第17話

「これからはマリアベルと名前で呼んでいただけませんか?」


 彼女は頬を染め、小首をかしげて上目遣いでこちらを見てくる。

 そんな仕草で俺をどうしたいのだろうか。


 そんなふうにされて男がどう思うかを分かっててやっているのだとしたら、凄い手練手管の使い手かもしれない。

 計算してやってるとしたら、俺はきっと彼女には勝てそうにない。

 いや、これが無意識だとしても凄い。


 七歳も下の女性に振り回されるのは少々癪だが、彼女にされるならそれも悪くないと思えるから不思議だ。


「……マリアベル」

「ふふふ」


 頬を染めて嬉しそうに笑う様子は可愛いが、自分だけが名前を呼ぶのはおかしいのではないかと気付く。


(そもそも、彼女が呼ぶ俺の呼び名は家名ですらない。爵位ってどうなんだ。妻になるのに)


 そう思うと、自分だけが名前を呼び捨てるのがますます腑に落ちない。

 同じように名前を呼ぶように言ったら、この可愛い人はどんな反応をするのだろうか。

 想像しただけで頬が緩むのを感じる。


「マリアベルも、俺の事を辺境伯様と呼ぶのはやめてもらおうか」

「……っ!!あっ、あの……」

「俺の名前は分かるな?」

「はい。存じております」

「じゃあ名前で呼べるな?」

「でも、あのまだ――」

「俺だけ名前で呼ぶのか?夫婦になるのに?」

「……っ!!」


 顔を真っ赤にして口をハクハクとさせる様子があまりに可愛くて、笑みが漏れた。

 すると、ついに顔を手で覆って俯いてしまうマリアベル。

 下を向いたことでさらりと流れた髪に誘われ、思わず頭を撫でる。


「フッ……マリアベルは可愛いな」

「なっなっ……!なんで子供扱いですか!?」

「ん?なぜそうなる?」

「だ、だって頭を――」

「成人しているだろ?それにもうすぐ妻になる人を子供だなんて思っていない」


 そう伝えると、彼女は今度はテーブルに突っ伏してしまった。


 フレアが「お嬢様、流石にはしたないですよ」と注意しているが、今はこの可愛い様子を見せてくれるのは正解だろう。


 流れ落ちた髪の毛の隙間から、真っ赤になった耳が見えている。

 少しいじめ過ぎただろうか。


「可愛い婚約者の顔が見えなくなってしまったな」

「もうっ!揶揄うのはおやめください!」

「マリアベルが俺の名前を呼んだらやめる」

「……ライオネル様」


 それはぎりぎり聞き取れるくらいに小さな声だった。


(自分の名前を呼ばれるだけで嬉しく感じるとは。なんとも不思議な感覚だ)



 子供扱いと言われて、そういえば彼女が成人を迎えたのは最近ではなかったかと思い、聞いてみる。

 確かゴタゴタしていただろう期間に誕生日を迎えていたはずだ――と思い出していたら、こちらに向かう移動の最中に成人を迎えたとマリアベルが説明してくれた。


 公爵令嬢として、王太子殿下の婚約者候補として、華々しく祝われるはずだっただろう成人を、馬車の中で侍女と二人で迎えることになるなんて。

 当人でなくてもやるせなさを感じる。

 改めて成人の祝いをしなければいけないと強く思った。



 ≡≡≡≡≡



「お嬢様!はしたないですよ!」


 街から戻った私は、ベッドに伏して手足をバタバタさせた。

 フレアに怒られたけど、でも仕方がないと思う。


「だって!フレアも見たでしょう?ライオネル様の笑顔」

「えぇ。あんなふうに笑う方なのですね」

「大人の男性!って感じで優しく包み込むような……、それでいてそこはかとなく色気も感じる笑顔。それを目の前で見たのよ!?帰ってくるまで耐えたんだから、褒めてくれてもいいと思うくらいよ!」


 フレアは(お嬢様が思う程は耐えられていなかったと思いますけどね)と思った。

 しかし、そこがマリアベルの可愛いところだし、二人の仲を良くすることに役立っているので、敢えて指摘はしなかった――――



 フレアは半分呆れたように見てくるけど、もうもう本当に大変だったのだから。

 今までの常の無表情が嘘のような行きの馬車の中で見た優しい笑顔も、レストランでの声を出して笑う姿も、私を揶揄う時のちょっと意地悪そうな笑顔も、どれも初めて見る表情だったのよ。

 あの騒ぎの時に、真っ先に私を背に隠して守ってくれようとしたのも格好良かった。

 それに、あのハスキーで色気のある声でマリアベルって名前を呼ばれたり「可愛いな」って…………。


 思い出しただけで、手足をバタバタさせてこの高ぶる感情を逃がさなければ、息が苦しくて死んでしまうかもしれない。


 けれど、ふと思う。

 どうしてあんなに素敵な人がこれまで独身だったのだろう?

 一見すると無表情で怖そうではあるけれど、少し話せばそうでないことくらいすぐに気が付くはずだ。


 婚約者はいなかったのだろうか?

 ハリストン辺境伯家は、王家の血も入っている由緒正しい高位貴族。

 立場的にも年齢的に考えても婚約者や恋人がいたことがあってもおかしくない。

 離れ離れにならなければいけない事情でもあったのだろうか?



 そう思うと、高揚していた気持ちが急速に落ち着いてきてしまった。

 あまり考えない方が良い気がして、意識して考えるのをやめた。


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