第9話
(どうして……?辺境伯様の表情が、また無表情に戻ってしまってるわ……)
初めは無表情だった辺境伯様だったけど、毎日朝食と夕食を共にしていると段々表情が柔らかくなってきていた。
その変化は少しずつ心を許してもらえているようで嬉しかったのに。
今日はまた初日のように無表情に戻ってしまっている。
機嫌が悪いのだろうか?それともお疲れ?と考えて様子を窺っていると、辺境伯様と目が合う。
「最近は庭だけでなく、畑の方にも行っているらしいな」
「あ、はい。ヘンリーに色々と教えてもらっています」
「そうか。―――ヘンリーとは、その……」
「はい?なんでしょう?」
「いや、何でもない……」
急に口ごもるように辺境伯様の声が小さくなったので思わず聞き返してしまったが、何だったのだろう?
「あの、勝手に畑に入るのはいけませんでしたか?」
「それは構わない。しかし、普通の令嬢は畑には寄り付かないものではないのか?」
「私は自然が好きなのです。それに、これからは畑の知識も含めて色々必要かと思いまして」
「畑の知識も含めてとは?」
「それは、へ―――」
辺境伯夫人として夫を支えて領民を守るために勉強していると言おうとした。
だけど、夫となる辺境伯様を目の前に「辺境伯夫人として、妻の務めだと思うから」と伝えることに、なぜだか急に照れを感じて言えなくなってしまった。
辺境伯様は訝しんでいたけど「その、平和な世になったので」と苦しい言い訳をしてしまった。
辺境伯様は「そうか」とだけ言う。
言い訳が苦しすぎたのか、辺境伯様は一段と機嫌が悪くなったように感じる。
この日の夕食はなんだか少し気まずい雰囲気が食堂に流れていた。
≡≡≡≡≡
騎士団施設から屋敷に向かう途中、畑の方から女性の柔らかな声が聞こえてきた。
畑には基本的に男性の使用人しかいないはずなのに。
自分が爵位を継ぐ前は、たまに騎士目当てに街の娘が敷地内に入り込んでくることがあった。
警備の問題からもあり得ない事だったので、門番の騎士たちにしっかりと指導をしてから、ここ数年は先触れのない人は通さないようにしていたのに。
(まさか入り込んだのか?)
警戒しながら畑の方を見てみると、スワロセル嬢が笑顔でヘンリーと話をしているではないか。
笑っているかと思ったら驚いたような表情をしたりと忙しい様子で話をしている。
その様子は実に楽しそうだった。
少し前から、スワロセル嬢が庭の散歩をして活動的に敷地内を歩き回っていることは報告を受けていた。庭を気に入ってくれたのなら良い事だ。
庭でヘンリーとよく話をしているとも聞いていたが、まさか畑に行ってまで話をしているとは思わなかった。
彼女は畑になんて用がないはずなのに。
普通の令嬢なら靴やドレスが汚れると言って近づくのも嫌がるだろう。
それなのに何故?
令嬢が畑に行く理由なんて、どう考えてみても分からない。
その後、訓練中もふとしたときに何故畑にいたのか?と考えてしまって一日中集中できなかった。
だから、詮索するべきではないと思いながらも、気になって聞かずにいられなかった。
『これからは畑の知識も含めて色々必要かと思いまして』
この畑と無縁そうな令嬢に何故畑の知識が必要なのだ?と思い、その理由を聞けば、急に頬を染めて言いよどむではないか。
(へ……の続きは、ヘンリーなのか?ヘンリーと続けようとしたのか?)
ヘンリーの事を疑っているわけではないが、ヘンリーは俺よりスワロセル嬢と歳が近いので話が合うのだろうか。
(ヘンリーにも話を聞いた方が良いか?いや、しかしなんて聞けば……)
そこからは自分の思考の波にのまれて、その日の夕飯をどう終えたのか記憶にない。
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