第2話 春一番の足音と共に現れる。
夜遅くに通るスラム街は昼間や早朝に比べてほのかに寒く感じ、視界の端にある路地裏の暗闇に人のような何かの動く気配を感じる。道はある程度舗装されているが街灯の数は少なく殆どは光を失ったままである、とても静かだが物を漁る音、人のうめき声、身じろぎの音、遠くからはたまに叫びなのか動物の鳴き声なのか分からないものが聞こえてくる。
酒場ルタールに来たリーリエ商会の男はランタンを片手にスラム街を先導している、俺はそれを後ろからゆっくりと追いかけていた。来た当初の動揺した様子から落ち着いたのか普段通り静かに歩いているが、歩幅は小さく早足で歩いていることから一刻も早く商会に付きたいのだろうと想像できた。
「依頼をこなした洞窟で女が見つかったらしいが、どうして俺が呼ばれるんだ?」
俺が前方にいる商会の男に話しかけると、男は足を止めずに硬い声色で言った。
「本気で言ってるのかあんた、ゴブリン殲滅の依頼をやらせたと思ったら何処から拾って来たのか女を捨てて帰ってくるなんてひどい話じゃないか、おかげで俺が捨てたんじゃねぇかと上から言われて困ってんだよ。」
普段の敬語が完全に取れている、依頼のたびに数度話したことはあるが静かに淡々と事務処理をするイメージしか無かったのでその変わりように少し驚いた、しかしリーリエの受け付けなのだから表面上の物静かで事務的な性格とはまた別の顔も持つのだろう。
「俺が探索した時は洞窟内に拾ってきた食べ物、動物の骨や棒程度しか転がってなかったが…」
「あんたが依頼を報告した後、俺が数人の部下を連れて現場の確認に向かったんだ、確認のためにな、細かい話は商会に付いてから話すから黙ってついてこい」
「分かったよ、足元くらいから躓かないように気をつけな」
リーリエの男は路地を曲がると商会の入口へと向かった、からんと乾いたドアベルの音が鳴ると同時に中から淡い光が差し込んできた。男はいつもいる受け付けの奥にあるドアを開けると入って行った、ここに入ったことはないが何も言わずに付いていく。
中に入ると中央には机があり上には書類らしきものが乱雑に置かれている、奥には事務作業で使うような机があり本や書類などで溢れていた。入って右側にある来客用の大きなソファーを見るとぼろい布を頭から被った人間が座っていた。
「あ、アイルさんだアイルさん!」
先に入ったリーリエの男を無視していたその人間はこちらを見て言った、頭から被りものをして座っていたので気づかなかったが目を見張る美少女だ、整った顔立ちで一見大人っぽい顔つきだが目元と口元はまるっこく子犬を思わせる、ぱっと見の印象とこちらに語り掛けて来た表情との違いは自分に対しての安堵感や安心感を持っていることを感じさせた。
「あ、ああ、お前は?」
応答するとその女は一瞬困惑した表情を浮かべたが数度まばたきをした後答えた、こいつ俺を知っているのか…?勿論知らない顔だ、一度見たら忘れることは無いだろう女だ、俺の知る女性の中に該当する記憶はない。
「クウと言います、昔はクーデリアと呼ばれてましたがアイルさんが名付けてくださったんですよ。」
「クウか、知ってるらしいが俺はアイルだ。」
何かを探るような自己紹介に応答し、次の言葉を発そうと口を開こうとすると奥の事務机に座った男が被せる様に俺に話した。
「アイルが仕事を完了させた後、俺は部下を連れて洞窟に向かったんだ、報告通り何も残ってはなかったんだが洞窟の奥にいたのがこの女だ、声をかけたが対して返答はなくアイルの名ばかり呟いていたが放っておくわけにもいかねぇからここまで連れて来たんだ。さっさと家に持って帰ってくれ、厄介ごとはごめんだ。」
そういうと男は苛立たし気に葉巻取り出し先をナイフで切り落とすと火をつけ吸い始めた、部屋には一瞬で葉っぱの焼けた匂いと濃い香りが広がった。
クウと呼ばれた女は黙って立ち上がりまだ入り口に立っている俺の元にふらふらと近づいて来て服の袖を掴んだ。
「いやまて、俺はこの女を知らないぞ、お前らのとこの商品じゃないのか」
「うちだって薬と女は手を出してねぇよ、そんなことしたら表の自治団に難癖つけられちまう、今どきはスラム街だって理由があれば乗り込んでくるんだからそんな面倒くさいこと出来るかよ、いいから速く帰ってくれ、見なかったことにするから」
「しかたないな…」
言いたいことは色々あったが話はしまいだと手元の書類に目を通し始めたリーリエの男は、これ以上の問答は不要と俺たちの存在を無視した。男をしり目に俺は踵を返し部屋から出た、クウは何も言わずに俺の後を付いてきている。外に出て少し歩いていたが後ろが気になり振り返った。
茶色の汚れたぼろ布を頭から被っており足は素足のままだ、俺は腰に付いた袋から任務用の使い捨ての薄い靴を取り出しクウに渡した。
「使い捨てだから使え、そのままだと足ケガするぞ」
「あ、ありがとうございます…」
「後、ここら辺は治安が悪いから俺からあまり離れるなよ」
「わかりました!」
クウは靴を履き、何故だか分からないが明るい表情をしながら俺に近寄って袖を掴んで来た、リーリエの時より離さまいと強く掴んでいる。
「袖を掴んでいいとは言ってないが…」
