。
席に座ると、また顔を覗き込まれた。
今度は何?と動揺すると、頬に手が添えられた。
ドキドキしていると、親指で目尻に残った涙をすいと拭い取られる。
ライオネル様はまたふっと笑って頭をぽんぽんと撫でてから向かいの席へ着席した。
それから暫く動揺が収まらなかったけど、何とか平常心を取り戻したふりをした私は、ライオネル様やロバート様、フレアや辺境伯邸の使用人の皆に成人を祝われた。
公爵家で元々行われる成人の祝いに比べるとこぢんまりとした会だったけれど、こんなに温かな気持ちになる事はないだろう。
辺境伯領へ、ライオネル様の元へ来て本当に良かったと、心から思うとても幸せな時間だった。
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