@mountainbird

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「これは嘘の話なのですが」

 男はしきりに呟いていた。

 口元に一切の笑みはなく、急に高くなった気温を加味してもひどすぎるぐらいに汗をかき、クマができた目はやけにぎらついていた。丁寧な物腰は真摯なビジネスマンの雰囲気を帯びていたが、今の彼に誰か客が取れるとは思えなかった。

「あくまで嘘の話にはなるのですけれど」

 それは、自分に言い聞かせているようにも思えた。


 話には適材適所というものがある。

 「頭が痛む」という話をしたいなら病院に行くべきだし、「罪を犯した」ことを告白するなら警察に出頭することになる。「今日の夕食の献立」を相談するのは家族か友人だろうし、「仕事の相談」なら上司か部下にあたる。

 人間の関係には間柄あるいは役職というものが結びついていて、同じ属性が付与された会話が最も有効にはたらく。あるいは、会話する内容が、会話する相手との関係を形作っていく。

 だからこそ、「誰にもできない会話」というのが存在する。

 どうしようもなく重たく冷たい属性ののしかかった話。すれば二度と復元できない関係性を構築してしまう話。


 「嘘の話」であり、かつ、「今回の話を聞くだけで関わり、今後二度と一切の関わりは持たない」から、ということで、彼は私に話を聞かせてくれた。

 それは、彼の友人についての話だった。


 先がけて、この話の内容は、すべての実在する場所、人物、事件その他と一切関係がない嘘の話であることを明記しておく。



「私の友人は……食通……というか、食に厳しい人ではなかったのですが、さまざまな飲食店に足を運び、気に入った味を探すのが趣味の人でした。それを誰かに共有するとか、何かしらのコミュニティに入るとか、そういうのではなく、ただ、自分が満足するためにやっていました。いくつか店舗を巡ると、だんだんと見ただけでその店の味が分かってくるのだと言っていて、最近はむしろ、自分のその予想が合っているかどうか楽しんでいるようでした。たまに予想だにしない味を出してくる店があって、そういう店を見つけるのが良いんだ、と。まあ、だから、『美味しい店』だけが目当てというわけでは無かったんだと思います。

 その店がどこにあったのかは知りません。知りたくもありません。えぇ、えぇ。彼とは……その、どこへ行ってきたという話をすることもありました。あの店のことも…………。覚えていません。私は覚えていないんです。どこにあったかなんて、知らないんです。えぇ、えぇ。話を聞いたからってその全てを覚えられるわけないでしょう? あぁ、分かってくださっていますよね……。すみません。

 話を戻させてください。彼が言うには、『隠れ家的』な店、だそうです。少し古めで、ちょっと洋風の建築で、地域の他の家々とは異なる見た目でした。だから……かは分かりませんが、その店は森に囲まれて建設されていて。彼が言った言葉ですが、『隠されている』ように思ったそうです。店のテーマとして森の中に作ることはあっても、そういう場合、店への動線などがしっかり作られているはずで、でもそうはなっていなかった。だから、それが彼の興味をそそったのでしょう。彼のデータベースに無いタイプの店だということですからね。知らない造りの店が出す味に、興味があったとのことでした」


 彼は大きくため息をつくように息を吐き出した。

 はじめの頃に比べれば大分落ち着いたように見えたが、やや手が震えていた。この先に待ち受ける話の内容に、怯えているようだった。

 私はお茶も出さずに話を聞いていたことに気がつき、何か用意しようと立ち上がったが、彼は懐から小さめの瓶に入った褐色の液体を取り出した。蓋を開けたとき広がった薫香からそれがウイスキーの類であると分かった。口を湿らす分ぐらいそれを含むと、彼は話を続けた。


