思い出は空模様

シュミル

思ひでは空のよう

(あの日、公園で遊んだお姉さんは未来の私だったのかもしれない)


 私は鏡に映る自分の姿に昔の思い出が蘇り、そんな突拍子もないことを思った。

 字面だけではこれのどこが突拍子もないことなのかと言われるかもしれないが。その鏡は自宅の鏡でも持ち歩いている手鏡とかでもなく、学校のトイレの鏡なのだから突拍子がないとしか言えないだろう。


 あの日。それは私が八歳を迎えた誕生日だった。

 一人公園で遊んでいた私は、初めて出会ったお姉さんと遊んだ。

 ボールで遊んで、砂場で遊んで、ブランコで遊んだ。

 ただそれだけの思い出だ。


 蛇口から流れる水が止まり再度両手が濡らされたことで引き戻された私は、隣で泡を立てていた女子生徒が怪訝けげんな視線を送ってきていたことに鏡越しに気づいた。

 鏡に映る自分の姿をじっと見つめ、隣に人が来たことにすら気づかないほど突拍子もない妄想に耽っていた私の顔は、きっとあまり可愛いものではなかっただろう。それとも学校のトイレなんかで自分の顔に見惚れているような、極まったナルシストにでも思われたかもしれない。

 気恥ずかしさに熱くなる顔をこらえながら水を落とし、ハンカチで拭きもせず足早にトイレから出たが。一度現場から離れて落ち着いてみれば、固まっていたことを不思議に思われただけで、そこまで悲観するような見られ方をされていたわけでもないだろう。それは相手を悪く見すぎというものだ。

 勝手すぎる被害妄想をしてしまったことに心の中で詫びを入れ、濡れたままにしていた手をハンカチで拭きながら教室へと戻った。


 席に着いた私は飛んでいた妄想の続きへと思考を巡らせる。

 後ろでは帰りのホームルームが始まっているが、一ヶ月を切り迫った体育祭への意気込みを先生が語っているだけで、とくに大切な話をしている様子もないため聞き流していても問題ないだろう。

 魔法も奇跡も観測されていないこの科学の世界。八年前に遊んだお姉さんが未来の私かもしれないだなんて、現実的に考えてあり得ないと分かった上での妄想だが。なにも無から思い浮かべ、生えてきたというわけでもない。

 一つは、その思い出が誕生日の出来事であり、今日が私の十六歳を迎えた誕生日だからだろう。

 当時小学二年生だった私は、お母さんが作ってくれる誕生日の晩御飯がとっても楽しみで。その瞬間まで知りたくないという思いで家のすぐ隣の公園へと遊びに出かけた。

 住宅街の中にあるにしては遊具も揃っており、それなりの広さも有する公園だと思うが。それにしては遊んでいる子供をあまり多く見られなかったのは、すぐ近くに小学校があったからだろう。

 晩御飯までは結構な時間がありながら友達と遊ぶ約束もしておらず。公園で一人ブランコを漕ぎながら代わり映えのない空を眺めていただけの時間が続いたが。ただ晩御飯を待っているだけの時間ですらワクワクが溢れて楽しかったことを覚えている。


 余談だが、お母さんが作ってくれる誕生日の料理は毎年違い、私が一度も食べたことのないものを作ってくれる。

 その時に作ってくれたのは豚の角煮だった。

 子供の私では一口で頬張りきれないほど大きな角煮にかぶり付き、口の中でプリンのように柔らかく崩れ溶けていった感動は、私の生涯にわたる食への自由を奪ったと言っても過言ではない。

 今日の晩御飯も私の知らない料理を作ってくれるのだろうが。十六歳になってもワクワクが溢れるのは変わらず今だって楽しみだ。


 先生の声を右から左へと聞き流していた耳の中に、クラスメイトの話声や教室から出て行く音が入ってきた。

 気が付けばホームルームは終わり放課後に入っており。待ちかねたかのように部活に向かう人や、さっさと帰宅する人、友達と駄弁だべり冷房の効いた教室に留まる人と三様に見られる。

