第37話 雰囲気づくり


「ねぇ慎、私が悪かったから……もうこんなことやめよう? こんな、連続でなんて」


 黒江が弱々しく情けない声を上げる。

 だが事前に彼女の同意はしっかりと取っていたし、これは俺達のこれからに必要な行為だ。

 それは彼女も承知しているはずだが、それでもいざ体感して怖気づいてしまったのだろう。


「お楽しみはまだまだこれからだろ。そもそも最初に言い出したのは黒江だよ」


 俺もまた正常な状態ではなく、ハイになっていることは自覚していた。なにせ状況が状況だ。


 いつも通りの部屋にいつも通り二人きり。だがいつもとは違うことがいくつかある。


「もう一生分の悲鳴聞いてるし、一生分の血糊見てるよ……!」


 そう! 休日返上で朝からホラー映画鑑賞会と洒落込んでいるのである。


「仕方ないから次は優しいやつ……『グレムリン』かな。ビジュアルも良いし、参考になるかも」


「え、わっ、可愛い。これもホラー?」


「モンスターパニックっぽい感じかな——ほら、手止まってる」


 そしてもう一つ、並行して“ホラー喫茶”の小道具作成も行っている。

 

 出し物は無事にホラー系のコンセプトカフェで確定した。

 反対派の多くは接客班だったのだが、ハロウィンの仮装のような“怖可愛い”衣装案を見た途端すっかり乗り気になった。なんとも現金なものである。

 よく分からないが、興が乗った衣装班が作ったそれは大変バエるものだったらしい。


 それは良いのだが、結果的に内装班は数多の小物づくりに追われることとなった。


「はぁ、赤と黒の絵の具もこれが終わったらしばらく見たくないな」


 俺達が任されたのは事前に作ってもらった小物に指示通りの色を塗るという単純極まる作業だ。それでも数がそれなりだったため、休日にまで作業が食い込んでいるわけだ。

 そしてただ黙々と作業するよりはと、ついでにインスピレーションを刺激すべくホラー映画をひたすら流している。

 

 文化祭本番まで、もう一週間を切っていた。

 


「——それにしても、慎はこういう行事とか適当に流すタイプだと思ってた」


 また黙々と作業を再開して一時間ほど経った頃、『グレムリン』で言うと丁度ディーグル夫人が窓から吹っ飛んでいった後、黒江が思い出したようにそう言った。

 手は止めずに特に深く考えずに思い浮かんだ言葉を返す。


「急だな。黒江ほどの意外性はないと思うけどな」


「それはそうかもだけど。私はあくまで“内装班の一人”って仕事しかしてないけど、慎は浪川くん達との話し合いにもよく混ざってるし、中核っぽい仕事もしてるから。意外だなって、気になってた」


 たしかに班を超えた仕事もやってはいるが、大抵は風間の付き添いだ。あとはホラー好きと公言したこともあって意見を求められることもあるか。


 だが去年の自分は適当に最低限の仕事を終わらせたらすぐに帰って映画を観ていた。そこから考えるとたしかに随分働いているとは思う。

 

「アナタが意欲的に仕事するから、俺も仕方なくですね」


「ほんと? それだと私より働いてるのは変じゃない? それに、すごく楽しそうに働いてるし」

 

「——黒江、なんか前より鋭くなった?」


 思わず作業の手を止めて彼女の方に向き直る。絵具の独特な匂いが鼻腔をくすぐる。

 彼女は視線に気が付いたのか「手止まってるよ」といたずらっぽく言って笑った。

 何か言い返そうとして、ちょうどそのタイミングで映画の方である歌が流れ始めた。

 

『ハイホーハイホー仕事が好きー』


「「ふっ」」

 

 あまりのタイミングの良さに二人揃ってハッと画面の方を観て、堪えきれず噴き出した。

 ひとしきり笑ってから、なんとなく「もう黒江に隠し事をするのは難しいな」と感じた。


「あー、俺の夢の話覚えてる?」


「映画館。忘れるわけないでしょ」


「お、おう……ありがとう」


 覚えて貰っているだろうと思って聞いたが、いざハッキリ言われるとなんだかムズ痒い心地がする。

 夢とか将来とか、そういう真っ直ぐにキラめいた話をすること自体にまだ漠然とした抵抗感が湧いてしまう。この感覚は早々消えるものではないだろう。


「予行演習じゃないけど、経営とか空間づくりとか……少しは勉強になるかなって思って。実際役に立つような事かは分からんけど、やらないよりはと思ってたら段々楽しくなってきて、な」


 なんだか言い訳をする子どものように口ごもりながらになってしまった。


「なるほどね。うん、なるほどなるほど」

 

 黒江はそんな俺の話に途中で口を挟まず聞いてくれたのは良いが、わざとらしく何度も何度も頷いて、なんとなく表情もニヤついていた。


「……なんだよ」


「ううん、なんか嬉しいなって」


 そう言うと彼女はポケットからスマホを取り出し、慣れた手付きで画面を操作してから、ずいと見せつけるように突き出してくる。

 そこに映し出されていたのは小説執筆ツールにびっしりと書かれた文字列だった。


「私もまた小説書き始めたんだ」

 

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