「結論から言えば、彼は賭けに勝った。勝ってしまったんです。その店の料理は、これまでに彼が経験したどの味とも違った。––––店の外観がそうであったように。このことは彼にとって一番に望んだ結末だった。知らない店、知らない味。探究を尽くした先に見つけた未踏のもの。彼はその正体を知りたがったのです。使っている調味料? 調理法? 素材? そのどれが、あるいはどれが、未知の味を作り出しているのか、興味が溢れて止まらなくなった。私は……誓って言います。私は、それが何なのか知りません。知りたくもありません。覚えていません。そう……これは、嘘なのです。嘘だから、何も真実では無いのですから…………。

 あぁ……だから…………彼の言っていることだって、別に嘘っぱちなのです……」

 男はそう言うと祈るように手を組み、顔を伏せた。


「彼は店の裏口に回り、そのゴミ箱を漁ったのだと言いました」

 懺悔するように、述べる。

「彼はそれがどれだけ難しいことだったか、自慢するように話しました。店の周りが木で覆われていた本当の意味は、店を演出することではなく、店の裏口を隠すことにあったんです。いえ、これは正確ではありません。彼は、卑しくも店の周囲をうろついて、その果てに、店には裏口なんて無いことを発見したのです。そこで彼は今更ながら気づいたと言いました。その店は、入ってみるとかなり大きい店舗だったそうで、しかし、そのくせ駐車場と呼べるものはほとんど無かったんです。郊外の山麓、木深いところにある店です。人を入れられる容量が、人を呼べる容量より遥かに大きいのです。

 『地下だ』

 そう彼は言いました。

 あの店には地下に階があって、そこから食材の調達と廃棄をしている。それが彼の予想でした。

 何故そんなことを? そうお思いでしょう? 私もそうでした。そんなことをする意味がありません。ましてや場所は郊外の山麓地帯です。地下トンネルを掘るなんて無駄な苦労です」

 嘲笑するような口調とは裏腹に、男の手の震えはいっそうひどくなっていて、助けを求めるように組んだ手を解いて酒瓶へ伸ばした。

「おい」

「止めないでください。あぁ、あぁ、そうでした。これは嘘の話でしたね。はは。嘘だから言いますけどね、あったんですよ。理由は」

 男はギラついた目でそう返した。


 私としては震えた手で酒をこぼしては困ると言いたかっただけなのだが、案外男は器用に酒を啜った。

「彼は、骨を見たと言いました。おそらく仕入れた食材の端材だったもの。どうやって見たかは訊いていません。恐ろしかったんです。

 彼が各地の店を巡っていたのは知っていました。他に無い店を探るのだと、辺鄙な場所へも通っていたのも知っています。その途中で、ひどい店に出くわしたという話だって何度もされました。でも……それは、『体験』がしたかったからだと、そう言っていた、そのはずなんです。しかし彼はあの店へ行ってから、取り憑かれたようにあの店の話ばかりしていて、あの店の料理がどこでも味わえないとばかり語って、世紀の大発見をしたんだというふうに、骨を見つけた喜びを私に言いました。

 はじめは、そのまま弟子入りして料理人にでもなるのかななんて甘いことを考えていました。でも、彼の妄執っぷりは異常でした。骨を見つけた日から、彼はずっと、その骨がどんな形で、どういうふうに肉がついていて、さらには調理の際についた細かな傷だとか、そんな話をし始めたんです。意味がわかりませんでした。彼の興味は店や料理自体からすっかり移ってしまったようでした。ついには彼が見た骨のスケッチを何枚も書いて持ってきました。

