『黒眼鏡の秘密』

龍宝

「黒眼鏡の秘密」




 少し前からプレシェントロートの森に降り出した雨はいまだ止む気配を見せず、むしろ徐々にその勢いを増している。

 冒険者の少女――ネルハリがそのことに気付いたのは、顔中に浴びた返り血を拭おうとした時だった。べたついた赤い液体を落とすのに手間取らなくて済むのは、現在彼女が置かれている状況では非常にありがたいことである。

 右から上がった奇声に、迷うことなく分厚い片手斧を叩きつける。苔むしたようにも見える緑色の肌をした人型の魔物が、持っていた棒切れごと真っ二つになった。これで、四体目。そう思った瞬間、左肩に衝撃を受ける。

「ネルハリっ⁉ 大丈夫か⁉」

 向き直った先に、粗削りな棍棒を振りかぶる魔物の醜悪な笑みが飛び込んできた。

たった今自分が片付けた一体は、陽動のために声を出したのだ。雨で視界が悪くなったところを狙われて、まんまと挟撃を見落とした。少女の頭蓋を収穫祭のかぼちゃのように叩き潰そうと迫る棍棒を睨んで、ネルハリはとっさに左腕を払った。

鈍い音がして、魔物の持っていた得物が弾け飛ぶ。呆気に取られて足を止めた隙を逃さず、お返しとばかりに少女の片手斧が相手の頭に打ち込まれた。

「さ、さすがだな……はは……」

 どしゃり、と倒れ伏した魔物を見てなにやらのたまっている――本来は自分の背中を守るのが役割の――冒険者仲間に返事をくれることなく、ネルハリは次の獲物を探すべく意識を切り替えた。

 いや、探すまでもない。顔を上げれば、自分たちをくず肉に変えようとこちらへ殺到する悪鬼の群れが一望できた。雨音に負けないほど張り上げられた甲高い威嚇に、周囲に散っていた味方が悲鳴を漏らす。

 二、三人は生きて帰れないかもしれない。

 ぼんやりと頭の片隅でそう思いながら、少女は雨で滑る斧を持ち直した。







 中級になるまで生きてたら、好きなだけ酒でも食い物でも奢ってやる。

 私が初めて臨時パーティを組んだ時に先輩冒険者のひとりがそう言ってくれた。依頼を終えて酒が入った状態での発言だったから、果たして彼が本気だったのかどうかは分からないが、約束した当人がすでに土の下で眠っている以上――護衛任務中に盗賊に殺されたと聞いた――守る気があったのだと信じるほかない。

 どうしてそんなことを思い出したのかというと、つい先日に私も中級冒険者として認められたのだ。十四でこの稼業を始めて、〝駆け出し〟やら〝新人〟の肩書き、それから初級冒険者の等級を更新するのに三年掛かった。そしてようやく、「冒険者」としてそれなりの評価を受けるようになった。

 至極単純な言い方をすれば、冒険者になるのに年齢は関係ない。現実的にどうかは置いておくとして、冒険者協会の規約を理解するだけの頭があれば、年端のいかない子供だってなれるし、あとはお迎えを待つばかりの腰の折れた老人だってなれる。犯罪者にすら、然るべき刑罰を受けた後なら――多少の条件はあるものの――協会は門戸を開いている。まァ、冒険者なんてやくざな稼業を選ぶ時点で、訳アリな連中が多くなるのは自然な流れだろうけども――。

 そんな雑多な連中の受け口である冒険者という生き方でも、やはり向き不向きがある。あァもちろん、その人の持っている運次第では冒険者として十分な実力がなくともそれなりの期間活動できるケースもあるだろう。だが、まともに生き残ろうとすれば、運だけでなく一芸が必要になってくる。何の強みもない者は、途中で死ぬ。

 その見分けになるのが、中級への昇格ということだ。ここまで冒険者を続けて来れたということは、少なくとも何かしらの力を持っているという証明であるし、それが分かっているから依頼を受ける際に条件として追記されたりもする。

 だから、何かの間違いってことはないだろうけど――

「――おめでとう。支部付き冒険者からの同行指名なんて、名誉なことよ」

 討伐依頼の報告で冒険者協会ダムハル支部に顔を出した私に、馴染みの受付嬢が普段よりも興奮した様子で言った。

 私はといえば、おそらくぽかんとしたまぬけ面を晒していることだろう。

「指名って……私だけ? 他のパーティと合同とかじゃ?」

「いいえ。単独指名よ。〝支部付き〟に回ってくるような依頼だもの。大所帯を送り込むのは逆に悪手だってことね」

「そりゃそうかもですけど。それで、なんで私になるんです?」

「本人に聞いてらっしゃいな。理由はなんであれ、受けるなら顔合わせするんだから」

 二階の部屋で待ってるわよ、と促されて指名書を受け取る。

「案外、顔が好みだったとかかも知れないわね」

 踵を返した私の背中に、受付嬢のからかうような声が飛んだ。

 返事代わりに肩を竦めて、支部のど真ん中にある大階段を上っていく。

 しかし、妙なことになったものだ。手渡された書類に目を遣る。

〝支部付き冒険者〟とは、文字通り冒険者協会の支部に常駐している冒険者のことだ。「本来は自由を信条とする連中がなぜ」と、この稼業に縁のない人は首を傾げるかもしれない。だが、これはこれで考えられた制度なのだ。