 どこの部活にも所属していない私は鞄を持って席を立つと、目の合った友達グループにバイバイと手を振り交わして教室を出た。

 彼女達は数少ない私の誕生日を知っている友達で、昨夜の日付け変更時も今朝学校で顔を会わせた時も、おめでとうと祝ってくれた良い友人達である。

 また嬉しいことに誕生日会を開こうとも計画してくれており。皆は部活があるため今日行うことこそ出来なかったが、今度の日曜日にカラオケで集まる予定だ。


 大暑は過ぎ去ったというのにとどまることを知らない炎天の下、屋根のないバス停で待たずに済んだことは、きっと誕生日の御利益だろう。

 帰途についた私は丁度校門を出たタイミングで来てくれたバスへと乗り、運転席後ろの高くなっている席へと座った。

 学校前のバス停だというのに利用している学生は私だけで車内は閑散としており。窓の外に見える歩いて下校している学生達を眺め揺られながら妄想へとふけっていく。

 二つは、鏡越しに見た私の姿にお姉さんの面影を感じたからだろう。

 面影とは言ったが顔を覚えているわけではない。

 覚えているのは首から下の朧気な全体像だけであり。そもそも顔を覚えてさえいれば、こんな妄想に浸って一人遊びなんかしていないだろう。

 そんな記憶の中の朧気なお姉さんは私が通っている高校の制服を、今私が着ている制服と同じ制服を着ていた。

 私の通っている高校は制服に手を加えることを禁止されていないため(原形は保っておく限度はある)。簡単なワンポイントから手の込んだ刺繍を入れている人まで、バスの窓から見える範囲でも特徴的な制服に身を包んでいる人が見られる。

 勿論ほとんどの学生は何も手を加えていないデフォルトの制服であり、私もスカートの丈を膝まで短くしているだけなのだが。お姉さんの制服も膝が見えていた気がする。

 だが制服だけであれば入学前に試着した時にでも、入学後に他の生徒を見た時にでも感じていたはずだ。

 そう。鏡越しに見た私の姿から感じたお姉さんの面影は、今日の私だったからこそ感じ取ることができたもの。

 誕生日の晩御飯を楽しみにしているかのようなワクワク溢れる雰囲気をお姉さんから感じ取り、子供ながらに似ていると思ったからだ。


 心地のよい冷房とバスの揺れが周りの音を遠ざけていき、記憶の中のお姉さんを覆う朧気を一枚一枚と剥がしていく。

 それでも首から上は思い出せそうにないが、髪は腰に届きそうなほど長い長髪だった。

 全力で遊んでくれて動き回ってくれたお姉さんの、振り回される長い髪をとても綺麗だと思い。それまでは邪魔だと男の子のような見た目をしていた私が髪を伸ばすようになった切っ掛けであり、今の私が腰に届きそうなほどの長髪である理由だ。

 もし私に、子供の頃に出会い別れた一夏だけの男友達のような存在がいたとして、今の私と再開するようなことがあれば。お前女だったのかよという漫画のような展開も可能だっただろう。

 肝心の身長に関しては、あの時の私と比較して大きかったことくらいしか覚えていないが。強いて言うなら威圧感は少なかった。

 今の私が平均よりも僅かに低く細身であるため、お姉さんもこのくらいだったのかもしれない。胸もあまり膨らんではいなかったはずだ。少なくとも印象には残っていない。


 段々と鮮明になっていたお姉さんの姿が突然ぐにゃりと歪み溶けたことで、これは夢だと意識を引っぱり戻した私は。窓の外の見覚えのある景色に寝過ごしていなかったと安堵したも束の間、目的地のバス停が目の前に迫っていることに気づき慌てて降車ボタンを押してしまった。

