メガネかけてよ橋口さん
壱ノ瀬和実
第1話
普段からおでこを出している
「ああ! 可愛い! 眼鏡可愛い!」と僕が心の中で叫んでいるなど、彼女は知る由もない。
しかしあれだ。本当に可愛いのだ。
異性になんて興味がないと思っていた僕が手放しで、世界を敵に回してもいいから彼女と結ばれたい、と思うほど可愛いのだ。
身長は高校二年生にしては小さめの百五十とちょっと。リアクションはいつも大ききめ、表情はアニメーションのようにころころ変わって可愛く、声は見た目の印象からすると意外に低い。髪は黒で長く、時々巻いてくるけど、それもまた可愛い。けれど僕が好きなのはストレートだ。究極可愛い。いつも髪を分けているため、つるつるのおでこがこれまたキュート。橋口海莉は右目の下に黒子があって、それがもうたまらなくキュンキュンさせられる。
お姉ちゃん気質で困っている人を放っておけず、教師も生徒も、町を歩く老人も子供もすぐに助ける優しさを持っている。
こちらが「ありがとう」と言うと、くしゃっと笑って「どういたしまして」と言う。可愛い。
そんな子が、だ。そんな子が、時々眼鏡を掛けてくるのだ。そりゃあ僕だって狂うさ。
だから思う。
もう少し眼鏡、高頻度で掛けてきてくれないかな!
だが困ったことに僕はそこまで橋口海莉と親しいわけではない。眼鏡姿が見たいんだと言えるような間柄ではないのだ!
ああもどかしい! 僕は明日にでも、いや今にでも眼鏡を掛けた橋口海莉を見たいのに!
僕は、策を弄することにした。
なんとかしてあの可愛い可愛い橋口海莉に眼鏡を掛けてもらうのだ。
作戦一、褒める。
「橋口さん、眼鏡可愛いね。似合ってるよ」と言ってみるのが良いのではないか。
すると橋口海莉は頬を染めながら、
「そうかなぁ。君が言うなら、明日も眼鏡、掛けちゃおうかな」
と言うに違いない!
しかしこれには二つ問題がある。
一つは、眼鏡が似合っていると褒めるためにはまず橋口海莉に眼鏡を掛けて来てもらわないといけないという点。もう一つは、そもそも僕は橋口海莉にそんな歯の浮いたことを言える人間ではないということである。
致命的!
では次の作戦を思案しよう。
作戦二、サブリミナル。
橋口海莉の視界にしつこいくらいに眼鏡を意識させるものを入れて、「明日は眼鏡掛けてこようかな」と思わせるのだ。眼鏡屋のチラシを橋口海莉の前で落としてみたり、僕が眼鏡を掛けてみたりしても良いだろう。
二つ問題がある。
橋口海莉に眼鏡を意識させるようなものが一体どんなものなのか、僕の足りない頭ではチラシ以外には思いつかないという点。そして僕はあまりにも眼鏡が似合わないというところにある。
却下!
作戦三、匿名。
正体を明かすことなく、彼女に「あなたの眼鏡姿が好きです」と手紙を書くのだ。
即座にストーカー扱いされ警戒されることだろう。
論外!
手詰まりである。
僕はあまりに可愛い彼女のあまりに可愛い眼鏡姿が見たいと望むだけの実に平凡で純粋な高校生であるから、策を労するには知恵も力も何もかも足りないのだ。
不甲斐ないことこの上ない。
妙案を思いつくこともなく放課後を迎え、人の少なくなった教室の隅でノートの端に眼鏡の絵を描いて過ごす残念極まりない時間の浪費は、己の無力さを痛感するには必要なものであったのだろう。校内に響くチャイムは僕を嘲笑って憚らない。
「
僕が一番大好きな声が聞こえた。
猫のように机の向こうからひょっこり顔を出して、橋口海莉はそこにいた。巻いた髪、ちゅるんとしたおでこ、涙ぼくろ。ああ、可愛い。
「なに描いてるの?」
彼女はポケットからケースを取りだし、そこから銀縁の丸眼鏡を取り出した。
「あ、眼鏡……」
「うん。コンタクト疲れちゃって、さっき外しちゃった」
眼鏡を掛けながら、はにかむように橋口海莉は笑う。
ああ! 神よ! 無宗教な僕を許してくれ神よ! この瞬間を与えたもうた神がどの国のどの宗教のどの神かは存ぜぬが、僕はあなたを信仰しよう!
