往復切符

かけふら

往復切符

 私と彼女との関係は終わりを迎えていた。決して仲が悪いとかではない。それどころか仲は良いし、今日だって一緒にゲーセンで遊んだばかりだったぐらいだ。それでも確実に破局までのカウントダウンが鳴っている。


 三月初めの卒業式、その日が終わってしまえば彼女は名字を変え、私の手の届かない場所まで行ってしまう。それを知っていてなお、私は行動を起こせなかった。当然だ、駆け落ちなんて所詮創作然としたものでしか無いから。だからこそ彼女も半ば諦めでその代わり嫁に行くまでは自由に、と親に交渉したらしく最後の日々を私と過ごしていた。それでも守るのが使命だろう、そんなことは重々承知している。私がただの臆病者であることぐらい、彼女との結末を受け入れている時点で分かっていたことだった。ただそれが、いつか終わってしまうものであっても心地よくて、それでずるずると過ごしてしまった。彼女がそう決断したならそれに従う、なんて言葉を盾にして現実から逃げ続けていずれ彼女を失う、それが私だった。

「明後日かー。ついに私たち高校生じゃなくなるんだよ?」

「そうだな」

「でも良かったよ。あなたも良い大学入ったみたいだし、心残りはもう無いよ」

「それは何よりだな」

「なんか冷たいなー、元気出してよ」

 私は彼女に向かって無理やり笑ってみせて、自分の不甲斐なさにまた後悔する。

「あのさー。私が決めたことでそこまで落ち込まないでよ。私を信じて、さ」

「ああ、俺よりもはるかに頭いい君が決めたことだから。そっちが正しいよ、きっと」

 正しくない、と私は言うべきだったのに、口がそれを邪魔してどうしてもぎこちなくなる。

「明日が最後、だからさ。明日ぐらい、あなたが告白してくれた場所。良いでしょ?」

「もちろん」

 彼女を見送る私の弱さに、何度も何度も、そして最早どうしようもない現実に私は涙する。いや本当に泣きたいのは彼女だ、とそれをぐっとこらえ、私も帰途を辿った。


 事情を知っている父母は何も言わず私をそっとしてくれている。その心遣いがかえって我慢していた私の心を刺激して離れない。

「明日も外出、だよな」

「ああ」

「最後だから好きなようにしなさい」

 と父は私に無理やり万札を握らせようとしてくる。私は間に合っているから、とそれを拒み明日への身支度をした。卒業式前日なんてやることもないが一応鞄と服は着なければならない。それが酷く憂鬱で時間潰しにはある意味最適だった。


 目覚めて彼女と自由に過ごせる最後の今日を迎える。特に大きなプランは考えていない。でも午前中は彼女の友人とのお別れで、彼女と共に過ごせるのは午後の数時間だけ。それを有効にしようとしたところで何となくしょうがない気がして、貯金全額を持ち出した以外は特にない。

「おい……、ご愁傷様、といえばいいのか分からんが」

「ああ大丈夫だ。俺が弱かっただけだよ」

「でもお前最初聞いた時ヤバかったからな?」

 彼は私を少しでも元気づけようとしていることがよく分かる。そういう友人を持てたことは幸運だったが今はそれが凄く辛い。


 HR後いつも通り学校で昼を摂った後、私たちはいつもの駅まで歩いていた。

「もうこの景色も最後か」

「冬何回転んだんだか」

「ちょっと、それ数えてないでしょうね?」

「流石にそこまではしないよ。それであそこまで行くんでしょ?」

「そそ」

 駅に着き、私たちは家とは逆方向の場所までの往復切符を買った。駆け落ちなんかじゃない。ただ思い出の場所にもう一度行こう、というだけだ。私たちはとある最近減便したばかりの海沿い路線を利用していた。学校の最寄りがB駅だとしたら私と彼女は上りへ三駅のA駅近辺に住んでおり、今回は逆方向、下りへ二駅したC駅に私たちは向かっていた。

「こうやってあそこに行くのも二回目かー」

「三回目があって欲しかったよ」

「ほんとそれ」

 彼女は私に向かって微笑んでみせたが、それがやっぱりぎこちなく思える。

「そろそろ着くよ」

「じゃあ降りようか」


 車掌に行きの切符を差し出し、私たちはその駅から少し離れた公園まで歩いていた。ここの公園はいつも人がいなくて、私たちにはかえってそれが好都合だった。秘密基地ほどではないにせよ、誰にも邪魔されないそんな空間。そしてある一つの大きな思い出の場所。

「いやー、やっぱ木たくさんあるからかな? 空気美味しい」

「そうだな」

 東京からだったらきっとあの街の空気でさえ美味しく思うのかな、とくだらないことを考えながら私たちはベンチに座った。そのベンチからは海が一望できて恋愛スポットになりそうだな、とは思うのだが現状はまだまだ発掘されていない。

「それでさ。いつだっけ? 付き合い始めたの」

「中三、の今日の二週間後ぐらい」

「私と同じ高校受けるから受かったら付き合ってくれだっけ?」

「そうだけど」

「それで受かっちゃうんだもん。しかも特進? 大出世じゃん」

「君のおかげだよ」


 私はここで彼女にそう告白した。もともと彼女とは同じ電車どうしで多少仲が良いぐらいの関係だった。今から考えれば蛮勇だったとしか思えない。

「でも私は告白される前から好きだったんだけど。だから落ちちゃったらどうしようって祈ってたよ」

「そうなの?」

「そうに決まってるじゃん」


 しばらく沈黙が続いた後、私は話を切り出すことにした。

「それでさ、明日にはもういなくなっちゃうじゃん。だから君が俺としたいことはなんでも叶えるよ。それだけのお金はあるから」

 彼女は少し考えた後、

「本当はあなたとずっと一緒にいたい。それが駆け落ちって言われてもね」

 できない、と私は言い切ることができなかった。彼女は私が望んでほしい願いを望んだ。そしてそれを叶えることは案外難しくは無い。けれどそれを彼女に提案することはできずに私は下を向く。

