第2章:大陸と少女
第11話「嵐」
島を出てからすでに3日が過ぎていた。
あたしは大海原を漂う小舟の上で天を仰いでみる。
昨日までは晴れ渡っていた青空も、今日はどんよりとした曇り空だ。
視線を海に戻せば、右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、ただただ水平線が広がるばかり。
まるで、この世界にはあたしとエミリー、そしてゼノハルトしかいなくなってしまったかのようである。
そのゼノハルトといえば、あたしの前で黙々とオールを漕いで船を西へと進ませていた。
出発当初こそゼノハルトの風魔法のおかげで旅は順調かと思われたのに、彼はすぐに魔力切れを起こしてしまった。
ゼノハルト本人も知らなかったらしいのだけれど、どうやら彼の魔力量は魔導士としては最低ランクで、持続力に乏しいらしい。
魔力は時間が経てば回復するとはいっても、それまで何もしないわけにはいかない。
水や食料には限りがあるし、嵐にでも遭ったらこんな小舟じゃひとたまりもないのだから。
風があればまだ良かったのだけれど、今はぴたりと止んでしまっている。
ゼノハルトは島を出る時、彼が最長老様を人質にして大立ち回りをやってのけたのは、必要に迫られたからであり、普段は滅多に口を開かない。
極めて合理主義な性格をしているようなのだ。
あたしとしては合理云々よりも、もう少し彼の人と成りを知りたい所ではある。
これからしばらく一緒に旅をする事になるのだろうから、得体の知れない異性よりも気心しれた仲間として助け合いたいのだ。
正直に告白すると、「島を出ればきっと楽しい毎日が待っているに違いない」なんて妄想していた時期があたしにもありました。
けどまあ、現実はそんなに甘いものではないのよね。
「――レティ。喉、乾いてないか?」
などと考えていたら、オールを漕いでいるゼノハルトが声をかけてきた。
「ううん、大丈夫。ゼノは?」
「問題ない」
「そう……漕ぎ手、そろそろ代わろうか?」
「まだ大丈夫だ」
「そっか」
――――以上、会話終了。
彼は無駄口を叩かない分、必要な事はきちんと伝えてくれる。
今だってあたしの事を気遣ってくれていたのよね。
けどさ、もうちょっとこう、楽しく旅をしたいじゃない?
エミリーが人語を話せればよかったんだけどね。
彼女はあたしの言葉は理解してはくれるものの、向こうはキュイィとかキュルルゥばかりで会話としての面白味には今一欠ける。
そのエミリーはといえば、今は船の隅っこで荷物の影に隠れて、丸くなって眠っている。
ただ、こんな船の上の生活でも少しは変化があった。
あたしとゼノハルトの呼び名である。
レティに、ゼノ。
ただ、これは互いが親密になったというわけではなく、「ラヴレンティは長くて呼びづらいから」という味も素っ気もない理由でこうなっただけなんだけれど。
「……マズイな」
急にゼノがそんな事を言い出した。
「どうしたの?」
「あっちの空を見てみろ。雨雲が迫っている」
あたしがゼノの指差した方向を見てみると、確かにゴロゴロと稲光を伴っている雲が見えた。
「地図によると、あと1日はかかるんだったよな?」
「今日で3日目だから……うん、そうだと思う」
おじいちゃんの地図が正確であれば、の話だけれど。
何せ大陸と島は300年以上交流していないのだ。
その間、大陸の地形が変わったり、海流のパターンが変わったりしていたとしても不思議はない。
「漕ぎ手、代わってくれないか? 俺は荷物を固定し直してくる」
「あ、うん」
あたしはゼノと場所を後退して、さっきまで彼が握っていたオールを手に取る。
……温かいな。
いやまあ、ずっとゼノが握ってたんだから当たり前といえばそうなんだけど。
こういう異性の温もりって10年前にお父さんが死んで以来だから、懐かしいというか新鮮というか。
「おい」
「っ、何っ?!」
急に話し掛けられて、あたしは思わず変な声を出してしまった。
「この浮袋、一応持っておけ」
あたしはゼノからマジックワンドを渡されると、それをお腹の前に置いてオールを漕ぐ。
「エミリー、お前は寝すぎだ。いい加減起きろ」
「キュキュィ……」
エミリーはゼノに起こされて、不機嫌そうな声を上げていた。
と、その時。
「――きゃっ」
急に船体が大きく揺れ動いた。
「な、何……?!」
「……風だ」
ゼノの言うとおり、少し強めの風が吹いていた。
風自体は喜ぶべき自然現象なんだけれど……
「……嵐になるな」
珍しく、ゼノが不安げな表情を見せていた。
ゼノはロープをきつく縛って荷物を固定し直していたものの、その表情は硬い。
それからしばらくすると、ゼノの言うとおりあたし達は吹き荒れる暴風雨に見舞われた。
「レティ、オールはいいから振り落とされないように一ヶ所に固まれ!!」
「う、うん!!」
あたしはゼノの隣にぴったりとくっついた。
すぐ近くにマジックワンドが転がっていたので、落とさないようにそれを拾い上げる。
「エミリー!! おいで!!」
あたしは少し離れた所にいたエミリーに手を伸ばした。
エミリーがあたしの方へ向かって走り出した、その時――
「――きゃあっ?!」
船体が
その弾みでエミリーが海へと投げ出されてしまった。
「キュキュ~ッ?!」
「え、エミリー?!」
あたしが叫ぶと同時に、ゼノが海の中へ飛び込んでいった。
「ちょっ……!!」
荒れた海の中を目を凝らすようにして二人の行方を探す。
「――ぷはぁ!!」
ゼノはすぐに海中から顔を出してくれた。
「ゼノ!!」
あたしは彼の顔を見て安堵する。
「エミリーは無事だ!! それより、浮袋を――」
ゼノが何かを叫んでいたが、船体は波によって大きくうねり、あたしの視界から彼を消してしまった。
「エミリー! ゼノ!!」
あたしは船にしがみ付きながら、二人の名前を叫んだ。
が――
「え……?!」
次の瞬間、船体がひっくり返り、あたしも海の中へと放り出されてしまった。
うそ、でしょ……?
あたしの旅、こんな所で終わっちゃうの?
お父さん、お母さん、おばあちゃん……ごめんなさい……
冷たく沈みゆく海の中で、あたしの胸中には家族との思い出が走馬灯のごとく去来していた。
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