第12話

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 兜川の依頼はすでに解決している。だから鍵野井は、兜川に報告さえすれば、すぐに家に帰ってのんびりできるのだ。しかし鍵野井は、のんびりするよりも、鶴彦の正体を解き明かしたかった。謎を謎のままで放置したくないのだ。それはつまり探偵趣味のなせる業であろう。

 その謎というのは、もちろん鶴彦が、なぜこの世から抹消されようと行方不明者の道を選んだのか、である。

それから比べれば洞窟の大麻草などは可愛いものだ。

 警察としては、大麻はちゃんとした取り締まり対象であるから、教えれば警部も喜ぶだろう。手柄となる。が、鍵野井はそれに関しては沈黙を守るつもりでいた。立ち入り禁止のところをあえて侵入した負い目もある。


 鍵野井は、鶴彦がこの地で、あっけらかんと暮らしていることに違和感を覚えていたが、それは誰も鶴彦の顔を知らないからだろう。鶴彦は、子供の頃からよくここに遊びに来ていたと言うが、近所の子供と遊んだことがないのだ。この家自体、近所付き合いがほとんどないと言うし。


 鍵野井は、ふと鶴彦の将来を想像してみて、暗澹たる気持ちになった。それは一つに会社員になるにしても結婚をするにしても、偽名を使う必要があるからだ。しかし偽名というのは、いつかばれるものだ。だいたい車の免許をどうやって取得したのだ。まさか無免許というわけではないだろうに。

 ひょっとして、誰かとすり替わっているのか。あり得ることだ。鶴彦と同じような年恰好の男と。しかし、じゃあそのすり替わった男は今どうしているのか、という疑問がわく。自分の名前で勝手なことをされては迷惑千万であろう。


 ところで今日の朝、鶴彦のことを知っていた女将の同級生が、この瞑想道場を去ったのだ。もっと多くのことをこの人から聞くべきだったと鍵野井は悔やんだ。

 もう一人鍵野井に好意を持つ男がいるが、残念ながらこの男は大麻以外のことはあまり詳しくないようだった。


 鍵野井は、鶴彦の学生時代のことが知りたかった。探検部で活動していた以外のことだ。

 それを知るには、結局、知人の警部に再び頼む他なかった。警部は快く引き受けてくれた。

 というのも警部は鶴彦に疑いを持っているから、鶴彦がもし生きているのなら、即刻保険金詐欺で引っ付かまえる覚悟でいた。


 有能な警部は、仕事も早い。鍵野井の要請をわずか一日で、解決した。大学の方は調査できなかったが、鶴彦の通っていた高校の同級生(鶴彦とはかなり親しい関係だった)から、こんな話を聞いた。


 鶴彦は高校二年生の頃からぐれはじめた。それは素行の良くない連中と付き合うようになったからだが、その連中の裏には暴力団が控えていた。

 最初のきっかけは、鶴彦が付き合っていた彼女がその連中の仲間であったからだ。で、鶴彦は自然とそのグループに入ってしまったのだが、気が付くと、鶴彦はその連中から、弄ばれる存在となっていた。

 彼女の父は暴力団の幹部で、その父親から鶴彦は目をつけられた。今、人が足りないからちょっと構成員になってくれないかと頼まれたのだ。もちろん鶴彦は断ったが、何度も断るうちにその組の下っ端から脅され金を要求されるようになった。──それで鶴彦は彼女と別れたのだが、しかし別れてからも組員からの脅迫及びストーカー行為は続いた。

 あるとき鶴彦は、たまりかねて付きまとう組員を殴ってしまった。このとき鶴彦は大学生になっていたのだが、殴った相手が相手だけに、鶴彦はいつ復讐されるかと、怯える日々をおくることになったのだ。

 このころから鶴彦は、頻繁に瞑想道場をしている母のもとを訪れていたと言う。


 鍵野井は、警部のこの話から、一つのストーリーを作り上げた。それは組員のストーカー行為に辟易した鶴彦が、いつまで続くか分からない、と将来を悲観し、それならいっそのこと、この世から自分を消して別の人生を歩もうと、地底湖での失踪を計画したのではないかと。

 地底湖から消えれば間違いなくニュースになる。自分はもうこの世にいないと組員たちに悟らせることができる。高額な生命保険を掛けたのも、将来まともな就職ができないだろうと予測したからだ。さらにこの瞑想道場にいれば、身を隠すことができる。

 これで一応動機の説明がついた。


 保険金詐欺は立派な犯罪であるが、今回の件に関しては、とりたてて誰かに迷惑をかけたわけでもない。

 鍵野井は、鶴彦のことは、今後これ以上深堀しないことにした。

 探偵マニアの鍵野井にとって、一番大事なのは、謎を解決することである。謎が解けた以上、ここに長居する必要はない。

 三日目で、鍵野井はこの瞑想道場を去ることにした。


 女将は、ちょっと浮かぬ顔をしていた。しかし一週間の契約で、お金はすでに払っているのだ。女将も文句の言いようがないし、また鍵野井を束縛する権利もない。


 鍵野井は宿舎で帰り支度をしていた。すると、茶髪の鶴彦が不景気な顔をしてやって来た。

「あんた刑事かね?」と鶴彦。

「いや、刑事ではないですが、どうしてですか?」

「鍾乳洞の中をいろいろ見て回っていたそうじゃないか」

「見て回る、と言えばたしかに見て回っていますが、それはこれだけの鍾乳洞はめったにないですから、自分に適した瞑想の場を選んでいたのです」

「立ち入り禁止に入っただろう」

 鍵野井は地底湖で大麻の話をしたが、おそらくそれを聞いていた誰かが、女将に告げたのだ。となると嘘を言っても始まらない。

「ええ、たしかに」

「で、何を見たのだ」

「大麻草ですよ」

 鶴彦は、あっと口を開けて、鍵野井を見た。こんなにあっさり正直に答えるとは思わなかったのだ。

「安心してください。私は他言するようなケチな人間ではないです」

「そうかい。だが今日帰るというのは、ちょっと早過ぎるのと違うかい。一週間の予定で三日目だぞ」

「人間、誰でも予期せぬ急用というのがあります。それに一週間分の宿泊代はすでに払っています」

「──まあな。だがなぜ俺のことを鶴彦、と聞いたのだ。そこがおかしいじゃないか、初対面の人間に対して聞くことではない」

「ははは。疑われても仕方ありません。じつは女将さんの同級生という方から、女将さんの息子さんの名が鶴彦さんというのを聞きました。そう言えば地底湖で行方不明になった学生も鶴彦さんだったと思いだして、それで何となく親近感を持って、たずねたのです。悪気はありません」

「俺が地底湖で行方不明になった鶴彦だと思ったわけだろう」

「ええまあ。しかし、仮にそうであっても、私は他言しません。別に誰かが泣いているわけではないですし、鶴彦さんは表に出られない事情があって、そうしているわけですから。でも千載一遇の離れ業でしたよね」

 鶴彦は何も答えなかった。黙ったまま、鍵野井が片づけるのを見ていた。


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