「でも私が決めたことだから。それに私が悪いんだ。あなたに告白された時にはもう知ってたのに。言い出せなかった」

「違う。君は何も悪くない」

 私は顔を上げ彼女にそう言ってみせた。本心でだけ言えば彼女の言葉をもう一度、もう二度、もう何度も盾にして逃げたくなかった。その現実をどこかで受け入れなければならなかったから。私は彼女を立たせ、数歩先の彼女と海と私たちを隔てる柵まで歩いた。私はその柵にもたれかかる。

「あのさ。本当にそれで後悔しない? 今までの記憶とか思い出全部捨てて、誰も知らない場所まで逃げだしても。後悔しない?」

「後悔なんてしないよ。あなたといれるなら」

「お金も足りなくなって、今までみたいな生活だって無くなって、互いに余裕も無くなる、それでいいの?」

「どうしたのよ。だから……」

「だったら」

 私は帰りの往復切符を手から離し、それを察したのか彼女も同じ行動をとった。

「今から逃げちゃおうよ。今からならまだ」

「でもどこに行くの?」

「どこだろうね。そこまで考えてないよ」

「一つ、あるんだ。一緒にどこまでもいれる場所」

 彼女は上方向を指さす、さも平然と。

「私はあなたとだったら怖くないよ」

「ごめんな。俺にはこれしか思いつかなかった」

「あなたの決めたことならそれで良いよ」

 彼女は私の腰に手を回し、静かに私に語り掛ける。恋して、愛しあった結末がこうなるのだと、あの時の私には一ミリとして思い描いてはいなかった。けれどその現実がもうすぐやってくる。


「じゃあ、もう行こうか」

「最後に、何かない?」

「うーん、キスとか? でも次の世界まで持ち越しだよ」

 彼女は冗談を飛ばし、眼下の海の向こうにある世界への片道切符を手に入れることにした。

 柵に私から足をかけ、向こう数十メートルを見下ろす。

「ねえ、聞かせて?」

「どうしたの?」

 彼女の、この世界での遺言を聞くため少しだけ待っていた。

「幸せだった。あなたとずっといられて、でもそれは私だけ。あなたは幸せだった? 私はあなたを幸せにできた?」

「そりゃもちろん」

「じゃあ、どうして、泣いてるの? 私のために泣いているの?」

 私はいつの間にか海へ数個落とし物をしていたようだった。それを自覚した私は何となく衝動が抑えられなくなった。生きたい、彼女の隣でいつまでも過ごしていたい。そう雑念だったものが段々心を支配して離れなくなった。


 知らない間に私は落とし物を拾うことなく、あのベンチで彼女と手を繋ぎ抱きしめ合っていた。月が夕日を追いかけようとしている時、彼女は私に手を伸べて、

「帰ろっか」

 とイタズラっぽく私に唇を重ねそう言った。

「帰るって。どこに?」

「お願い、あったんだ。時間が私とあなたを現実に戻すまで、今までのように、て。叶えてくれる?」

「そうしたら。叶えるしかないよ」

「ねえ、電車乗るまで一つだけ良いかな?」

「どうしたの?」

「結婚式しよう? 最後の思い出に」

「結婚式?」

「そう。私たちだけの秘密の結婚式」

「うん」

「新婦となる私は死が二人を分かつまで……あなたを愛します」

「新郎となる私は死が二人を分かつまであなたを愛し慈しみます」

 私が誓いを言い終えると彼女は困ったように笑い、

「これって人前でやるんでしょ? 誰も証人いないじゃん」

「あの太陽で良くない?」

「あー確かに」

 沈んでいく太陽に向かって私たちはもう一度キスをして誓う。確かに私たちの生活ももうあの証人のように終わるけれど、いつか、今度は大きな輝きを持って現れてくる。私たちもきっと、二人でいつまでも笑い合える日が来る。それを願って、無人の駅まで歩き始めた。もう終電一歩手前だった。

「さよなら。あなた」

「さよなら。俺の親愛なる人」

「やめてよ、そういうの。恥ずかしいし」

「もう今更じゃんか」

「それもそうかもね」

 私たちは電車を降り、別々の方向へ歩いて行く。私はこの選択を二度と後悔しない。むしろ誇りに持って生きていく。そう決意した。


 次の日、いつものように彼女と合流し手を繋ぐ。彼女は卒業した後の打ち上げにも参加しないらしく、彼女に触れられる機会はきっと最後だったから。同じクラスだったことが幸いして最後の数時間だけでも、彼女との写真をいっぱい撮って、いっぱい話して過ごそうと決めていた。時刻は朝七時。早すぎるけれどもそれでも遅すぎるぐらいだ。

 学校に着くと先生が書いてくれたのだろう、黒板にメッセージが添えられていて、その教室で彼女と手を繋いだまま話をしていた。けれど彼女も私も特別な話は無く、いつものようにバカ話をしていた。けれど違うのは私たちが夫婦だ、ということだ。別に誰からも認められなくても彼女と通じ合っている、その事実だけで十分なのだ。

 卒業式の時間になり、私と彼女はさよならのハグを先生の多分見ていない場所でして、後はもうお別れを迎えるのだった。

 卒業式自体はつつがなく終わった。ただその後私と彼女が気軽に出会うことはもう無い、それを実感させられる。世間的にいえばこれから私と彼女が愛し合えば「不倫」と呼ばれる、そんな関係になっただけだった。

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