第10話(挿話:王太子視点)

 マリアベルと初めて会ったのは、密かに婚約者候補の選考がされていたお茶会だった。

 同年代の子女が集められたお茶会で、子供ながらに着飾った令息や令嬢がたくさんいた。


 十歳前後になると、女子はもう立派に女であることをこの時に学んだ。

 私にすり寄ってくる令嬢が大勢いたのだ。

 今思えば、親に言い含められていた令嬢も多かったかもしれないが、子供ながらにうんざりしたのを覚えている。


 だから、そんな中で私と同じ卓に座っているのに、ポツンと座ってただ嬉しそうにケーキを食べているマリアベルに目が行った。


 私と同じ卓に座っているということは、高位貴族の令嬢だ。

 席次だけでなく、高価な真珠のカチューシャをしてるあたりが高位貴族の令嬢である事を証明していた。


 他の令嬢のように媚びてくる様子がないどころか、マリアベルとはほぼ目が合わないので私に一切興味もなさそうだった。

 だから妙に気になった。


 茶会が進み、漸くすり寄ってくる令嬢たちから逃げ出せた時には、マリアベルはどこかにいなくなっていた。


 まだ茶会の終了の時間ではないからこの庭のどこかにはいるはずだと、辺りを見回してみる。

 人の輪から離れた場所にある生垣の向こうに、輝く金髪に真珠のカチューシャをしている頭が動いているのが見えた。

 そちらに近づいてみるとやはり彼女で、庭の奥の方へと走っていくところだった。


 人の輪からどんどん離れていく彼女が気になって、こっそりと追いかける。

 小走りだったマリアベルが急にしゃがみこんだので、具合でも悪くなったのかと急いで近づく。


 すると、そこには猫がいた。

 どこかから迷い込んできたのだろう。まだ成猫というには小さい猫だった。


「あ。猫だ」

「触る?大人しくていい子だよ!」


 城の中に猫なんて珍しいと思って、思わず声が漏れた。

 声を出してしまった直後に、追いかけていたことがバレたと少し気まずく思ったが、マリアベルは気にしていないようだった。


 私の声に反応して振り返ったマリアベルは、他意を感じさせない満面の笑みで「触る?」と聞いてきた。

 口の利き方からして、マリアベルが私に興味がないことは確定した。

 私を王子だとさえ、認識していないのかもしれない。


 この時のマリアベルは、淡い薄紫色のフワフワしたドレスが似合っていて、弾ける笑顔と金髪が相まって天使のようだと思った。

 婚約者候補の選考に私には発言権がないけれど、この子が選ばれたらいいなと淡く思った。



 ――お茶会から数日後に婚約者候補が決まった。

 相手はスワロセル公爵の一女、マリアベル嬢だと聞いた。


(あの子の名前は何ていうんだろう?)