 それである日、私はふと言ってしまったんです。

 『それは何の骨なんだ』って」

 しばらくの間、男は言葉に詰まり、俯いたまま動かなかった。


「何の骨だったんです」

 私は男に尋ねた。

 薄気味悪い質問だと思った。

 見事、男がギラついた目で私を睨んだので、私は座っていたソファに埋まるほどにことになった。男は再び目を落として、話を再開した。


「彼は答えませんでした。

 代わりに、誰にも告げずにどこかへ行くことが多くなりました。

 はじめ私はあの店へ通っているのだと思っていました。

 しかし、そうでは無かったのです。彼は骨の正体を調べまわり、各地の図書館だとか、資料館だとか、あるいは管理されていない山へさえ立ち入っていたんです。彼は……何かに取り憑かれたようでした。きっと、否定したかったんだと思います。あの骨と同じ動物をなんとか見つけて、ただ珍しい動物が提供されていたんだと、安心したかったんだと思います。しかし、その試みはうまくいっていないようでした。その後も私は何度か彼と会う機会があり、その度にもう店のことはさっぱり忘れて、気にしないことにすべきだと言いました。しかし、彼が首を縦に振ることはありませんでした。

 そして、彼はついに失踪してしまいました。

 もともと独り身の道楽で店巡りをしていた人でしたから、彼の荷物をまとめるのは私の仕事になりました。管理人さんの立ち会いのもと、彼の住んでいた部屋に入り、私物を回収することになったのです。

 整えられた棚には、食通の彼らしく、様々な調味料が並んでいました。小型のワインセラーには前から置かれていたビンテージのワインがまだ仕舞われていて、いつか彼に料理を振る舞ってもらった日のことを思い出しました。あの日と同じ景色のままです。変わったことは、彼の私室に新しい本棚が設置されていたことです。調味料の棚とは正反対に、本棚の本は雑多に仕舞われ、いくつかの本は床に転がったままにされていました。えぇ、彼が集めた生物と骨についての図鑑でした。

 ……散らばったそれらを片しているとき、棚の下に何かが落ちているのを見つけました。

 骨でした。

 なんとなく、直感的に、分かりました。

 彼が話していた、あの店で見つけた骨。

 実は持ち帰っていたんだと、思いました。『見つけた』というのは見ただけじゃなくて持ち帰っていて、だから種々の特徴を細かく言えたのだと。

 でも、よく見ると、色合いだとか、傷だとか、彼が話していたものとは違っていました」

 震える手を再び組み、男は残った酒を飲み干した。

「骨の正体は、管理人さんが調べてくれました。

 やはり…………その、思った通りでした」

 

 あなたはどう思いますか、と。男は私に尋ねた。

 あの後彼はもう一度あの店に行った。そして失踪した。

 彼は知るべきではないことを知ってしまって、消されてしまったんじゃないか。

 だとしたら……次は自分の番じゃないか。そう思うと夜も眠れない。こんなこと誰にも相談できない。

 嘘だ。

 全部何かの勘違いで、彼の嘘なんだ。

 あなたなら彼がついた嘘を見抜けますよね。こんなこと起きるはずがない、って証明してくださいますよね。

 そう告げられた。

 私は考えるのに時間をいただきたいと言って、彼をとりあえず追い出すことにした。真っ青な顔色をした、度数の高い酒を呷った人間を自分の近くに置いておきたく無かったので。


 窓を開けて室内にこもった酒臭さを抜く。

 「彼」の話には、いくつか不審な点があった。

 一つは、彼が失踪したときのこと。彼は店から骨を持ち出し、骨の正体を知り、そしてそのことがバレて口封じのために消された––––––なら、何故骨は残されていた? 彼がうまく隠し通したのか? 彼は独り身だと言っていた。だったらいくらでも彼の家に侵入して骨を探せただろうと思うが……。

 もう一つは、骨の手がかりを探すのに山へ入っていたということだ。野生動物の骨を探すのに役に立つかもしれないが、結局見つけたところで何の骨かは分からないじゃないか。同じ骨があったら何かはわからないが野生動物だと分かる、というくらいの気持ちだったのだろうか。ずいぶん果てしない作業に思える。スケッチがあるんだから、専門の人間にそれを見せればすぐ分かるだろうに。

 …………違うんじゃないのか?

 彼が探していたのは骨じゃあなかったんじゃないか?

