第14話 作戦名:キューバサンド
「うん。凄い面白かった。料理が全部美味しそうで、あのキッチンカー手伝ってくれた元部下の人が良いキャラクターだったな……けどキッチンカー譲ってもらうところの尺、ちょっと長くなかった? あそこだけなんか浮いてる気がしたかな」
「あー、あれはカメオ出演ってやつで監督とか演者の関係者がゲストとして出演することがあるんだ。今回は監督・脚本・主演の方の盟友的な人が出てたな」
「ふーん、よく分かんないけどそれ必要?」
「絶っっっっっ対要る! 初めてこれ観たとき誇張抜きに絶叫したからな」
「……ファンサービスってことね。どうりであのシーンだけ私向けじゃない感じがしたと思った」
エンドロールを眺めながら、そのまま黒江と意見を交わしていく。
彼女の視点は新鮮で、それでいて鋭い。色眼鏡のないその瞳には作品がありのままの姿で映っている。わずかな違和感や伏線も大抵見逃さないし、羨ましいほどの審美眼がある。
このまま色々な映画を観続けたらこの新鮮さという美点は失われてしまうのだろうか。身勝手ながらそれは悲しいことだと思った。
「——うん、疑問解消。ありがと」
「ようございました」
こちらの内心など気にも留めず、彼女は満足そうに頷いてから立ち上がった。それを合図に部屋の電気を付け、カーテンを開ける。夕日は半分以上沈み、穏やかな夜が訪れようとしていた。
彼女と一緒に廊下に出ると、あまり嗅いだことのない香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。二人目を見合わせて「なんだろう」と匂いの元をたどるように階段を下りていくと、リビングから何かを焼く軽やかな音と母さんの鼻歌が聞こえてきた。
黒江は「何かお祝い事?」とこちらを振り向くが、こちらとしては肩を竦めるしかできない。
「お邪魔しまし、たぁ」
挨拶のためにリビングを覗き込む黒江。それに対して母さんは「こっちいらっしゃい!」と激しく手招きしている。黒江が困惑しつつもキッチンへ近寄るとこの良い香りの正体が姿を現した。
「あの映画見たなら食べたくなったんじゃない? じゃーん! キューバサンドで~す!」
「おおっ、再現度高っ!」
「えっ凄い……!」
それはつい先ほど画面越しに何度も見た異国生まれのサンドウィッチだった。食べやすくカットされた一切れを母さんから受け取ると出来立てほやほやの熱が指先に伝わる。
両面にバターをたっぷり塗って焼かれたバタール、アクセントのピクルスにチーズ、そして主役の甘辛くカリカリにしたローストポーク。見ただけで美味いと分かる最高の仕上がりだ。初めてあの映画を観てからずっと食べたいと願っていた憧れの食べ物が今にある……感動と涎が溢れて止まらない。
「ナナちゃんも、良かったらアツアツのうちに食べてかない?」
「いや、私は……」
「マジか!? この機を逃したら絶対後悔するって! ほら見てこれ、再現度の高さよ!」
躊躇う黒江にサンドを手渡すと頭に母さん得意の手刀を落とされた。「強引にするな」とのことだ。確かにだいぶ冷静さを見失っていたことは否めない。
「無理にとは言わないけど、上手く作れたから感想聞かせて欲しいな。ちょっとだけでもいいから。うちの子は何食べても『ウマい』しか言わないから参考にならなくてね」
「それは嘘、『めっちゃウマい』も言うから」
「ふふっ、じゃあその……いただきます」
優しく笑って彼女は手に持ったサンドを乾杯するように軽く持ち上げた。それに倣ってからすぐに一口大きく頬張る。行儀よく席に着く時間すらも惜しい。
口の中にスパイシーな肉汁とピクルスの程よい酸味が——ああ駄目だ。上手い感想なんて出てこない。とにかくウマい。
「美味しいです……!」
「ほんと? 嬉しいわぁ。仕込みからしっかりやった甲斐があったわね」
結局語彙は大差ないじゃないか、とか無粋なことは言えない。今まで見た中で一番輝いている彼女の笑顔を見てしまったから。それに、語彙が消滅する美味さなのは間違いない。
「そういや、晩飯入るか?」
「んぐ……昨日も言ったけど自分で調整できるから」
そう言って憑りつかれたように一口、また一口とサンドを胃に収めていく姿を見て、「今だ」と確信した。
母さんの方をちらりと伺ってから、用意していた重たい言葉を吐き出す。
「なぁ黒江、これは俺と母さんからの提案なんだけどさ……うちに来る日はそのまま晩飯食べてけば?」
サンドウィッチを口内に詰め込んでいた彼女は俺の突然の提案に驚き、提案の内容と一緒に嚙み砕いて急いで口の中のものを飲み込み、俯きがちに言った。
「それはさすがにご迷惑じゃ、ないですか?」
「ナナちゃんさえ良ければ、うちはぜーんぜんウェルカム! この前までお父さんが居たから、ついおかずとか作りすぎちゃってねぇ、困ってたのよ」
「そうそう、カレーとか三食三日続くから。マジで」
苦しいか? 不自然な流れだったか? 一瞬の沈黙の間に脳内に後悔と不安が渦巻く。
これで拒絶されてしまったらどうするか。最悪、距離感を見誤った代償に映画を観る集まり自体も自然消滅的に無くなってしまうかもしれない。そんな、意識して目を逸らしてきた苦しい未来の可能性が頭をもたげる。
黒江は俯いたままジッと考え込んでいる。やがて顔を上げ、唇を巻き込んでいた口をパッと音を立てて開いた。
「えと……じゃあ、お言葉に甘えて。ほんとにご迷惑じゃない、ですか?」
「「もちろん!」」
「ふふっ、すごい。息ぴったり」
一言一句タイミングもイントネーションも完璧な和音に思わず母さんと顔を見合わせて笑ってしまう。黒江も釣られて頬を緩ませた。こうして、黒江が我が家に来る理由が一つ増えた。昨日から小癪な計画を立てた甲斐があったと思える。
『明日“シェフ”見るんだけどさ』
『どっちの?』
『フードトラックの方。それで母さんにお願いがあるんだけど——』
本当にお粗末でくだらない計画だ。食べ物で釣って同じ食卓に無理矢理座らせる言質をとっただけ。
だが、今は黒江が目の前で笑顔でいてくれているのがただ嬉しい。
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