第22話 聖域指定


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『君との友情は何よりも大事なんだ』


『めいわくかけて、すまない』



コンセクエンス報いだ』 


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 『ジョンウィック』シリーズは亡き妻の残した愛犬を殺され、思い出の愛車を盗まれた伝説の殺し屋が“復讐”の為に裏社会に舞い戻り、暴れに暴れるガンアクションの超人気シリーズだ。

 本作はその四作目。舞台の一つが日本の大阪——実際の土地とはかなり異なる——で、日本人の出演者も登場するということで国内でも大いに宣伝されていたからか客席もほぼ満席だ。期待していた忍者風、サムライ風の殺陣も最高だ。


 これでもかと詰め込まれたアクションシーンの暴風雨に飲み込まれて三時間近くある上映時間が本当に一瞬で過ぎ去ってしまった。そして、何よりも主人公ジョンウィックを中心とした友情と愛の物語が素晴らしかった。本当に固く結ばれた美しい絆というのは立場や境遇、逆境を超えるのだと示してくれた。


 それにしても終盤の展開が本当に衝撃で照明が戻ってもしばらく放心してしまった。

 それは隣の彼女も同じだったようで、二人して立ち上がりもせず、しばらく言葉も発さず背もたれに身体を預けていた。

 真ん中の座席を選んでよかった。端の方の席を選んでいたら周りに迷惑をかけていたところだ。


「黒江、大丈夫か?」


 しばらくして、真隣の観客達も退席し始めたのでそう声を掛けた。


「——うん。やっぱり映画館で観て良かった」


「それは完全に同意。とりあえずどっか入って大いに語ろうぜ」


「そうだね、喋りたいこと沢山ある」


 相当気に入って貰ったようで本当に良かった。

 彼女の久しぶりの映画館体験が最高のものになるかどうか、約束を取り付けた日から少しだけ心配していたが杞憂に終わったようだ。

 

 劇場から出る間も「それにしても階段から落ちるシーンが長すぎる」「それがいいんだ」なんて軽いやりとりをして、頭の中ではどの店なら空いているかなど考えていると、急にもよおしてきた。


「ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」


「ん、じゃあ私はグッズとか見てようかな」


 そうして彼女と一時別れ、手洗い場へ。

 客の入れ替え時だからか中はそれなりに混み合っていた。だが、待ち時間は脳内でさっきの物語を思い返していたら一瞬だ。


 諸々を済ませ、グッズコーナーを覗くが黒江の姿は見当たらない。混雑していたとはいえ五分も経っていないはずだが、どこかへ移動してしまったのだろうか。

 スマホで「どのへんに居る?」と打ち込みながら周囲を見渡すがどうにも人が多くて中々彼女を見つけることができない。


「既読にもならない……?」

 

 彼女は基本的に既読も返事も早い。まして別行動中は特に連絡が来る可能性を考慮するはずだ。

 その時初めて、イヤな予感が背筋を寒くした。

 

 誘拐、失踪、そして希死念慮の発露——ありえないと思いつつもどうしても最悪な単語ばかりが頭を巡る。

 

 考えすぎだ。冷静さを失っている。そう自覚は出来ても簡単に平静には戻れない。

 

 じっとしていられず、とにかく足が動いた。

 映画館のスペースをくまなく探しても彼女は居ない。それならばと近くのソファの並ぶエリアに目を向けた。


 ——居た!


 黒江はソファの傍で立っていた。後ろ姿だが服装も髪型も一致しているから彼女で間違いない。

 疑問はいくつかあるが、とにかく安堵に肩をなで下ろそうという瞬間、彼女が誰かと話をしていることに気が付いた。角度的に相手の姿は見えない。

 

 早足にそちらへ近づいていくと相手の容貌がハッキリと視認できた。

 男だ。それも大人、たぶん三十代くらい。全体的に清潔感のある身なりだが、チラリとのぞく腕時計はいかにも高価そうである。見た目の情報だけで明らかに自分が苦手とするタイプの人間だと確信する。

 その男はヘラヘラと馴れ馴れしい笑顔と距離感で黒江に何やら話かけているようだ。

 

