第15話 三途の川から君を


「結局は母さん頼りになったなぁ……ほんと頭が上がらないっす」


 黒江が帰って母さんと二人になったリビングで力なく項垂れた。一日ずっと無駄に気を張っていた反動で体も心も重たい。

 それでも結局、黒江と晩御飯の約束を取り付けるために立てたお粗末な計画は八割方母さんの料理に掛かったものになってしまった。

 そんな弱気に対して母さんはキューバサンドをかじりながら堂々と言った。


「子どもが親を頼って何が悪いんだって話よ。それに、ナナちゃんのことはお母さんも心配してたからね」


「やっぱり、母さんから見てもそう?」


「人様の事情にとやかく言う気はないけど、あの子細すぎよ~。それに『感謝』より『謝罪』が真っ先に出るのは苦労してきた子によくあるやつね」


 母さんは前まで看護師をしていた。こういった視点はその時に身に付いたものだろう。

 普段とのギャップもあってか、その顔は非常に凛々しく見えた。


「はぁ……俺、母さんみたいなカッコいい大人になれる自信ないわ」


「大丈夫、あんたは十分イケてるわよ。お父さんほどじゃないけどね。お父さんと出会ったときなんて一目見ただけで脳が蒸発しそうに——」


「はいはい。惚気は勘弁して……それ何回も聞いてるし」


 すげなく言葉をかわされたのが気に食わないのか、ブーブー文句を言う母さんを尻目に廊下へ出た。

 冷たいフローリングの感触が着実に接近する秋、もはや冬を感じさせる。ここ数年春と秋はあってないようなものな感じがする。自分が思っている以上に四季は早く移ろい、時間は駆け足に過ぎ去っていく。

 その中で自分だけがいつまでも立ち止まっている気していた。だが、それも過去の話だ。


「高校卒業まで……あと一年半くらいか」


 部屋に戻り、出しっぱなしにしていたDVDを棚にキチッと仕舞う。

 高さ180センチ幅100センチの棚にいっぱいのDVDたち、改めて随分とたくさんの映画を観てきたものだ。これに加えて劇場へ足を運んだ作品やサブスクで観た作品もあるから、全体では軽くこの倍以上はあるか。

 それでも世の中にはまだまだ映画が溢れている。黒江と観たのなんて本当にごく一部だ。


『将来映画製作に携わりたいって訳でもないんだろ?』


 ふと、三者面談で担任に言われた言葉がリフレインする。実際よりも酷く嫌味っぽい言い方で印象付いているのは自分がそれにしっかりと反感を持っているからだ。では制作側になりたいかと言われればそれはノーだが。

 

 ——俺は、映画を提供する仕事をしたい。


 黒江に映画を観て貰ってから自覚したことがある。俺は俺の好きな映画を楽しんで観ている人を見るのが好きなようだ。

 誰でも似た気持ちは持っているかもしれないが、俺のそれは「生きていてよかった」と思ってしまう程だった。


『明日も見に行ってもいい? 映画。次は神崎のおすすめで』


『じゃあ、またね』


 あの瞬間、たしかに俺の停滞した人生は動き出した。


 彼女を救って、俺も救われた。

 救った、だなんて傲慢だと分かっている。それに彼女はまだ常にぼんやりとした諦念を身に纏い、楽しそうに笑っていても、ある日ふっと消えてしまうような儚さがある。死は依然として彼女の傍に居る。


 俺の出る幕はどこまでか? この二週間ずっと頭の片隅にあった命題。


 出した結論は彼女の『死なない理由』を作ることだった。それが映画鑑賞。

 残念ながら『生きる理由』なんていう大それた存在にはなれると思い込めるほどの自意識は持っていない。これが限界だ。

 そして今日、“映画を観る”に加えて“一緒にご飯を食べる”という日々の小さな約束を取り付けた。

 吹けば飛んで消えてしまいそうな彼女を約束と楽しみで繋ぎ止める。それが俺の選んだ責任の取り方だ。


 それでも彼女がこちらを拒絶したときは、仕方がない。黒江の人生は黒江のもので、これは彼女に生きて居て欲しいという俺の我が儘だから。

 だから、俺の黒江を愛おしく想うこの気持ちは関係ない。これはきっと秘めておくべきことだ。


「でも覚悟しろよ、黒江。三途の川から映画沼に引っぱり出してやる」


 選りすぐりのコレクション達が並ぶ棚を眺めながら、そんな不遜な宣言をした。弱い自分を鼓舞する宣言を。

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