第14話「ゼロ・グラビティ」

 ヴァレリアーナさんのお屋敷で数日療養させて貰ったあたしは、すっかり体調を回復して自由に動き回れるようになっていた。


 今日はヴァレリアーナさんのご厚意によって、彼女の家が治める街をポーラさんと共に案内して貰っていたのだが、どこを見ても押し寄せて来る人、人、人の波。


 そのあまりの人の多さにあたしは呆気にとられていた。


 島の人口は数百人程度だったし、してやあたしが住んでいたのは人気ひとけの全く無い森の麓。


 こんなに多くの人を見たのは生まれて初めてだった。


「これくらいで驚いるようですと、皇都へ行ったらもっと大変な事になりますわね」


 ヴァレリアーナさんは肩をすくめてそう言っていた。


 あの後――あたしがヴァレリアーナさんに仕込み杖の存在に気付かれてしまった後、しかし彼女はあたしの素性を根掘り葉掘り聞くような無粋ぶすいな真似はして来なかった。


 あたしもあたしで、自分の事は積極的に話さないようにしていた。


 取り敢えずは「すっごい田舎から出て来た世間知らずの少女」というキャラで押し通す事にしたのだが、器の大きい彼女はあっさりとそれを受け入れてくれた。


「皇都って、帝国の中心地なんですよね?」


 あたしが島から出て、流れ着いた先はシルヴァニア帝国という広大な国だった。


 この国は全部で17の州から構成されている連邦国で、ヴァレリアーナさんのお父上はその内の3州を治める超大物。


 それも、帝国皇帝を選ぶ権利を持つ5つ名家、「選帝侯」の家柄だというから驚きだ。


 ドラゴミール家は帝国内でナンバー3の実力者なのだけれども、彼女には二人の兄がいるから家督を継ぐ事はないそうだけれど。


「ええ。まあ、わたくしも初めて皇都へ行った時は驚きましたけれど――と、着きましたわ」


 ヴァレリアーナさんが案内してくれたのは、4~5階建ての縦に長い建物だった。


「ここは……?」


「百貨店ですわ」


「ひゃっかてん?」


「ええ。必要なモノはここへ来れば一通り手に入る便利な所――と認識していただければよいですわ」


 こんな風に見上げる建物、島では神殿以外には無かったのにこの街にはいたる所に立ち並んでいる。


 最長老様、どうやらあなたの予感は正しかったようです。


 島が鎖国している300年の間、大陸の文明は想像の遥か上をゆく進歩していました。


「さ、こちらへ」


 あたしはヴァレリアーナさんの後ろに付いて行くと、ポーラさんはあたしの後ろから付いて来る。


 最初は監視されているのではないかと思ったけれど、身重なポーラさんは歩くのが少し遅いから一番後ろに控えているのだという。


 ポーラさんは来月から産休で、しばらくお屋敷からは離れてしまうらしい。


 元気な赤ちゃんを産んでくれればいいのだけれど。


「――うわぁ……」


 百貨店とやらに入るや否や、あたしは口を開けて呆然としてしまった。


 街の外も凄い人だったが、お店の中も溢れ返れんばかりの人で満たされていた。


「この百貨店には各地から地下鉄で人が集まって参りますの。今度、そちらの方も案内して差し上げないといけませんわね」


「ちかてつ?」


 またもや聞き慣れない単語に首を傾げていると、ポーラさんが背後から「列車の事です」と教えてくれた。


 そのれっしゃが何かわからないんだけど……


「ほら、レティさん? はぐれないように付いていらして」


「は、はい……!」


 あたしは人混みの中を泳ぐようにして、必死でヴァレリアーナさんの後を追う。


 肩がぶつかるのはまだいい方で、足を踏まれたり、他人の荷物がお腹にヒットしたりと、山で鍛えた身体能力には自信があったあたしの鼻っ柱を見事に折ってくれた。


 ポーラさんは後に続きながら、あたしが四苦八苦している様を微笑ましく見守っている。


 あの身重な身体でも人と人の間をうまくすり抜けているのだから、これは慣れるしかなのね、きっと……


「さ、お次はこれに乗りますわよ」


「……えぇ?」


 すでに肩で息をしていたあたしに追い打ちをかけるように、目の前に奇妙なモノが現れた。


「う、動く階段……?」


「エスカレーターと言いますのよ。さ、転ばないように落ち着いて乗って下さいまし」


 ヴァレリアーナさんがお手本とばかりに軽やかな足取りで動く階段に乗っていた。


 あたしもヴァレリアーナさんの見様見真似でエスカレーターとやらに足を乗り出すも――


「あわわ……」


 バランスを崩して、後ろに倒れそうになってしまう。


 いけない、このままじゃポーラさんにぶつかって――


「『重力の楔から解き放てョセモーレマロ』!!」


 ………………え?


 気付けばあたしは、ポーラさんの上でふよふよと宙に浮いていた。


 い、今のはもしかして……ヴァレリアーナさんの魔法?!


「――そのまま落ち着いて。ゆっくりこちらへいらしてください」


 既にエスカレーターで2階へと上り切っていたヴァレリアーナさんが、あたしに向かって叫んでいた。


 百貨店内も騒然としており、誰しもが宙に浮かんでいるあたしに注目していた。


 この上なく恥ずかしかったのだが、今は彼女の言うとおり2階へ向かって空中を泳ぐ事にした。


 あたしがヴァレリアーナさんの前まで辿り着くと、彼女は優しく受け止めてくれた。


「お怪我はありませんの?」


「あ、はい……お蔭様で」


 ヴァレリアーナさんはあたしの無事を確認すると、周囲に向かってこう叫んだ。


「皆さま、お騒がして申し訳ありませんでした! このとおり、彼女は無事ですわ! どうぞ、引き続き心行くまでショッピングをお楽しみになさって下さいませ!!」


『おぉ~!!』


 ヴァレリアーナさんに向かって歓声が上がっていた。


「さすがは『ゼロ・グラビティ』!!」

「ああ、強くて美しくて優しくて……オレ達の理想の姫様だ!」

「きゃ~、ヴァレリアーナ様ぁ~! ステキですぅ~!!」


 老若男女問わず、ヴァレリアーナさんに賛辞が浴びせられていた。


 すごい人気なのね……


 一緒にいるのがあたしで申し訳ないくらい、彼女は領民に慕われているようだった。


「ポーラも無事ですわね?」


「はい、お嬢様」


 いつの間にやらあたしの背後にポーラさんが佇んでいた。


「す、すみませんポーラさん……あたし、もう少しで……」


 あのままポーラさんにぶつかっていたら、お腹の赤ちゃんは今頃――


「大丈夫ですよ、レティ様。ドラゴミール家のメイドはあれしきの事で倒れたりしませんから」


 ポーラさんはいつもの聖母スマイルであたしを優しく受け入れてくれた。


 これが公衆の面前で無かったら、あたしは泣いていたかもしれない。


 島ではこんな風に他人に受け入れてもらった事が無かったから……


「さ、行きますわよ。目的のお店はすぐそこですから」


 あたしは赤面しながら、ヴァレリアーナさんの後に続いたのだが――


「え”?! このお店って――」


 あたしはこの後、更に顔を赤くする事になる。


 ヴァレリアーナさんが連れて来てくれたお店、それはランジェリー専門店だったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る