第38話 もう少しだけ一緒に


「……そっか! デジタルのツールもそりゃあるか」


 色んな感情が乗って、変に力の籠った返事になってしまった。

 黒江が小説を書くこと、それは嬉しいけど心配で、楽しみだけど不安だ。

 そして純粋に知らないものに対する興味もまた間違いなくあった。彼女もそうであったように、小説と聞くと過去の文豪のようにアナログで書くというイメージがあったのだ。


「私も、書き始めたのが紙と鉛筆だったし、机に向かってひたすら書くのが好きだったから頭から除外してたんだけど……試しに使ってみたら便利でビックリしちゃった。これなら修正も楽だし、いつでもどこでも書けるんだ」


 黒江は照れくさそうに、しかし少し誇らしげにそう語った。

 彼女が「嬉しい」と言ったのは、二人共夢に向かって歩み出していることに対してだと思う。だが俺には彼女の方が何歩も先を行っているように見えた。

 それだけ彼女の笑顔は眩しく輝いていた。


「前書いてたやつ書き直してるのか? デジタルリマスター的な」


「ううん。新しい話。前のは全部は覚えてないし、その……ちょっと、いや結構暗かったから」


 前作について、詳しくはとても聞けないが、相当な負の感情をぶつけた作品だったのだろう。なんとなく昭和の文豪のような感じの作品だろうかと想像した。


「アレはアレで楽しかったけど、半分自傷行為みたいなものだったんだ。自分の内臓引っ張り出して並べる、みたいな——そんなだからお母さんも止めさせたんだろうね」


 比喩はよく分からないが、とにかく彼女にとって創作が壮絶な苦しみを伴う行為だったというのは分かった。

 そういえば、似た話をハリウッドの脚本家の話だったかでも聞いたことがある。

 俺は早いうちにそういうのを聞いていたのもあって作り手への憧れは早々に捨ててしまった。

 それに比べて黒江はその苦悩に苛まれながらも書くのを止めなかったのだ。それは本当に並大抵ではない事だが、同時に絵梨さんがそれを止めてしまう気持ちも少し理解できてしまう。


「今は、どんな話書いてるんだ?」


「んー、まだ内緒。完成したら慎には絶対読んでもらうつもりだから。でもそうだな、今言えるのは『蜘蛛の糸』みたいな救いある話って……所までかな」


「おお……! ってそれ最後にまた落ちるんじゃなかったか!?」


「バレた。最後まで救いになるか否かは……書きながら、これからの私が決めるつもり。読んでからのお楽しみだね」


 冗談めかしているが、作風を変えるというのはきっと相当難しいだろう。映画だって同じ監督の作品はやはりテーマや主張は一貫していることが多い。


 だがなによりも、黒江が当然のように未来これからの話をしていることに俺は感銘を受けてしまった。

 楽しくても苦しくても、とにかく彼女が好きな執筆を続けてくれたらそれだけで喜ばしいことだと思う。


「あ、でも慎は小説あんまり読まないよね。苦手?」


「苦手ではないけど、読むの遅いから映像派。でも黒江が書いたのはどんだけ難解でも、時間かかっても読むぞ」


「ふふっ、ありがと。とびきり冗長で複雑な文章にしようかな」


「勘弁してください……」


 そんなやり取りをしていると、テレビの方から特徴的なテーマソングが流れ出した。これはグレムリン達が大暴れしているときと、それからエンディングに流れる曲だ。


「——あっ、終わっちゃったね『グレムリン』。というか作業ももう殆ど終わりじゃない?」


 見ると完全に白紙状態の物はもう無くなっていた。お互いの手元にある物を仕上げればお仕事完了だ。

 時刻も、夕焼けが部屋に射し込んでノスタルジックな雰囲気を醸し出す頃だ。


「じゃあ、ちゃっちゃと終わらせて解散にするか。さすがに疲れたよな」


 口ではそう言っているが、ほぼ半日一緒に居たのに、なんだかいつもより“満ち足りない”感じがする。だが拘束時間を考えると、これ以上彼女を引き留めるには口実が必要だ。そして咄嗟にそんなものが思いつくほど器用な頭はしていないというのは自覚がある。

