本編

――季節は6月

中旬を過ぎる頃には梅雨が明けて、少しずつ気温が上がり始めた初夏の夕べ。

少し気が早いせみたちが伴侶を見つけ、命を繋ぐ為に必死で唄う。

風が緑を感じる草の匂いを運び、黄昏時の太陽は辺りを濃いオレンジへと染め上げる。


僕の名前は熊谷智之くまがや ともゆき、中学2年生。

7月に開催される陸上大会に向けて神社の石段を往復していた。

いわゆる自主トレーニングというヤツだ。

好敵手ライバルたちに勝ちたいという欲望を糧に体をいじめていた。


鳥取県米子市、広大な田畑が広がるこの場所が僕の故郷だ。

僕の実家のある「彦名町」という場所に、周囲の風景と異彩を放つ丸い山がある。

その山は不思議にも年中変わる事無く緑が生い茂り、木々が枯れるというのを知らないんじゃないかと子供ながらに思っていた。


その山の名前は粟嶋あわしまと呼び、山頂に建つ小さな本殿は地名の由来にもなっている「少彦名命スクナヒコナノミコト様」が祭られている。

地元では「粟嶋あわしま神社」という何の捻りも無い名前で有名な場所だ。


この神社は夏祭りの開催地や、年始には初詣の参拝者で賑わう場所だ。

標高は38メートル、そして187段もある石階段が山頂へと続いている。

この微妙に長い階段は僕のお気に入りのトレーニングスポットだった。


ある日、石段10往復を目標に額に汗を流しながら登り降りしていた時の事だった。

登り階段の中腹に少女の姿が見えた。

ショートボブの髪をかき上げた彼女と目が合う。

急に胸の奥にとらえようもない郷愁が湧き上がる。

何故か僕は倒れるように意識を失った。


その瞬間、周囲が暗転したかのようにまたたき雰囲気が変化した。

一瞬、闇の奥に凄く小さな美しい少年の姿が見えた。


――気が付くと、そこは廃屋と見間違うような民家だった。

目の前には生まれたての子供が母親に抱かれ泣いていた。

僕は何が起きているのか分からず混乱した。

・・・そして、自分が誰なのか何をしていたのか思い出せない。


意を決して、僕は目の前の母親に声をかけてみた。

しかし、反応が返って来ることは無かった。

聞こえて無いのかと思い、何度も話しかけるが一向に気付く気配は無かった。

どうやら僕の姿が見えて無いし、声も届かないようだ。


しばらくすると父親らしき人が帰ってきた。

仲睦まじい夫婦は、小さな子供をあやしながら楽し気に話をしていた。


それから長い時間、僕は目の前の家族の暮らしを眺めていた。

僕が話し掛けても気付かないし、体に触ろうとしても陽炎のようにすり抜ける。

自分が何者なのかも分からないし、この家から出る事もできない。

ただただ、部屋の隅で家族の生活を眺めるだけの日々が過ぎて行った。


部屋の隅に座り続けて何年になっただろう。

小さかった子供は大きくなり、やがて親と歩いて外で遊べるようにまでなった。

発見した事と言えば成長した子供は女の子で、僕の行動半径がその子に引っ張られているという事だった。


女の子は親から「おしず」と呼ばれ、たいそう可愛がられていた。

漁師の父親の釣った魚を売る事で生計を立て、貧しいながらも慎ましやかに暮らしているようだった。


時々女の子と目が合い、僕の方をジッと見つめて来る事があった。

彼女に話し掛けてみるがキョトンとしたまま僕を見つめるだけだった。

もしかしたら見えてるけど声が聞こえないのだろうか?

僕はわらにもすがる思いで、身振り手振りをしながら彼女に話しかけた。

結局、彼女と会話をする事は叶わなかった。


いつしか僕は何かしようと足掻く事を諦めた。

ただ家族の日常を眺めるだけ、此方から干渉する事が出来ないから仕方が無い。


月日が流れ、彼女の母親が病に倒れた。

貧しい暮らしの家族が薬を買うお金も無く、あっさりと母親は亡くなった。

しずは父親の胸で泣いていた。

僕はただ無感情に目の前で流れる風景を眺めている感覚になっていた。

喜怒哀楽と呼べる感情は薄れ、やがて消えていった。。


更に月日が流れ、おしずは僕の年齢を越えて綺麗な女性へと成長していた。

そんなある日、出先から酔って帰った父親をおしずが介抱していた。

父親の懐から小さな包みが落ちた。

いつものお土産だと思ったおしずは嬉しそうな顔をしてその肉を調理して食べた。


翌朝、急な高熱を出したおしずは父親に介抱されていた。

昨日食べた肉が原因なんだと村の医者に父親が叫んでいた。

・・・このままおしずは死ぬのだろうか?

