第13話 シェフ
「昨日はごめんね。いつの間にか寝ちゃってたみたいで……私寝言とか言ってなかったよね?」
翌日、待ち合わせの公園に来た黒江は開口一番にそう聞いてきた。
本当に唐突で足がつんのめりそうになった。
今日ほど彼女が学校で俺と距離を空けてくれていてよかったと思った日はない。おかげで一日中この時のために会話シミュレーションをすることができた。
彼女の方から言及してくれるのは一番ありがたいパターンだ。
「——切ろうとしたときに何か言ってたけど、よく聞き取れなかったな。寝言かと思って結局切っちゃったけど」
「ほんと? 全然覚えてない……迂闊。なんにせよありがとね、電話」
「いや、何度も言うけどそもそも俺の責任だから」
無事あの発言が彼女の意図したものか否かは確認することができた。無自覚であれば表立って掘り起こす必要はないだろう。
あとは基本的にいつも通り過ごすだけだ。
*
「今日はどんなの?」
いつものクッションに身を埋めながら黒江はいつも通りの言葉を投げかけた。
「あー、三ツ星レストランの『シェフ』がフードトラック始める話。観たことある?」
「無いって分かってて聞いてるでしょ。ほんと結構いい性格してるよね、君」
「ん? うん?」
「ふふっ……“何の話”みたいな反応、実際やられるとムカつく」
本当にいつも通りの、これまでと変わらないやりとり。その裏でこちらがどれだけの感情を押し込めているのかなんて彼女は知らない。俺も今は知らないでいて欲しいと願っているから何も摩擦は無いが。
「そんじゃ、始めるぞ」
「ん」
この映画はまず主人公であるシェフの調理シーンから始まる。セリフも余計な情報もほとんどない。
鮮やかな食材が芸術的とも言える手さばきで胃袋を刺激する一流の料理へと姿を変えていく。調理場に響く無機質な音にさえ何故か魅了されてしまうのだ。
「すごい……」
黒江も思わず感嘆の声を漏らす。既に画面の中に意識を飛ばしきっているようだ。
当然、ただ料理をするだけでは物語が進まない。シェフはオーナーとの軋轢やSNSでの炎上騒ぎにより急遽店をクビになってしまう。
自業自得な部分も大いにあるとはいえ哀愁漂う演技も相まって思わず胸が締め付けられるようだ。
隣に視線をやれば予想通り、黒江はそのシーンを観て少し涙ぐんでいる——本当に彼女とは泣き所が合わないなと改めて思う。
今回は全く理解できないわけではないが。
「……そんな見るな」
視線に気が付くと、黒江は抱きかかえていたクッションを顔面に押し付けてきた。
彼女は泣き顔はあまり見られたくないからと、こちらがそれに気づいていると分かると、物理的にこちらの視線を遮ろうとするのだ。
「ぐえっ」
ついに今日はクッションが顔面にめり込んだ。じろじろ見ていたせいでいつも以上にご機嫌を損ねてしまったようだ。もう泣き止んでいるだろうにクッションをどけてくれない。
黒江も大概子どもっぽいところがある。
押し退けたり移動したり、自分が動けば済む話ではあるが、それだとなんだか負けた気がする。俺もまた子どもだ。
「美味そうだなぁ」
「ねっ」
「両目でちゃんと見たいなぁ」
「へぇ」
半分しか見えない画面に食欲をそそるサンドウィッチが映る。レストランをクビになった主人公が再起を賭け、さらには最愛の一人息子と離婚した妻との関係を修復するキーとなるものだが、こちらの仲裁はしてくれないらしい。
——— ——— ———
『パパは立派な人間じゃない。いい夫でもいい父親でもない。だが料理は上手い!』
『料理で人をちょっと幸せにできる。それがパパの喜びなんだよ。お前にきっとそうだ。できるか?』
『夏が終われば旅も終わる』
『本当に楽しかった。この思い出は一生残る。——ようやく触れ合えた』
——— ——— ———
「慎のお父さんって、どんな人?」
横からそんな質問が飛んでくる。
彼女の方から個人的な事を聞いてくるのは珍しい。しかもこちらが意図して避けてきた家族の話題だ。
だが向こうから聞かれたなら変に気を遣うのもかえって失礼かもしれない。
「う~ん、俺以上の映画好きだよ。あとは寝具メーカー勤めの割と普通のサラリーマンで今は福岡で単身赴任中……改めて聞かれると難しいな」
「ふーん」
反射的に思い浮かんだ要素をあげたが、彼女の反応は薄い。期待していた答えではなかったのだろうか。そもそも深い意味は無い質問だったのかもしれない。
俺は黒江のことになるとどうしても余計なことまで考えすぎてしまう。その自覚は大いにある。
映画で流れる下ネタ系の陽気な音楽に反して重たい沈黙が流れる。
——そっちの家族は?
本当は聞きたい。けど聞けない。
せっかく拙いながらも考えた順序を自ら崩すわけにもいかないから。
もう大団円のエンディングとエンドロールの時間だ。
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