 そんなことを考えていると、黒江の方から予想外の言葉が飛び出してきた。


「ねぇ、もう一本だけ観ようよ。いつもみたいに、ちゃんとさ」


「——いいね。実は俺もそうしたかった。特に観たいの無かったら俺が選んじゃうけど」


「あー、じゃあさ。慎が最近観て一番印象に残った映画がいい。私の好みとか何も気にしない、一番のやつ」


 彼女は心なしか弾んだ声で無邪気に言う。多分俺も似たような声を出していると思う。


「アナタはまた難しいことを言うんだから全く……一番? ちょっと片付けながら悩むわ」


 絵具やら小道具やらを片付け、乾かす必要があるものは一旦廊下へ出しておく。その間に黒江が折り畳み式のテーブルを仕舞ってくれていた。

 換気の為に開けていた窓も閉めようとベッドに乗る。季節外れのポカポカ陽気という予報の通り、カラッとして心地よい風には子ども達の軽やかな笑い声が乗っていた。


 そうこうしている間もずっと頭の中にはいくつもの映画タイトルとそのハイライトが浮かんでは消えてを繰り返していた。


「『RRR』、今から見るには長いか。『aftersun』は傑作だったけど一番か? と言われると悩ましいな。『イノセンツ』と『オオカミの家』はちょっと怖すぎだし露悪的なとこがちょっとな。そういや『花束みたいな恋をした』も最近観たな……いやでも恋愛物なら——」


「ふふっ」


「他人に難題を出しておいて、なにをニコニコしてるのかねこの人は。俺が悩んでる姿がそんなに楽しいか」


「楽しいよ。そう言う慎も実は楽しいでしょ?」


「ハハハ……おかげさまで、最高だよ。黒江さ——あっ」


 彼女の名前を呼ぼうとして一つの映画のポスターが、ひいてはそのヒロインの姿が浮かび上がった。

 なんで真っ先に出てこなかったのか不思議なくらい、印象的な映画があったじゃないか。

 

 リモコンを操作し、動画配信サブスクのページを開く。マイナーな映画はサブスク入りしないことも多々あるが、アレはたしか最近追加されたという話をチラリと見た記憶がある。


「あった! よかった……!」


「『ファルコン・レイク』? 聞いたことないけど、本当に最近のやつだね」


 『ファルコン・レイク』、それは俺が黒江の飛び降りに遭遇する前に観に行っていた映画だ。

 映画以上に衝撃的な現実に上塗りされてはいたが、内容は確かに本当に気に入った作品だった。それに——。


「これ、ヒロインの名前“クロエ”じゃない?」

 

「さすが、気づくの早いな。別にそれだけが理由で印象に残ってるわけじゃないんだけどな」


「ふーん」


「なんだよ……いや本当だからな?」


 ニヤニヤ笑いと生暖かい視線にいたたまれなくなってくる。

 俺の単純さも悪いのだろうが、なんだか色々なことが彼女に筒抜けになっている感じだ。


「ジャンルは、恋愛? 珍しいね」


「微ホラーひと夏の恋愛モノって感じだな。ほら、ダメにするクッション。いつもの所でいいよな」


「ん。結局ホラーなのね……別に良いけど」


 口を尖らせてぶつくさ言いながらも素直にいつもの体勢になる黒江。やはり、この状態がお互い一番違和感がない。


「それじゃ電気消すぞ」


「えっち」


「はいはい」


 彼女の軽口は受け流して電気を消し、俺もまた定位置、彼女の真横に座って再生ボタンを押した。

 

 ——この映画を黒江と一緒に観るなんて、劇場で観たあの日の自分に言っても絶対に信じないだろうな。

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