彼女が死んだら僕は彼女から離れて自由に動き回れるようになるのだろうか?

そんな疑問が僕の中に生まれた。


しかし、翌日には彼女の熱も下がり顔色も元に戻っていた。

それどころか、髪はあでやかになり、肌の血色は以前と比べ物にならない程良くなっていた。

そして驚いた事に、彼女は僕の存在に気付いたのだ。


「あなたは・・・誰?」


目が合って直接その問いを聞いた時に、失ったと思った感情が一気に溢れて涙となって止めどなく流れ落ちた。

彼女は狼狽うろたえながら、必死に僕をなだめてくれた。

嬉しかった、ずっと孤独の中にいた僕を見つけてくれた事が・・・。

そして言葉を交わせる事が、どんなに尊い事か身を持って知った。


それから長い時間、彼女と話をした。

生まれてからずっと眺めていた彼女は、数えで18歳になったと言う。

僕は自分の記憶が無い事、そして今までずっと傍にいた事を話した。

自分という存在は何なのだろうか、その疑問が晴れる事は無かった。


「きっと守り神様なんだよ。」


彼女は僕の事を守り神様だと言った。

守護霊とかそういった類の感じだろうか?


2人で話していると、父親が漁から帰ってきた。

しずは僕の事を説明するが、僕を見る事のできない父親には全く相手にされなかった。

むしろ熱で頭がおかしくなったのではないかと心配されていた。


彼女と話せるようになってからは、少しだけ楽しい日々が続いた。

人前では話せないけれど、2人だけの時にはいっぱい話しをした。


――更に月日が流れた。


毎日漁に出ていた父親は足腰が悪くなり、寝て過ごす事が多くなった。

髪は白く染まり、日焼けした肌には年輪のようなしわが目立っていた。

確実なる老いが訪れていた。


しかし、おしずは何故か成長が止まり老いる事が無くなっていた。

美しい容姿の彼女はよわい40歳を越えても嫁の貰い手は見つからなかった。

・・・それには理由があった。


18歳の時に彼女が高熱をわずらう前夜に食べた肉が原因だった。

その日、父親は龍神リンゴン講という神事に参加した時に「人魚の肉」と呼ばれる幻の珍味を主催者に振舞われた。

人魚の肉を食べると"不老不死"になるという噂があった。

しかし皆気味悪がって食べる事無く懐に入れて持ち帰り、海へと捨てたそうだ。

酔っていた父親だけが懐にいれたまま持ち帰り、おしずが口にした。

その事は翌日医者の口から村中に広がり、そして今に至るようだ。


18歳の容姿で成長の止まった彼女は、陰で村人から気味悪がられ誰も近寄ろうとしなかったのだ。

ある日、今度は父親が病に倒れ、そして翌日あっけなくこの世を去った。

独りになったおしずは毎日毎日泣き崩れた。


僕はそんな彼女に話しかけて、慰める事しか出来なかった。

集落全体から疎まれていた彼女は村八分のような境遇に追いやられ、誰も助けてはくれなかった。

噂通り、彼女は数日間何も食べなくても空腹にならないと言っていた。

しかし約1ヶ月、何も食べない生活をしていた彼女はついに倒れてしまった。

僕の憶測だけれど、"不老"ではあるけれど"不死"では無さそうだ。


僕は生きる事を諦めかけていた彼女を励まし続けた。

なんとか立ち直った彼女は田畑を耕し野菜を育て、海で魚を取りなんとか生活を続けて行った。

子供の頃一緒に遊んだ友人はおろか、知り合いと呼べる人々は全員亡くなり、やがてはその孫までもこの世を去って行った。

もうこの世に彼女を知る者は僕しかいない。

僕は、そんな彼女の笑顔を絶やすまいと話し続けた。


200年、300年、400年、500年、600年・・・

幾つも日が昇り、そして沈んで行く。

悠久とも呼べる時の中で、変わる事の無い孤独な生活を続ける。

いくさが起きた事もあった。

しかし、不思議と彼女の周囲に被害が及ぶ事は無かった。

そして、数えるのも馬鹿らしくなるくらいの月日が経って行った。

そんなある日、彼女は微笑みながらこう言った。


「私ね、守り神様がいてくれて良かった・・・」


彼女は急に神妙な顔で僕にそんな言葉を投げかけた。

そして昨日見た夢の話をし始めた。


「この地域を統べる神様が40日後に常世の国へと旅立つんだって・・・その時に、私を一緒に連れて行ってくれるんだって。」


彼女は穏やかな顔で僕に微笑む。

そして、尚も話しを続ける。


