第16話

 スワロセル嬢は、外を眺めて忙しなく瞳を動かしている。

 大きな瞳をキラキラさせ、好奇心を隠そうともせずに馬車の窓から外を見ている。

 その姿が可愛らしくて、思わず頬が緩んでしまう。


(まるで子供みたいだな……)


 頬の緩みをこらえきれずにいると、熱心に外を見ていた彼女がふいにこちらを見てきた。


 突然のことで緩んだ頬を戻す時間もなかったが、こちらを見た途端にスワロセル嬢は頬を染めた。


 緩んだ顔を見られてしまったのは不覚だったが、頬を染めて視線を彷徨わせるその様子がまた可愛くて目が離せない。

 こんな可愛い様子を見ることができるなら、頬が緩むのも悪くないだろう。


 ……彼女の隣に座る侍女からの笑みと生ぬるい視線を感じる。うちのお嬢様可愛いでしょう?と言いたげな顔だ。


(くそ。このフレアという侍女、公爵家の侍女だっただけあって普段のマナーは完璧なのに、こういう時は侍女と思えないほどいい性格をしているな……)



 先日、ロバートに「忙しさにかまけてお嬢様を放置しすぎじゃないか?高台に連れて行っただけで終わりじゃないぞ?お嬢様はヘンリーと仲が良くなったようだし、お前が構わなくても平気かもしれないがな」とまた言われて慌てた。


 ヘンリーとの仲の良さが気になってなんとなく素直に誘えず、視察ということにして街に誘った。

 冷静になったら、高台で今度は街へ連れて行く約束をしたのだから、そう誘えばよかったと後から気付いた。



 街を歩いていると色々なところから声がかかる。

 困っている事があるならば領主として聞かないわけにはいかない。


 酒屋の店主に相談をされたときは何回目だっただろうか。

 せっかくの時間を邪魔されることに徐々にイライラし始めていた。しかし、これも領主の務めだと思って話を聞く。


 できるだけスワロセル嬢から目を離したくなかったが、見て欲しいものがあると店の奥へと連れて行かれた。

 店主の話を聞くのに思いのほか時間が経っていると気付いたときには、外が俄かに騒がしかった。


 何事かと表に出ると、男を組み伏しているフレアの姿が目に飛び込んできた。

 急いでスワロセル嬢を後ろに庇う。


「この男がお嬢様に不埒な事をしたのです!」


 フレアのその言葉を聞いた瞬間に、怒りに支配された様だった。

 それと同時に、彼女を放置してしまった自分を悔いた。



 不埒な男を衛兵に引き渡した後、昼時になったので予約していたレストランに向かった。

 個室を予約したので、フレアも同席させて先程の話を聞く。


「先ほどはすまなかった」

「え?」

「街へ誘ったのは俺なのに、こんなことになるなんて申し訳ない」

「いえっ辺境伯様が謝ることではございません。領民が領主様に気さくに声を掛けられるなんて、とてもいい関係を築けているのだと、私まで誇らしい気持ちになりました。待っている間も街の様子が見られて楽しかったです」


「そう言ってもらえると助かる」


 スワロセル嬢は事態にピンと来ていないのか、怖い思いをしたわけではないと分かって少しホッとした。

 婚約者候補として、ある意味最上級のお嬢様育ちだから、ナンパ野郎にも気づいていないのか……。


(軟派な男に気付いていないとは、危なっかしい。ちゃんと側に置いておかねば)


 これだけ綺麗な女性が田舎にいれば目を引くだろう。

 実際に彼女と街を歩いていると多くの視線を集めていた。


 それにしても、フレアという侍女は何者だ?彼女が組み伏せていたのは結構長身の男だった。

 女性が大の男を組み伏すなんてなかなかできることではないだろう。


「ふふ。フレアが強くて驚きましたか?いつも私を守ってくれるのです。頼りになるのですよ」

「あぁ。男相手でも勇敢なのだな。なかなかできない事だ」

「母の……母の母国では貴族令嬢も護身術を習う習慣があるそうです。令嬢に付く侍女も、その令嬢以上の護身術を身に付けなければならないのだとか。それで、母の方針でスワロセル家の使用人はもれなく護身術を身に付けているのです。もちろん私も」

「スワロセル嬢も!?」

「えぇ。フレア程ではありませんが、少しだけ。実践したことはありませんけど」

「スワロセル嬢が実践なんてしなくていい。そんなことは俺がさせない」


 スワロセル嬢自身が護身術を使う事はさせたくないし、もう二度と今日の様な事も起こすつもりはないが、護身術に長けた侍女が付き従っているのなら少しは安心できる。

 これまでは王城では近衛が、私的な場所では侍女が守っていたのだろう。これからは俺もその役目を担う。

 ――そんなことを考えていたから、上目遣いの不意打ちに思考が停止した。


「……マリアベルとは、もう呼んで下さらないのでしょうか?」

「―――え?」


 あの時か。

 咄嗟に名前を呼んだのは無意識だった。

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