第5話

 朝食を終えると、俺はすぐに辺境軍の執務室へ向かう。

 これはいつも通りの行動であり、決して気の利いた会話ができずにスワロセル嬢との無言の間が生まれてしまうのが気まずくて逃げたのではない……。


 執務室に入ると副隊長のロバートが執務机から顔をあげた。


「おぅ。おはよう。マリアベル嬢はちゃんと起きてきたか?朝食は一緒に食べた?」

「あぁ、大丈夫だ」

「そうか。昨夜のは辺境やお前が嫌だって意思表示ではなかったわけだな?」

「本当にただ疲れて寝てしまったのだそうだ。晩餐の後に執務室に来て開口一番謝られたよ」

「それならよかった。俺は昨日のお前を見て嫌になったんじゃないかと心配だったんだよ」

「……そんなにか?」

「そんなにだ。ライも緊張していたんだろうけど、怖い位に無表情で見降ろしていたからな。声を発せば、その低くてしゃがれ声だし。王都から来たご令嬢からしたら逃げ出したい位に威圧感が凄かったと思うぞ。なぁ、フォルスもそう思うだろ?」


 俺の後に付いて入ってきたフォルスに向かってロバートが同意を求める。


「えぇ。なかなかに迫力があったと思います。泣かれなくて良かったですね」

「…………」

「フッ……ハハハ!にしても昨夜のお前の絶望顔ったら、ククッ……部下たちに見せてやりたかった」


 ――昨日の俺は珍しく緊張していた。


 若くして辺境伯を継いだのはいいが、その結果領主としての仕事が忙しかったし、北の国の動きには目が離せない。

 その結果、社交をしに王都へ行く余裕もなかった。

 領主の務めとして跡継ぎを残す義務があるのは分かっているが、時が来たら養子を取るつもりでいたのだ。


 それが突然の結婚話だ。

 王太子殿下の元婚約者候補という複雑な事情があり、辺境までやってくる令嬢には同情してしまうが、こちらとしてはありがたい話だった。


 唯一の心配と言えば、王太子殿下の元婚約者候補という生粋のご令嬢にこの辺境の地は合わないのではないかということ。


 ただ、結婚式にはまだ時間があるのに早々にこちらへやって来ることを考えると、辺境を厭うてはないのだろうと思われる。

 実際に田舎振りを見て、体感したら嫌になるかもしれないが。


 政略結婚なのだ。愛し合う夫婦にはなれなくとも、上手く関係を築けたら僥倖。

 しかし来てみたらやっぱり辺境の地が合わないと逃げ出されたらかなわない。


 スワロセル嬢のことは、昔に騎士としての勉強のために王宮にいた頃に見かけたことはあった。

 その頃は王太子殿下の婚約者候補になってまだそれほど経っていなかったので幼さを残していたし、殿下の婚約者候補の少女でしかなかった。

 俺は俺で若気の至りで後腐れない女との関係が楽だった頃だ……。


 それが、昨日馬車から降り立った彼女は、綺麗な女性に成長していた。つやつやと光を帯びた金の髪に、潤んだ琥珀色の瞳、ふっくらとして色づいた唇。

 とても華奢で庇護欲をそそられたし、この女性が俺の妻になるのかと思うと心が温かくなったように感じた。


 それと同時に、こんな可憐な女性が田舎で寒さの厳しい辺境では生きていけないのではないか、逃げ出してしまうのではと不安になった。


 辺境の騎士団の中には粗野なやつも多い。


 争いの多い地域では、マナーを守った上品な剣術だけではいざという時に生き残れない。我が辺境騎士団のモットーは、矜持よりも命を民を領土を守れ――


 だから、剣以外の獲物でも戦うし体術も駆使する。騎士道に反するような卑怯な手も日頃から訓練するため、どうしても粗野なやつが増えてしまうのだ。


 そして、歓迎の晩餐を用意していると伝えたのに、昨夜彼女は現れなかった。


 彼女の侍女はとても申し訳なさそうな顔をしながら、「お嬢様は眠っていて起きず……」と謝ってきたが、実際は眠っているということにして晩餐を拒否されたのだと思った。


 辺境が嫌と言われたらどうしようか考えていたが、俺自身が嫌だと言われる可能性があることに漸く気が付いたのだ。


 予定よりも早くやってきた令嬢が俺と顔を合わせた後に晩餐を拒否するなんて、俺の事が嫌だと言っているようなものじゃないか。それに気付くとそうだとしか思えなくなった。


 早ければ次の日にはもう帰ると言い出すのではないかと、習慣になっている晩餐後の執務もなかなか頭に入ってこなかった。


 なんとか書類に目を通しているとドアをノックする音が響く。

 こんな時間に珍しいと思いつつ、応答するとすぐにドアが開いた。

 視線を書類からドアの方へ向けるとそこには彼女の姿があった。


(は?まさか!もう王都へ帰ると伝えに直接来たのか!?)


 一瞬でそんな考えが浮かんだ。

 急いで彼女の元へ行くと、こちらが口を開く前に謝罪の言葉が紡がれる。


 彼女自身から疲れて眠っていたと謝られて、しょんぼりした表情をしながら言われれば、それが嘘ではない事が伝わってきた。


 俺自身が嫌われたわけではないと分かってどれほど安堵したことか……。



 未だに笑いが収まらないロバートを睨みつつも、この男を彼女に紹介しないわけにはいかないので、三人でサロンへ向かった。


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