第21話 たまにはお外で


「あー、人波キツい」


 思わずそうぼやいてしまうほどの人、ひと、ヒト。最寄り駅の改札前は休日という事もあってかなり人の往来がある。

 待ち合わせでなければすぐにでも退散しているところだ。

 

 ——と思いながら予定よりだいぶ早く着いてしまったあたり内心かなり浮足立っているな。


「お待たせ……時間大丈夫?」


 少しして聞きなれた声が飛び込んでくる。顔を上げると肩で息をする私服姿の黒江が居た。

 ジーンズにロングシャツと、動きやすさや着やすさを重視した感じのカジュアルな服装だ。


 普段と違う姿の彼女を見てさらにソワソワと心が浮ついてしまう。

 改めて休日に外で映画を観るという「デートっぽさ」がハッキリ強調された感じがして少し惚けてしまった。


「——ああ、大丈夫大丈夫。でもちょい急ごう」


「ん」


 黒江と俺は早歩きで改札をくぐって発車時刻を待つ電車へ乗り込んだ。

 比較的空いている号車に乗り込み、空いていた一人分の席に黒江を誘導する。

 彼女は遠慮してこちらに座るよう促してきたが、俺が譲らないことを悟ると渋々腰を下ろした。


 ちょうどそのタイミングで発車を知らせるアナウンスが独特なイントネーションで流れて扉が音を立てて閉じていく。


「せめて荷物預かるよ」


 下からそんな不満気な声がした。自分だけ座っているのが相当心地悪いらしい。


「いいよ。すぐ降りるし、ほとんど何も入ってないし。ほら」


 そう言って肩にかけていたトートバッグを軽く彼女の膝に乗せる。


「軽っ、手ぶらでも大丈夫なんじゃない?」


「いやいや、A4クリアファイルはマストよ。予告のフライヤー持って帰るから」


「ほんと、筋金入りだね」


 黒江は「それでも持つ」と奪うように空の鞄を膝の上に乗せた。それから自分の鞄から文庫本を取り出した。

 気遣い屋なのかマイペースなのかよく分からないが、なんとも彼女らしいと思う。


 文字通り手持無沙汰になって何の気なしに周囲を見渡す。さすがに土曜の昼間は家族連れや若者が多い。

 この中のほとんどは自分たちと同じで大型複合商業施設が目的だろう。多分同じ高校の奴らも少なからず居るんだろうと思うと少し気が滅入る。だが、全ては映画の為だ。いや、正確には黒江の為か。


 きっかけは以前、『ジョン・ウィック』シリーズを観終わった後のことだった。


『うん……シリーズ全部面白かった。アクション映画って正直舐めてたかも。犬が死んじゃうのだけ嫌だったけど、あそこまで全力で復讐されちゃうと——』


『手心というか……って気持ちになるよな。ところでさ、偶々奇跡的にもうすぐ劇場でこの続編がやってるんだけど』


『え、観たい』


 まさかあそこまで良い反応をしてくれるとは思わず、勢いで約束を取り付けてしまった。

 

 しかし彼女が了承してくれたのはかなり意外だった。

 学校での接触を避けたり、家に来るときもわざわざ外で待ち合わせをしたり、俺と彼女の関係が露呈することを今まで避けてきたのに。どういった心境の変化だろう。

 先日の“ご褒美”といい、最近は前とは違う方向で彼女が何を考えているのかよく分からないことが増えてきた。

 

 そんなことを考えながらぼーっとその読書姿を見ていると、彼女はフッと顔を上げて不平を訴えるような目を向けてきた。


「なに? ジロジロ見て」


「ん? いや、ちょっと……人間って難しいなって考えてた」


「ふふ、なにそれ。何考えてても良いけど見つめるのは無しで。気が散るから」


「これは失礼」


 淡泊なようで小気味良い彼女との会話はかなり心地よい。彼女の内心は分からないが、同じように思っていてくれたら嬉しいなと思う。


 十数分ほど電車に揺られて目的の商業施設に到着した。ゾロゾロと扉に群がる人波が多少収まってからその後に続いた。


「人の数よ」


「人混み苦手なんだっけ、慎。大丈夫? ちょっと休む?」


「いや、問題ない。けど、ちょっとゆっくり歩いてもいいかな」


 彼女は「もちろん」と歩調を緩めてくれた。こうなると分かっていたから余裕のある電車にしておいて良かった。

 ゆっくりと雑談をしながら歩いていれば随分と気分が楽になった。

 それに、単純に彼女と並んで話しているだけで楽しい。

 

 施設に入ってしまえば映画館のスペースはすぐそこだ。オンライン予約者の発券機はそこまで混雑しておらず、すぐに手続きは終わった。


「ほい、チケット」


「……うん」


「どうかした? あ、ポップコーンとか食べたい? それならあっちのカウンター。俺は食わないけど」


「違くて。小さい頃にお母さんに映画館へ連れてきて貰ったこと思い出したの。こうやってチケット受け取って、昔好きだったアニメの映画を見たなって」


 彼女は頭に浮かんだ情景を懇々と説明するように一つ一つ言葉を繋げていく。目尻には僅かだが雫が溜まっている。

 この思い出が彼女にとってどんな意味を持つのか分からない。ただ、今の自分がするべきことは一つ——ポケットからハンカチを取り出す。

 

「はい、どうぞ。『ハンカチは涙した人に貸すために持つ』」


「……困ったら映画のセリフに頼るの止めた方がいいよ。ほとんどの人には伝わんないし、キザっぽい」


「や、やめて! その手の正論は本当に効いちゃうから……! やばい、めっちゃ耳熱い」


「ふっ、あはは! 超真っ赤。——可哀想だからハンカチは受け取ってあげる」


「デ・ニーロへの道は遠い」


「バカなこと言ってないで。ほら行こ。本編前の予告もしっかり見たいんでしょ」


「さすが、よくお分かりで」


 珍しく無邪気に笑う彼女は本当に子どもに戻ったようだ。

 もう彼女と一緒に居ることにはすっかり慣れたと思ったのに、また拍動が喧しくなった。

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