第34話 トーク・トゥー
俺と黒江は、三つ折りにした敷布団に二人横並びに座っていた。
いつの間にか、部屋の主に促されるままそうなっていた。普段と距離感こそ変わらないが段差がない分、すぐ近くに彼女の熱を感じる。
「最初に言っておくけど、今回の事は全部私が悪いから」
お互いに目元を赤くし、鼻をスンスンすすりながらしばらく落ち着く時間を取って、彼女から出たのがこの一言目である。
「いやそんなことは——」
「ダメ。慎はさっき謝ったから次は私の番」
いじっぱり。
だが彼女に話したいことがあるならば止める理由もない。先ほどの言葉に反論するのは後でもいいだろう。
「まず、私の昔話してもいい?」
「もちろん。聞きたい」
食い気味に返事をすると黒江は「そんな意気揚々と聞く話じゃないよ」と困ったように笑った。
彼女は抱えた膝に顎を埋めてぽつぽつと語り出す。
「私、小さい頃から一人で居る時間が長くてね。お父さんは顔も知らないし、お母さんはお婆ちゃんから引き継いだばっかりのお店に付きっきりで。店は小さい子どもを置いておける場所でもないからって、この部屋にたくさんの本と一緒に入れられて『お仕事終わるまで待っててね』って、すごく申し訳なさそうに言うの。断れるわけないよね、そんなの」
聞きながら、先ほど話した絵梨さんと店内の様子が浮かぶ。確かに煙草と酒気が染み込んだあの空間は無垢な少女とは対極の存在だ。
「お腹が空いたら居間に降りて、お店の方から聞こえてくる知らない大人たちの大笑いと叫ぶみたいな声を聞きながら作り置きを食べて……また部屋に戻って本を読むの」
「………」
絵梨さんと会話をしていなければ、もしかしたら憤慨していたかもしれない。今はとにかくやるせない気持ちで胸がいっぱいになってしまう。
今は遠い寂しさを懐かしむような彼女の横顔を、ただ目を逸らさずに見て話を聞くことしかできない。
「そんなだから保育園も、小学校も周りに馴染めなくてずっと一人。成長して環境が変わったら、今度は楽だからって一人で居ることを選んでた。ときどき話しかけてくる人は居たけど、少し会話をするだけのことが私には怖くて苦しくて、私から突っぱねたり……そもそも相手が最初から揶揄うつもりだったりで、とにかく上手くいかなかった。だから——よくある話だけど、本の中に逃避してた。物語に入り込んでいる間は寂しい現実を忘れられたから」
「それで、小説を書き始めた?」
「そう。最初はノートの落書きみたいな……って待って、慎にこの話してない気がするんだけど? え、なんで?」
「あっ」っと、声が漏れた。今更手で口を押えても何もかも遅すぎる。
これまで本人の口から聞くまでは隠し通そうとしていた秘密を思わず、本当に何の気なしに零してしまった。
怪訝そうな彼女の目に射抜かれ、誤魔化しは効かないと観念する。
「えっとその……寝言で」
「寝言?」
『呪怨』を観た晩のことを詳らかに説明した。
それを聞いて黒江は途中から両手で顔を覆って唸り出してしまった。相当恥ずかしがっているようだ。
こちらもこちらで負い目があるから何も言えない。
何とも言えない、いたたまれない空気が流れた。
「絶対言うつもりなかったのにい……ッ!」
本当に申し訳ないが、全力で悶える黒江からは少しコミカルさを感じてしまった。
「まぁでも、所詮は寝言だし話半分くらいに聞いてたから。実質無かったこと、みたいな」
「……でも気使う場面あったでしょ」
気を遣う、という言葉が適切かは微妙なところだ。確かに日常会話ではなるべく黒江の家族についてはあまり触れないようにしていた。
しかし知らない
「無言は肯定ね」
黙ってしまった俺の意図を誤解した彼女は、そう言って彼女は自分の頭を俺の肩にぶつけてきた。ロマンスシーンでよくある肩に頭を“乗せる”のではなく、“ぶつける”だ。
勢いは大したことなかったが、それでも硬い骨同士が衝突してゴンと低く鈍い音が鳴った。
「なにしてる!?」
「気使わせた謝罪と、迂闊だった自分への自罰と、『寝言なんて言ってなかった』って嘘ついた人への報復——のつもりだったけど、思ったよりゴツゴツで痛かった」
何故か淡々と説明する黒江。
そういえば、彼女が変なところで発揮する思い切りの良さを思い出した。
「あーもう、ちょっと診せて」
たんこぶくらいならいいが、震盪でも起こしていたら事だ。
サラリした髪をかき分けてぶつけた辺りを撫でるように優しく触る。「痛くないか」と確認するが、黒江が急に静かだ。
「この前と逆だね」
一瞬何を言っているのか分からないかったが、それが頭を撫でるという行為を指して言っていることに数拍の間をおいて気が付いた。
咄嗟に「ごめん!」と手を退けると、彼女は寂しそうな目のまま、口元だけいたずらっ子のように持ち上げて続けた。
「君って、他の子にもこういうことする?」
「……しないよ」
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