 彼はとっくに骨の正体に気がついていて––––。たしかあの男が言っていた。



「その店の料理は、これまでに彼が経験したどの味とも違った。––––店の外観がそうであったように。このことは彼にとって一番に望んだ結末だった。知らない店、知らない味。探究を尽くした先に見つけた未踏のもの。彼はその正体を知りたがったのです。使っている調味料? 調理法? 素材? そのどれが、あるいはどれが、未知の味を作り出しているのか、興味が溢れて止まらなくなった。」



 「作りたくなった」んじゃあないか?

 私はパソコンを開き、最近の事件、いや、「事故」を調べた。調べるべきキーワードは分かっている。「山中」「死亡」そして……「身体の一部の欠損」。

「…………あった」

 山道を外れたと思われる登山客が滑落して死亡。その最中に左足が切断されてしまったと思われ、

「これを調理したのか?」

 彼の家で見つかったというあの骨は、管理人がしかるべき機関へ回したのだろう。だとすれば、それが「誰」のものであったのか、すぐに分かるはずだ。まあ、真相を外に漏らしてくれるとは思えないが。

 ともかく、まあ、あの男が危惧していたようなことは無いだろう。事件としても、彼一人の犯行のみでまとまるはずだ。あの店から男に追手が来るようなことはない。

 早速だが電話で伝えてやろうと思ったところで、不審な点の一つ目を思い出した。

「何故骨を残した?」

 彼が消えたのは自分が犯した罪から逃げるためだろう。だが、だったら骨の一つぐらいいくらでも処理できたんじゃないか?

 …………逃げる?



 あの店には地下に階があって、そこから食材の調達と廃棄をしている。それが彼の予想でした。


「何故そんなことを? そうお思いでしょう? 私もそうでした。そんなことをする意味がありません。ましてや場所は郊外の山麓地帯です。地下トンネルを掘るなんて無駄な苦労です」


「あったんですよ。理由は」



 理由とはなんだ? 決まっている。人肉の調達なんて表立ってできるわけがない。「裏口入手」のためだ。そして、そのためだけにトンネルを掘れるだけの資金力……。



「その店は、入ってみるとかなり大きい店舗だったそうで、しかし、そのくせ駐車場と呼べるものはほとんど無かったんです。郊外の山麓、木深いところにある店です。人を入れられる容量が、人を呼べる容量より遥かに大きいのです」



 違うな。。トンネルはまさしく「裏口」だったんだ。外から堂々とは来られない人間のための。

 そして、あの店の地下には、トンネルの先には、もっと大きいネットワークがある。人肉を愛好する人たちの––––。いや、なら、あの店は何のためにある? 店も地下に作れば良いじゃないか。両者入り混ぜるにしても、外の世界から来た人間に人肉を食わせるなんてリスクしかない。わざわざ外の人間を呼び込むだなんて。


 


 合点がいく。彼の異常なまでののめり込みよう。「何か」仕組まれていたんじゃあないか? たまたまやってきた外の人間に料理を食べさせて、虜にする。彼らはやがて自分が食べたものの正体に気がつき、「もっと食べたい」と思うようになる。そして、彼のように自らなんとかして料理を作ってみる。

 だが、それは「味が違う」んだ。

 どんな調味料を頑張って揃えても再現できない味。おそらくあの地下のみで出回っているもの。だから、誰もが皆地下へいずれ集まっていく。


 とすれば残された骨の意味とは。

「誘っているのか」

 かつての友人を。

 最後に自分の部屋の整理にやってきてくれるだろうという信頼があるほどの、心からの友に。自分が見つけた「究極の味」を教えるため、手掛かりとして残したのか。


 私は手に持った電話をしばらくそのまま握っていた。

 あの男は店の場所を知っている。間違いなく。

 私が言えば、いや、言わなくとも、いずれきっと向かうことになるだろう。

 であれば、私から伝えられる言葉など––––。




 この話の内容はすべて嘘であり、■■県■■■■市に実在するレストラン、■■ ■■氏、および■■山で発見された遺体その他と一切関係がありません。

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