「だめ…ですか?」
窺うような目でこちらを見上げてきたクウは不安げに聞いてきた、小動物を思わせる表情ではあるが紫色の目の奥には意思が強そうな光を持っている、暗い道にも関わらず分かるとても綺麗な目はこれ以上俺の抵抗を遮るほどだった、諦めて呟いた。
「しかたないな…」
「これからどうするんですか?」
「馴染みの酒場へ行く、取り合えずそこで何があったか話してくれ」
「分かりました、付いていきますね!」
「付いていかなかったお前はどうするんだ…」
「それはそうでした、えへへ」
「置いていってもいいんだぞ」
「いやですよ!行かせてください」
2人はスラム街を抜け酒場ルタールへと戻った、中に入ると出た時とは違い一山過ぎた喧騒と料理や酒の匂いなどの名残が漂っていた。正面には残った数人と椅子に座って語り合っているオームドとカウンターでぼーっとグラスを磨いてるリズがおり、入ってすぐにリズと目が合うと明るい声をかけてきた。
「あ、おかえり!どうだったの!急いでたみたいだからあんまり聞けなかったけどアイルが女の子に酷いことしたらしいって店長が言いふらしてたよ」
「オームドの野郎…いや、俺も話を今から聞くとこだから飲み物二つ分頼む」
「二つ分?」
リズがそういうと俺の背後で小さくなっているクウに気付いた。
「ああ、了解、取り合えず奥が開いてるから座りなよ、私も一緒に聞いていい?」
「構わないかクウ?」
「はい、大丈夫です」
2人は奥のカウンター席へと座った、座るとすぐ二人の目の前にジョッキに入ったエールが運ばれてきた。
「おい、何でまた酒なんだよ、水とかでいいぞ」
「うちで酒以外の飲み物が出るわけないじゃない、はいかんぱーい、あなたもほら、乾杯」
「か、かんぱいです…」
「はぁ…乾杯」
リズの音頭で三人はエールを口にした、クウはおどおどとした様子だったがリズに押されゆっくりと飲み始めた、案外飲める口らしい。
「で、だ。結局クウはなんで俺のことを知っているんだ?どこかで会ったことあるのか?」
一口で半分ほど飲み切り一息ついてから聞いた、エールは時間がたったからなのか少し生暖かいがやっと一息付けた気分だ。
「えっと…実は私もあまり良くわかっていないんです…」
「分かっていない?」
「はい、実は…」
そう言ってクウは静かに語りだした、本人にとっても記憶があやふやなのか要点を得ない話し方だった、要約するとこうだ。
クウは目覚めたら洞窟の奥にある藁の上で眠っていたらしい、外傷は一切無く自分の名前は憶えていたが何故ここにいるのか、今まで何をしていたのか全く覚えていない。しかしアイルの名前と顔だけは覚えており、目覚めてから俺を探していたが見つからず途方に暮れているとリーリエの男に保護されて商会まで来たらしい。
話し終わるとクウは申し訳なさそうな目を向けてきた、だが何かひっかかる、顔と名前を憶えていただけにしては俺に対する感情が大きい気がする。こちらからも探りを入れてみよう。
「俺のことは昔から知っているのか?」
「いえ分かりません」
「年齢と出身は」
「それも分かりません」
「あの洞窟を知っているのか?」
「分かりません…」
そう言って俯くクウ、どうしたものかと思っているとカウンター越しで俺たちの会話を聞いていたリズが言った。
「こらアイル、あんまり女の子虐めないの、ごめんねクウちゃん、こいつあんまり気遣いが出来ない男なのよ、思い出せないものはしょうがないわよ」
「酷い言いようだな」
「事実でしょ、私にも気遣いの言葉なんてかけたことないじゃない、そんだけ顔が良いのにいつも端っこの席で不愛想に酒を飲むだけのくせに」
「顔の話はやめろ…」
俺はエールのあおると隣にいるクウが目を回していることに気付いた。
「おいクウ大丈夫か?」
「ら、らいじょうぶれす…へーきです…」
「全然平気そうじゃないが」
「らーいじょうぶですってばぁ!」
「アイルさぁ~ん」
そういうとクウはそのまま俺に向かって倒れこんで来た、慌てて姿勢を変え受け止めると汚い布からは似つかわしくない女性特有の柔らかい匂いが鼻腔を付いた。びっくりするくらい軽い体からは音が消え、静かな寝息が聞こえてきた。
「おいおい寝たぞ…酒弱かったのか…あんだけ一気に飲んでたのに」
「そのままお持ち帰りしちゃえば?」
「しねぇよ、外にでも転がしとけ」
「こんな寒い夜に外に放り出してたら風邪ひくわよ、さっさと連れて帰って寝させてあげなさい、一応アイルの知り合いなんでしょ」
「しかたないな…」
そう言って革袋から幾つかの数枚の銀貨をカウンターに置くと俺にしがみつくように寝ているクウを引きはがし背中に担ぎ、俺はルタールを後にした。
「また話聞かせてね」
寝息を立てるスウを背負い、ドアを開けると背後からからかうような声でリズが言ってきた、それを片手をあげて返し俺は酒で火照った体を優しく覚ますような春の訪れの風と共に夜の街へ消えていった。
顔が良い皮肉屋の男と不思議な美少女とちょっとダークなファンタジー 野良ねこ @Noranekonyan1129
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