第20話「魔導工学」

 あたしはドラゴミールのお屋敷にある書庫に向かって歩いていた。


 理由はもちろん、昨日セリーナさんの言っていたおじいちゃんの話を確かめる為だ。


 あたしを案内してくれているのはメイドのポーラさん。


 彼女も仕事で忙しいはずなのに、あたしに付き合ってくれるのだからホント、感謝しかない。


「レティ様、ヴァリアンターとして随分とご活躍なさっているようですね」


 ポーラさんはあたしの隣を歩きながら、いつもの柔からな笑みを湛えていた。


「まだ1週間しか経ってないんですから、活躍といえるほどのものではないですよ」


 あたしはあたしで、まだ人から褒められるという行為に慣れておらず、照れ隠しに鼻の頭をちょいちょいと撫でていた。


「そうですか? ヴァレリアーナ様も仰っていましたよ。レティさんはヴァリアンターに向いていると」


 それにはあたしも同感だ。


「そう言ってもらえると嬉しいです。でも、あたしもいつまでもここに居候しているわけにもいきませんから。早く独り立ちしないと」


 ヴァリアンター協会に所属している会員は、エーテルミナの獲得ポイントに応じてお金が支払われる仕組みになっている。


 ヴァリアンターの活動だけで食べていけるようになるにはDランクくらいにならないといけないんだけれど、その代わりヴァリアンターは希望すれば格安で専用宿舎に泊まる事が出来る。


 あたしも宿舎住まいにしようとしたものの、ヴァレリーさんから屋敷に留まるように懇願されたので、未だにドラゴミールのお屋敷でお世話になっていた。


「ヴァレリアーナ様は領民からも大変慕われているお方ですが、気軽に接する事の出来るご友人となるとそう多くはないのです。ですから、レティさんをご友人として少しでも長くお屋敷に留まらせておきたいのでしょう」


 ヴァレリーさんのような完璧な人を前にしたら、あたしだってちょっと気おくれしてしまうからね。


 そんな人があたしを友人だと思ってくれるのはとても嬉しい反面、あたしもヴァレリーさんと肩を並べるに相応しい人間にならねばならぬというプレッシャーも感じる。


「――着きました」


 ポーラさんが開いた扉の先には、あたしの想像を遥かに上回る規模の書庫が待ち構えていた。


「え”……これ、全部本、ですか……?」


 見上げると首が痛くなりそうなくらい高い書架、それが迷路にでもなりそうなくらいにズラリと並んでいる。


「はい。『書庫の本は全て自由に閲覧していただいて構わない』と、ヴァレリアーナ様から申し付かっております」


 そ、それは有難いんだけれど……


 これじゃあ目当ての本を探すのに何日かかる事やら。


「あ、あの、魔導工学に関する本はどのあたりにあるんですか?」


「まあ、レティさんは魔導工学に興味がおありなのですか? 剣の腕だけでなく学問にも精通されているなんて、尊敬いたします」


「い、いやぁ、そういうわけじゃあないんだけど……」


 あたしは右手の人差し指で鼻の頭を軽く撫でた。


「魔導工学に関する本でしたら、あそこの階段を上がって東側にございますよ」


 書庫は吹き抜けになっており、上の方にある本を取るには階段に登らなければならない。


 パっと見た感じ3階分はあるだろう。


 一体、どれだけの本をため込んでるのよ、このお屋敷は……


「ここ州都アルタは学問と芸術が盛んな都市なのです。ですから、ドラゴミール家でも魔導工学などの学術書は充実しておりますよ」


 あたしの心を読んだかのように、ポーラさんが補足してくれた。


「あ、ありがとうございます。あとは自分で探してみますので」


「はい。それでは、心行くまでどうぞごゆっくりと」


 ポーラさんはそう言って一礼すると、書庫から去って行った。


 お腹の大きいポーラさんは再来週には産休に入ってしまう為、こうして話せる時間も残りわずかだ。


 彼女はロンガリア州の遥か南にあるパンターブ州というワインが有名な場所へ帰省するのだという。


 彼女自身はヴァレリーさんのお母上が運営されている孤児院出身で、実家と呼べるものはなく、パンターブ州にある旦那さんの実家にお世話になるみたい。


 あたしはそれ以上、深い話は聞けなかったけれど、ポーラさんの境遇を考えれば元気な赤ちゃんを産んでもっともっと幸せになって欲しいなぁ、なんて無責任に思っていたりする。


 あたしは書庫の階段を上がってポーラさんに教えてもらった本棚に向かった。


 書庫の雰囲気というのは独特だな、と思う。


 仄暗ほのぐらいようで、確かな彩光が降り注いでいる。


 かび臭いようで、どこか懐かしい香りがする。


 そわそわと落ち着かないようで、一たび本に集中すればこれ以上ないくらいに没頭できる。


 街中の人込みや喧噪も、ここでは無縁である。


「えーと、魔導工学入門に、魔導工学の歴史。それから……」


 あたしは適当な本を数冊見繕うと、近くにあったデスクに座ってそれらを読みふけった。


 シルヴァニア帝国では学校があり、多くの子供達は学校に通って読み書きを習う。


 あたしの住んでいた島には学校は無かったけれど、魔導士として書物が読めなければ魔法の研究もはかどらない。


 親が子に読み書きを教えるのが島の習わしで、あたしも主にお母さんから読み書きを教わった。


 お母さんは、厳しい人だった。


 あたしに魔法が使えない事がわかってからは、特に厳しくなった。


 文字の読み書きはもちろん、四則演算や大陸の歴史などはほとんどお母さんに教えてもらった。


 他にも魔法が使えないあたしが一人で生き抜くために料理や裁縫、掃除や洗濯、果ては護身術までとにかく厳しく教え込まれた。


 お母さんはおじいちゃんの事をあまり良く思っていなくて、存命中はおじいちゃんの私物に触れさせてはくれなかった。


 そんなお母さんが3年前に亡くなった後、あたしはこっそりとおじいちゃんが残していった文献や資料を漁るようになっていた。


 そこで得た知識が今、魔導工学の本を読むのに役に立つなんてね。


 魔導工学とはその名のとおり、魔法と科学を融合させた学問である。


 本を読む限り、魔導工学には基本理論と応用理論があるらしい。


 簡単に言うと、基本理論は瘴気をエーテルミナに変換する理論で、帝国内では主にこの理論に基づいてインフラが整えられている。


 応用理論は瘴気以外のものからエーテルミナを生成する理論なのだけれど、まだ理論段階で実用化はされていないという。


 その歴史は古く、魔導士が生まれた1300年ほど前から様々な研究がされていたそうだ。


 しかし、そのほとんどは基礎魔法の一つである付与魔法に類するもので、現代における高度な技術を伴う学問に発展したのはここ30~40年ほどの事だという。


 …………ふぅ。


 一通りの本を読み終えたあたしは、書庫の高い天井を見上げて息を吐いた。


 おじいちゃんがなぜ島を出たのかは、本を読んでもわからなかった。


 でも――


 あたしは視線を落として、そっと左手首のPRISМに触れた。


 おじいちゃんが大陸で何をしていたのか、大まかな事はわかった。


 このPRISМも、おじいちゃんの研究理論に基づいて作られていたのだ。


 ならば、あたしは行かねばならない。


 このPRISМを開発した企業、シルヴァニア帝国皇都にあるクロノス重魔工業――通称『CМI社』の本社へと。

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