「・・・私ね、一緒に行こうと思う。」


僕は今の彼女の気持ちが痛い程分かった。

この地に降り立った時に誰にも気付かれる事無く過ごした孤独な時間。

それを知っていたからだ。


「うん、分かった。僕も一緒に行くよ。」


僕がそう言うと彼女は嬉しそうに笑って、そして泣いた。


――次の日、彼女は村中を回って挨拶をした。

当然、彼女は気味悪がられ挨拶すらも嫌がられた。

それでも彼女は1軒1軒、家を訪ね挨拶をした。


僕は彼女の後ろを漂うように引っ張られて進む。

そして着いたその場所に、なんだか懐かしい気持ちが湧き上がった。

緑の生い茂る半円型の山だった。


粟嶋あわしま神社だ。」


その時、僕は全てを思い出す。

僕はここで自主トレーニングをしていた。

そして気を失って、この不思議な世界に迷い込んだ。

現世での13年の記憶と、この幻のような世界での800年以上の記憶。

その全てが鮮明に浮かんできた。


「おしず、僕自分の名前を思い出した。熊谷智之くまがや ともゆきって言うんだ。」

「クマガヤ、トモユキ?それが守り神様の名前なんだ。思い出せて良かったね。」


彼女はそう言って笑った。


藪の中を進み、目の前の小山の麓を目指す。

周囲には沼が多く、彼女は何度も足を取られていた。

目の前に広がる光景は現世で見る夢のような儚さを感じる。


「長い夢か・・・5億年ボタンみたいだな。」


僕は昔友人から聞いた漫画の話を思い出し呟いた。


「何、それ?」


しずが聞き慣れない言葉に興味をしめした。

僕は5億年ボタンの話を要点を纏めて、簡単に話した。

何もない空間で5億年の時を過ごす、現世に戻った時にその時の記憶は消えている。

それは無かった事と同じと言えるのだろうか?

僕はこの時代の人間じゃない、もし現代に戻れたら今の記憶も消えるのだろうか?

曖昧な形で存在する僕と800年の孤独を背負う彼女。

彼女はただ一言「・・・似てるね。」と言った。


そんな話をしながら歩いていると、山の麓にぽっかりと開いた洞窟が見えた。

そして小さな洞窟へといざなわれるように入って行った。

入口は狭く湿気が強いその洞窟は、比較的浅かった。


彼女は白装束に着替え、そして祈りを捧げた。

夜が更け、そして朝日が昇る。

洞窟に朝日が造る一筋の線が掛かる時、彼女は仏壇から持ち出した鐘を鳴らす。


洞窟内に小さく短い余韻が響く。

僕は後ろからその光景を眺め続けていた。

その鐘の音が40回を鳴り終えると、彼女はその場に崩れ倒れた。


そして奇跡のような出来事を目の当たりにする。

彼女の体から光の玉のような物が浮かび上り、そして人の形へと変化していく。

その姿は紛れもなく、おしずだった。


彼女は自分の体を不思議そうに眺め、そして僕に笑い掛けて手を伸ばす。

なんと、その手を掴む事が出来たのだ。

その時、何かに体が引っ張られるような感覚を覚えた。


目の前が暗転する。

気が付くと、そこは粟嶋あわしま神社の山頂にいた。

そして目の前には粟の穂を編んで造られた船があった。

僕達は手を繋いだままその船に乗ると、そのまま光に包まれた。

その光の中で遠い昔に逢った美しい少年の姿を見た。


――目を覚ますと、目の前に同級生の顔があった。

ショートボブの女の子は、心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。


「うわっ!?」


僕が驚いて跳ね起きると、彼女もつられて驚く。

どうやら僕は自主トレーニング中に倒れて気を失ったらしい。


ぼんやりと覚えているけど、凄くリアルな夢だった・・・。


「なんだか、凄く長い夢を見てたような気がする。」


僕がそう呟いた時、ふいに彼女が笑顔で問いかけてきた。


「長い夢かぁ・・・そうそう、熊谷くまがや君"5億年ボタン"って知ってる?」


そう言った彼女の顔が、夢で見た女性と重なって見えた。

理由は分からないけれど、僕は嬉しくて涙が溢れた。

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年百八ダンユアトョジノカ 剣之あつおみ @kenno_atuomi

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