 ナンパだ。そう結論付けると同時に沸々と怒りが湧いてくる。

 ツレが居ると分かれば退散するだろうし、思い切り間に割って入ってやろう。そう考えながらズンズン近づいていくと男が大袈裟な手振りと共に喋っている内容が耳に飛び込んできた。


「いやーほんとにビックリよ。こんなところでナナちゃんに会えるなんて」


 咄嗟に足が止まって、もつれそうになる。

 男の口ぶりは明らかに黒江を知っていて、それに他所で会った経験があることを示していた。


『たしかちょっと前P活ぱぱかつがどうこうで話題になった——』


 ふと風間の言葉が思い出される。

 ほとんど忘れかけていた、彼女がP活をしているのではないかという噂。


 どうする。万が一噂が本当で、さらに目の前の男がその相手だった場合、彼女の尊厳を傷つけてしまうのではないだろうか。そして何よりも、俺がこれ以上彼女の事情に深く踏み込んで良いのか、絶対の自信を持つことが出来ない。

 どれだけ仲を深めても不可侵の聖域はある。


 そんな考えが過って尻込みしてしまう。一歩を踏み出そうとする足が重い。

 

 その時、黒江の声が思考の渦に飛び込んできた。


「ハハ……そうですね。私もびっくりしました」


 その笑い方は俺の知らないものだった。

 その抑揚のない無感情な声を聴いた記憶はもうずっと前のことだった。

 彼女は、とても息苦しそうだった。


「この後予定ある? せっかくだしどっか、行かない?」

 

 男が黒江の方に手を伸ばそうとする。

 自然とまた足が前に動き始めていた。重さなんて感じないみたいに軽やかに、素早く身体が動いた。


「すみません。今日は俺が先約なんです」


「え、慎……」


 手を払いのけて黒江の横に並び、精一杯男の方を睨みつけて言った。


 もしかしたら声は震えていたかもしれない。どんなに自分を奮い立たせても、明らかに自分よりステージの高い人間に因縁をつけるような行為はさすがに怖かった。


「デート中だったのか! うわー邪魔しちゃってごめんね! オジサンは退散するので、またお店で」


 しかし予想外に男はあっさりと引き下がり、そそくさと行ってしまった。気になる単語はあったが聞く間もなかった。

 男は何度も振り返りながら「ごめんね」とジェスチャーをしながら離れていき、すぐに人混みに飲まれて見えなくなった。


「えーっと」


 なんだか拍子抜けして黒江の方を見やると、彼女はもじもじと恥ずかしそうにしていた。

 珍しい表情に心臓が高鳴ってしまう。


「あの、慎。色々聞きたいと思うんだけど、いったん移動しない? 人目がちょっと、ね」


 彼女の言葉で冷静になって気が付いた。

 たくさんの生暖かい目に囲まれているということに。


「あっ……!」

 

 カッと顔が熱くなるのを感じつつ、二人で俯きがちの早歩きでその場を離れた。


 しばらく当てなく歩き、もうあの時周りに居た人たちからは見えないであろう場所まで来たところでどちらからともなく歩調を緩めてホッと息をついた。


 そうなると今度は第一声が難しい。何をどこから話したものかと考えていると、黒江が先に口を開いた。


「先に聞きたいんだけど、さっきの言葉は何かの映画のセリフ? “先約”ってやつ」

 

「……無意識に出たから、たぶん俺の言葉、です」


 改めて考えるとかなり恥ずかしいことを言った自覚が芽生えてきて、また照れがぶり返してくる。でも、後悔の念は全く湧いてこない。


「ふっふふ、じゃあ慎は素でもキザなんだね」


 この飾りのない笑顔を見れたから。


 事情も何も分からないがさっきの彼女が心から笑っていなかった。飛び降りの日のように感情を殺していた。俺が動く理由はそれで充分以上だ。

 

「でも助かったよ。ありがとね。ちゃんと説明したいから……このまま少し歩かない?」


「うん。じゃあ外の遊歩道にでも行こうか」


 彼女がこれから何を語るにしろ、語らないにしろ、俺はただそれを受け止めよう。そう胸に決めた。

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