「あれ? 佳純くん眼鏡の絵を描いてたの?」
「う、うん」
「なんで眼鏡? おもしろっ」
「特に理由は」あるけれども。
「好きなの? 眼鏡」
僕は頷いた。嘘ではなかった。本当は眼鏡が好きなんじゃなく、眼鏡を掛けた君が好きなだけなのだけれども。
橋口海莉は「ふーん」と言いながら、両手で自分の眼鏡を指差した。
「じゃあ、どう? わたしの眼鏡。銀色なの。形も丸くて可愛いよね」
目をぱっちり見開いて。橋口海莉はその可愛い顔で僕の両目を見つめていた。
僕は反射的に、
「うん。可愛い」と言ってしまった。
眼鏡が、じゃない。眼鏡を掛けた橋口海莉がとにかく可愛い。
「ほんと?」
「うん。可愛い」瞬発力と対応力が最低レベルの僕は同じ事しか言えなかった。
「そっかー。へへー」
手をコツンと頭に乗せて照れる橋口海莉は、可愛らしくもじもじしながら、
「じゃあ、明日も掛けてこようかなぁ……眼鏡」
「……え?」
「いやぁ、わたし褒められると嬉しくなっちゃうタイプだからさー。喜んでくれるなら掛けてこようかなーとか、思ったりして?」
「……嬉しい」
「嬉しい?」
「あ、いや、えっと。う、嬉しい」誤魔化すのが下手である。
「そっか。じゃあわたしも嬉しい」
夕暮れに映える銀縁眼鏡と、最強に可愛くなる橋口海莉。
彼女は立ち上がって、手で顔を仰ぎながら、
「照れちゃうね」と言う。
立っても小さくて可愛い。照れ方も可愛い。制服姿は世界一可愛い。宇宙がどんなに広くても彼女以上に可愛い人はいない。
「じゃ、じゃあね佳純くん」
橋口海莉は小さな手を小さく振って、にっこり笑顔で教室を出て行く。
「また明日ね」眼鏡をかちゃっと持ち上げながら、そう言い残して。
「ま、また、明日」彼女には聞こえていないのに、僕はそう言った。明日も会えるという当たり前に心から感謝をしながら言った。そう言えた瞬間、心臓の鼓動が跳ね上がった。
「……っていうか、僕のこと、名前で呼んでくれるの?」
僕は橋口海莉が好きだ。
可愛すぎて、可愛すぎて、他に言い表せられないくらい好きだ。
眼鏡がなくたって好きだ。眼鏡があればもっと好きだ。
優しいところもお茶目なところも、照れ屋さんなところも、僕なんかに話しかけてくれるところも全部。
それと、もっと言うなら、ストレートヘアーの橋口海莉は最強だと思っている。
だから――。
「ストレートヘアーが好きなの? って聞いてきてくれないかな」
そう呟きながら僕はノートの端に、丸い眼鏡を掛けた、黒髪ストレートの少女を描いた。
「ああ、眼鏡姿、今日も最高に可愛かったなぁ」
誰もいないのを良いことにそんな恥ずかしいことを口にしてしまう。
その瞬間、廊下から物音がした気がするが、まあ気にしないでおこう。
僕が橋口海莉に抱いた想いに比べれば、些細なことである!
メガネかけてよ橋口さん 壱ノ瀬和実 @nagomi-jam
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