普段から荒事に慣れている冒険者であっても、先述の通り実力は人それぞれで、討伐や護衛依頼の中にはとても凡人の手に負えないようなものが時々出る。運良く手練れの中級や、人間離れした強さを発揮する上級の冒険者が居合わせてくれればいいが、片田舎の町にある支部ではそうもいかないことが大半だ。だから、あらかじめ腕の立つ連中を給金で囲い込み、有事に備えたのが〝支部付き〟制の始まりらしい。

 当然のことながら、中級に上がったばかりの私とは比較にならないような腕利きということになる。

「――やァ。待ってたよ、ネルハリくん」

 指定された部屋の出入り口を覗いた私に気付いて、ソファに腰掛けていた〝誰か〟が手を振ってくれた。

「指名、受けてくれるんだね? うれしいな。あ、ほら座って」

「は、はい」

 予想に反して、待っていたのは私より二、三ほど年長に見える女だった。どうしよう、知らない人だ。

 肩に届かないぐらいの短髪と長身、ハスキーな声に勘違いしそうだが、確かに女性。色気もある。ずいぶんと友好的な調子で歓迎の意を示す彼女に勧められるまま、向かいのソファに腰を下ろす。

「自己紹介しとこうか。ボクはアニカ。いちおう、ダムハル支部ここの所属だけど、そうなったのはつい最近だからね」

「ダムハル支部所属・中級冒険者、ネルハリです。初めまして」

 差し出された手を握り返す。

 合点がいった。これでも三年はこの町を拠点にしていたのだ。そういう事情なら、私の知らない支部付き冒険者がいてもおかしくはない。

「さっそくだけど、依頼の確認といこうか。……重傷を負って生還した冒険者の報告じゃ、ブレムスガウに向かう街道に魔物が大量発生してるらしい。いや、魔蟲と呼ぶべきかな? 大型で強力な虫型の魔物だそうだよ。その群れを、ボクとキミのふたりで討伐しに行こうってわけだね」

「たったふたりで、ですか?」

「うん。足手まといは要らないから」

「し、失礼ですけど――私は、この間中級に上がったばかりです。あなたに実力を見せてもいない。私が、足手まといになるとは思われないんですか?」

 依頼内容の深刻さに思わず聞き返した。というよりは、そもそも「どうして私を選んだのか」と問うたのだ。もったいぶるように、アニカが背もたれに身を預ける。

煙水晶だろうか、黒く染まったレンズの填まった眼鏡を掛けている彼女の表情からは、思惑が読み取れない。ので、すぐに断念した。気恥ずかしくなったのもある。私の人生でこれほどの美人――と思われる――と見つめ合った経験はなかったのだ。

「思わない。それどころか、キミしかいないと思ってるよ」

 たっぷりと沈黙を楽しんでから、アニカが言った。

「もうひとつ。ボクはキミの実力を見た上で指名したんだ。魔物の攻撃を受けても怯まずに反撃できる勇気とタフネスを評価してね」

「そ、れは……ありがとうございます……?」

 先日のプレシェントロートでの戦闘を見ていたのか? 一体どこから?

 疑問は湧いて出てきたが、立ち上がったアニカに気付いてそれ以上は考えないようにした。

「ボクたち、最高のコンビになれる気がするよ。――さっ、細かい打合せも兼ねて、親睦の夕食会に出向こうぜ」

「え、ええ⁉ 私は……‼」

 まだ受けるとは――

「もちろん、お酒もバンバン飲んでいいからね」

「……行きます」

 断るにしても、詳しい話を聞いてからじゃないと判断できないから。

 決して、酔った美人との夕食に釣られたわけじゃあない。絶対に。








 ダムハルとブレムスガウの町を結ぶ街道には、その途上で鬱蒼と生い茂る森を切り開いた地点がいくつかある。

 通商路である以上、人の手が入って整備されているとはいえ、周囲の森の奥から溢れ出てくる魔物や魔獣を完全に遮断できるわけもない。とくに突然変異やらで強力な魔物魔獣が発生したとなれば、近隣で定住している森番や猟師の手には余る事態だ。

「――お願いします。どうかお気をつけて」

 封鎖された街道の入り口で見張っていた森番のおじいさんに見送られて、アニカと私は報告にあった地点を目指す。

 ここに至るまでの道中や野営の間に、彼女とは打ち合わせを済ませている。要は役割分担だ。私が敵を引き付けて、集まってきたところをアニカが殲滅する。本職が魔術師らしいアニカと、片手斧と円盾を装備した私の組み合わせである。この陣形が正解だろう。というか、これしかできないのだ。

