第26話 君は変わった


 翌日から文化祭に向けた準備が始まった。

 内装班は具体的なコンセプトが決まるまでは本格的な仕事は無いと思っていたが、どうなっても使う食器などを揃えたり、浪川達と方向性について話し合ったりと案外忙しかった。

 そして、俺にはそれとは別に懸念事項が生まれていた。


 黒江の様子が、なんだか変だ。


「黒江さーん、結局テーブルクロスってどうするんだっけ?」


「これは、作るのは時間かかっちゃうからハンズとかで似たような物探すことになってたはず。一応風間くんに確認取ろうか」


 意欲的で。


「黒江さんっていつも本読んでるよね、どんなの読むの?」


「えっと、色々読むけど今はホラーが多いかな。耐性付けたくて。読んでみる?」


「いやーホラーはちょっと……恋愛系で良いのない?」


「フフッ、それなら——」


 社交的で。


「神崎くん、これ運ぶの手伝って……どうかした? ボーっとして。体調悪い?」


「えっ、あーごめんごめん。持つよ」


 周りもよく見えていて気が利く。

 ずっと周囲に感じだ。


「黒江さん、全然イメージと違ったわ。お前が惚れる理由も分からんでもない」


 風間も今の彼女をそんな風に評した。



 端的に言えば、学校での彼女は明るくなった。それは俺と居るときとはまた違う雰囲気で、本当に別人のように感じることすらある。

 少なくとも文化祭準備の時間は生き生きとして、よく働き、よく話す。同じ班の女子達とも馴染み始めているように見える。

 

 それはきっと、とても良い事だと思う。最初は「俺のおかげかも」なんて自惚れていたが、段々が大きくなっていった。


 一つ目、黒江が突然自己改革を行った理由が分からないこと。

 今までの彼女の変化はあくまで徐々に、時間をかけてのことだった。それも俺に対してだけの変化だ。

 今回のそれは唐突で、相手も選ばず、振れ幅もあまりに大きく思える。それは違和感を覚えるには十分すぎるほどのものだった。



 二つ目、彼女が無理をしているのではないか、ということ。

 人はそんなに急に変われない。彼女は意識して明るく振舞っているのは間違いない。慣れないことをして内心には大きな負担を抱えているのではないだろうか。


「黒江、その、かなり張り切ってるな」


 思わずそう聞いてみたときは——。


「えっ、そうかな? 普通じゃない?」


 額に眩しい汗を浮かべてそう返されてしまってそれ以上の追求は出来なかった。

 笑顔が引き攣っているように見えたのも、今では先入観が混じった眼が見せた幻だったような気がしている。



 そして三つ目は——これは自分でも直視したくない醜い心だ。





「今日は何観るの?」


 木曜日、いつもの映画鑑賞会。


 彼女は定位置に腰を落ち着けるとお決まりの質問を投げかけてきた。


 文化祭準備のせいで時間は後ろにずれこんでいるが、会自体はしっかりと続いている。

 変わったのは晩御飯を先に食べるようになったくらいで、黒江自身は学校での変化のようなものは見られない。いつも通りだ。

 母さんとは温かい談笑をし、映画は真剣に観るし、時々泣いたり小さく笑ったりもする。観終われば相変わらずの鋭い視点から物語を噛み砕き、意見を交わした。


 俺の前にいる彼女は、変わらない。クールでどこか達観していて、儚さすらある。

 今まで全く気にならなかったそれらが何だか冷淡なものに感じて、さらに不安を増長させた。


 その内心は努めて表に出さないように答える。


「せっかくだから学園祭的な話がある映画でも観ようかなと思ったけど、どう?」


「——いいね。タイムリーで。タイトルは?」


 彼女の声がわずかに沈んだ気がしたのは気のせいだろうか。

 

 今の黒江がよく分からない。ならば、最初の頃と同じだ。映画を観て、語って、ほんの少しずつ理解していく。

 俺に出来るのはそれくらいだというのは、散々突き付けられている事実だ。


「タイトルは『ワンダー 君は太陽』、だね」


 開けていた窓から冷たい夜風が吹き込む。昨晩降った雨の匂いが微かに鼻腔をくすぐった。

 大して寒くないはずなのにブルっと身体が震え、腕に鳥肌が立つ。俺はそれを薙ぎ払うように窓を閉めた。


 振り返って黒江と目が合う。


「すぐ冬になっちゃうね」


 彼女は寂しそうに言った。俺は返事が思いつかなくて曖昧に笑った。

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