 幸い私以外にも降りる人がいてくれたようでボタンを押しても反応はなく。バス停直前でボタンを押すような迷惑な客にならずに済んだことにほっと息を吐き出した。


 バスを降りれば目の前の小学校から元気な声が聞こえてくる。

 下校の時間はとっくに過ぎているはずだが、ゲームが一般化した今になっても放課後の校庭は一定の賑やかさを保っているらしい。習い事やクラブチームかもしれないが、どちらにしてもこの暑い中よくやっているものだ。

 バス停から家までは五分とかからず、信号もなく車通りも少ない住宅街を歩いて行く。

 お姉さんとの思い出よりもずっと前から、それこそ物覚えがついた時には両親に抱えられて通っていた道。そして今朝にだって通った見慣れた道のはずだが。朧気な思い出に浸っていたためだろうか、どこか懐かしさを感じさせる。

 三つが、お姉さんの姿を目にしたのがその日が最初で最後だったからだ。

 当時子供だった私は、お姉さんと出会った日と同じ事をすれば、同じ時間であれば、同じ曜日であれば、またお姉さんと遊べるのではないかと公園に入り浸ったことがあった。

 だが飽きて忘れるまでの約一ヶ月間お姉さんの姿を見かけることはなく。今日までの八年間、公園に限らずお姉さんらしい面影に出会うこともなかった。

 もちろん現実的に考えるなら、ただ見かけなかっただけだろう。登下校に居合わせなかったでも、その日近場に用があっただけで通学路ですらないなど、いくらでも考えられる。

 それに高校受験の際に調べて知ったことだが。私の通っている高校は国内全土から入学希望者が集まる有名な高校らしく、生徒全員が寮暮らしであることの方が多いらしい。

 学校前にバス停がありながらバスを利用する学生が私しかいなかったのも、バスの窓から見えた学生達が徒歩で帰宅していたのも、みんな学校前の寮団地で生活しているからであり。お姉さんも寮暮らしであったと考えるのが自然だろう。


 結局のところ妄想はただ妄想であるという、当たり前で面白味のない現実のまま自宅の姿が見えてくる。

 差し掛かった思い出の公園は昔よりも一層活気を失っており、人の声や足音すら聞こえてこない静寂包まれた姿は特別今日に限った話ではない。

 私自身公園で友達と遊ぶことは無くなってしまったが、今でも体を動かしたいときにはよく使っているため。実質庭とでも言えるほど思い入れのある公園なだけに何度目かも知れない寂しさを覚える。

 だが今日の私が抱いた感傷は寂しさよりも懐かしさの方が大きかった。

 公園を包む静寂が似ていたか?

 同じくらい静かだったことは間違いないが、そんなものの違いは私には分からない。今日の静寂も、思い出の日の静寂も、これまで感じてきた数えきれない静寂も、みんな同じ静寂だ。

 それに、お姉さんと出会う丁度その時、私はボールで遊んでいた。

 当時家にはボールが二つあって。その時持ち出したボールはピンクだったか緑だったか。

 ジャングルジムの中にボールを蹴り込み、ピンボールのように弾かれるボールが反対側に出れば高得点という、今となっては思い付くかも分からない子供の一人遊び。

 そんな幼い私が力一杯に蹴り込んだボールは、ジャングルジムの中に入ることもなく。


『ゴンッ』


 という軽く鈍い音を鳴らして弾かれてしまい。

 そう。丁度こんな風に道路へと転がり出てしまったボールを、丁度公園の前を通りかかったお姉さんが拾ってくれたのだ。

 静寂から無人だと思っていた公園だったが、強い風もなくボールが転がってきたということは、当然その原因となったものがいるということ。

「ごめんなさい」

 男の子か女の子かも判別のつかない幼い声と、子供のものだろう小刻みで軽い駆け足の音が近づいてくる。

 ボールを拾う視界の端、顔は見えなかったが服装や雰囲気からして男の子だろうか?

 私は拾い上げた緑色のボールを両手で持ち直し、思い出と重なった現実へと自分も重ねるよう、身をかがめながら差し出した。

「暑いね!! ちゃんと水分取ってる?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思い出は空模様 シュミル @hamachi0824

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