 恥ずかしながら、私の魔力による肉体強化は完璧じゃない。膂力パワー体力タフネスには自信があるが、速度や機敏性などといった方面にはとんとセンスがない。これも、私が選ばれたことへの疑問点だ。少数精鋭の討伐行とくれば、万能型の冒険者で固めるのが定石に決まっている。そう具申した私に、

「なんでもこなすやつがふたりいるより、一芸しかないやつがふたり揃った方が結局は上手くいくんだよ。その方が面白い」

 とアニカは笑って返すだけだった。

 不思議なひとだ。私は彼女をよく知らないまま、彼女は私のなにもかも知っていて、手のひらの上で弄ばれているような気さえしてくる。おかしな色気のせいか、飄々としてそれでいて人懐こいような彼女の雰囲気のせいか、それでも悪い気がしないのはわれながらどうかと思うけど――。

「――ほら、お出ましだぜ」

 隣から聞こえてきた声で、頭を切り替える。

 正面。私たちの行く手を塞ぐように、乗り合い馬車ほどもある大きな虫型の魔物が現れた。あえて近いものを挙げるとすれば、手足の肥大したカマキリだろうか。そこいらに生えている木々よりも太い鎌状の腕を振り上げて、威嚇の体勢を取っている。まともに振り下ろしを食らえば、私の身体なんて簡単に八つ裂きにされる未来しか見えない。

そんなのが、ぞろぞろ、ぞろぞろ、ぞろぞろ、と。街道の石畳みを埋め尽くす勢いで這い出てくるのだ。さすがに、得物を握る手に力が入った。

「――ッ⁉ アニカさん! 後ろからも!」

「……囲まれちゃったね」

 魔力による強化で鋭敏になった五感が、私たちの後方に回り込んだ新手の存在を告げる。

 前後から、魔蟲が翅(はね)を震わせる威圧が押し寄せてきた。衝撃波すら伴っているような音圧の牢獄から少しでもアニカを庇おうと、彼女の傍に近寄る。

周りの草木が、一斉に折れ曲がって悲鳴を上げていた。肉体強化のおかげで耐えられているものの、常人ならこれだけで死んでいてもおかしくない。予想以上の数と、個体能力だ。これほどの数を、火力役である魔術師を守りながら押し止めなければならないのか。汗がひと筋、頬を流れ落ちていった。

――死を覚悟して斧を振るわなければ、この包囲を抜け出すことはできない。

 ならば、せめてアニカだけは。

「アニカさん! 私が引き付けます! その間に――」

「――おっと、ちょうど近くに来てくれたんだ。ほら、キミはこっちだぜ」

 円盾を構えて飛び出そうとした私の首に腕を回して、アニカが抱き寄せてくる。

 予想外の力に踏ん張りが効かず胸元に倒れ込んでから、私が戸惑いと抗議の声を上げるよりも早く、彼女が黒眼鏡に指を掛けた。

「ネルくん。少しの間、動かないでね」

 頭上で聞こえた声を理解すると同時、世界が動きを止めた。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。あるいは、彼女が時を止める魔術でも使ったのかと思った。そうでないと気付いたのは、眼前に迫った魔蟲の色が、変わっていたからだ。

「これ、ぜんぶ……石になって……⁉」

 ほんの今まで、私たちの肉をむさぼろうといきり立っていた魔蟲だけではない。倒れた草木までが、すべて灰色の石に変わっている。ぴくりとも動かないで。

「驚いた? これが、キミを相棒に選んだ理由のひとつだよ。こうなった後に、一体ずつ壊して回るのは骨だからね」

 とっさに見上げれば、黒眼鏡を外した彼女と目が合った。

「あ、目が合ったら石になるとかじゃないから大丈夫だよ。黒眼鏡は、なんていうかただのパフォーマンスで、事情を知ってる人たちを警戒させないためのアイテムだから」

 ほら、キミの出番だよ。

 アニカに促されて、私も自分の仕事を思い出す。伊達に中級まで冒険者をやってきてはいないのだ。固まったままの魔蟲目掛けて片手斧を叩きつければ、あっけないほど簡単に崩れ落ちる。まともにやりあったら確実に死んでいたであろう討伐が、こうなるとただの作業になってしまった。数十体分を壊して回り、アニカの傍に戻る。

「ね? ボクたち、最高のコンビだって言ったでしょ?」

「アニカさんだけで十分だったのでは?」

「いやいや、言っとくけどそれめっちゃ固いからね。ネルくんは簡単に割ってたけど」

 それに、と彼女が続ける。

「――やっぱり、相棒にするなら相性が良くて、可愛い子がいいから」

 耳元で囁いたアニカを、思わず見上げる。

 色気の正体はこれか。受付嬢の冗談が現実になってしまった。

「……私もです」

 その後、私たちがダムハルの町にたどり着いたのが若干遅くなったのは、特に理由があるわけではない。絶対に。




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