 婚約者候補が決まった瞬間だというのに、私はあの時の令嬢を思い出していた。


 あの後すぐに侍女らに呼ばれてみんなの輪の中に戻る事になった。

 茶会が終わってから、あの子に名前を聞くのを忘れていた事に気が付いた。



 どんな子が来るのだろうとドキドキしながら待っていると、顔合わせの日に現れたのはあの子だった。


 こんなに幸せな事はない。

 この先、自分の事さえ自由に決められない人生でも、この少女と共に歩んでいけるなら、僕はなんて幸せ者だと思った。


 それからマリアベルの妃教育がすぐに始まった。


 私ももっと幼いころから王になるべく厳しい教育を受けていたので、その大変さや辛さは分かるつもりだ。

 だから弱音を吐いたって良い。

 私が慰めてあげるから、頼ってほしい。


 しかし、マリアベルは気丈な子供だった。

 教師や私の前ではほとんど弱音を吐くことはないが、その代わり弾けるような笑顔は減っていった。


 時間の経過と共に天真爛漫で素直な少女という印象の彼女が、淑女然とした令嬢に変わっていくが、それでも僕を魅了してやまなかった。


 なにがそんなに?と自分でもよく分からないが、天真爛漫な少女でも嫋やかな淑女でも、それがマリアベルであれば惹きつけられずにはいられないようだ。


 そんなある日、時間が空いたのでマリアベルに会いに行くと、彼女は庭の隅で密かに涙していた。


 彼女の涙を見たのはそれが初めてだったけど、それよりも彼女が泣いていたのは、初めて会話をして二人で猫を撫でたあの場所だった。


 僕にとって大切な思い出の場所が、マリアベルにとっても特別な場所なのかもしれないと思うと、言い知れない喜びを感じた。


 妃教育で辛い事でもあったのだろう。今までもこんなふうに、マリアベルは密かに泣いていたのかもしれない。

 抱きしめて慰めたいけれど、未婚の男女が二人きりで抱き合うなんて、してはいけない事だ。


 今思えば、未成年でまだまだ十分子供と言える年齢だったのだから、抱きしめて慰めたって咎められなかっただろう。

 しかし、私は幼いころからの教育の賜物で、子供ながらに立派に紳士だったのだ。

 あの時はなんて言って彼女を慰めたのか、今となっては覚えていない。


 それからは時間を見つけては毎日のようにお茶をした。

 正式な茶会ではなく、マリアベルの休憩時間に合わせて会いに行った。

 マリアベルと過ごす時には、声が聞こえない距離まで従者たちを下がらせた。

 朗らかに笑うマリアベルと過ごす時間だけが、僕にとっては安らぎだったからだ。


 たった十五分程度。この時だけは王太子としての重責から逃れられている気がしていた。

 マリアベルは僕にとって唯一の存在だった。


 それなのに、彼女の家族が不慮の事故で亡くなった時にも、私は抱きしめてあげることもできなかった。

 こんなことになるならマナーや立場なんてかなぐり捨てて、抱きしめて守ってやればよかった。あんなにも大切な存在だったのだから。


 今、私の横にはマリアベルはいない。


 どうにもならない事だったのは理解している。

 たとえ、彼女の両親が未だ健在だったとしても、南の国から同盟と引き換えに婚姻を打診されたら簡単に覆った事だ。

 同盟国である隣国を挟んだ向こうにある西方の国との関係を強化するよりも、国境を接する友好国でしかない南の国と婚姻により同盟を結んで、関係を強化した方が良いに決まっている。

 私が王でも、僕の気持ちは無視して同じ決断をしただろう。


 しかし、頭で理解しても気持ちは追いついてこないものだと知った。


 庭が見える時には、王宮の庭が好きだった彼女を探して視線を巡らせてしまう。

 もうここにはいないと分かっているのに、無意識に目が彼女を探すのだ。

 心に穴が空いたようだとは、こういう事を言うのだろう。


 マリアベルは早々に辺境へ向かったという。

 婚約者候補から外すと告げられたあの日を最後に、彼女を見ることも叶わなくなった。


 男爵だった彼女の叔父が公爵家を継いでタウンハウスにやってきてからは、屋敷では彼女が肩身の狭い思いをしてたことも後から知った。


 力になりたかったのに。

 守りたかったのに。

 気付いてやることさえできなかった自分が情けない。


 それと同時に、相談さえしてもらえなかったのだと、彼女にとっての私の存在とはその程度だったのかと、気付かされた。

 彼女の存在が支えとなっていたのは僕だけで、私は彼女の支えにはなれていなかったのだろう。


 優しく思いやりがあり、真面目で勤勉。純粋でありながら、芯のある強さを持っていた。

 私は、気丈なマリアベルが好きだった。



 ハリストン辺境領は王都から遠い。

 会いたいと願っても私から会いに行くことはできない。

 なかなか会うことはできないだろう。

 夜会などで会えるかもしれないが、今までのように言葉を交わすこともできない。


 最近は体調を崩すことが増えていた彼女が、寒い辺境で暮らしていけるのか心配だ。

 ただ、華奢な彼女が風邪をひかないように願う事しか、私にはできない。


 その現実が僕には中々受け止められないでいる。

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