見たくないものは見なくていい眼鏡
ronre
👓
君の前には今、見たくないものは見なくていい眼鏡がある。
ユートピア社から発売された、今年発売の最新モデルだ。
……少しばかり高かったが、君にはこれを買う理由があった。
👓
医療の進歩によって数年前から人類は、わずか数千円の日帰り手術だけで、視力の完全回復が安全に出来るようになった。人々は視力の低下という病から解き放たれ、視力を補正するための眼鏡というデバイスの需要は、大暴落してしまった。
一方で科学技術の進歩は目覚ましく、眼鏡のフレームの形と重さを守ったまま高性能のCPUやスピーカーをそこへ搭載し、レンズに拡張現実(AR)を映し出すことなんて今や簡単だし、
脳との電子的な連動ロジックは完成へと至り、デバイスの操作は思考だけで出来るようになった。
AIは君より数段賢くなって、君の目に映る全ての物理存在の名称とその成り立ちを、零コンマ数秒以内の処理で君に説明することができる。
自然と、眼鏡と言うデバイスは視界の「補佐」から、視界の「脚色」へとその用途を変えていった。
最初は方向音痴の人々のための行先指示を、衛星との連動でディスプレイ表示するところからだった。
君は方向音痴なところがあったから、これだけでも大分喜んでいたけれど、この程度の機能は今ではデフォルトだ。
スマートフォンやゲーム機・パソコンとの連携、仮想ディスプレイの拡張、するする進んで、徐々に本体の性能だけでインターネットやVRゲームが出来るようになり、そう時間の経たないうちに、人類はまるで異世界のような視界を眼鏡のレンズ越しに作れるようになった。
自らが見る世界を自らの手で定義できるようになった人類は、それを自分の都合の良いように進化させていく。言語翻訳機能やアラート機能など、生活を助ける機能が矢継ぎ早に増えて行き、視界に入ったお店の情報を即座に調べられるようになったかと思えば、その先にある商品棚をも透かせて見れるようになった。なんてことはない、店内カメラと商品情報からの仮想生成だ。
コレクター気質な君は――お店に入らずとも商品の有無が判断できるようになって、自らの目で一品を探す喜びを失ってしまったから、少しばかり、寂しい感覚を味わったかもしれない。
だけど、便利なことが一つ出来るようになれば、世界はその方向へとアップデートされる。
それは何人たりとも止めることのできない、知性を持つ生き物の特権であり、業でもあるのだろうね。
視界から得られるものを全て得られるようになった人類は、次に情報の取捨選択を求めた。
どれだけ情報の量が増えていこうとも、急に脳の容量の上限が解放されるわけじゃない。
記憶領域なんかは外付け化を進めているけれど、その引き出しを開けて中を見る君の眼は二つしかないし、見たものから何かを感じる君の心は一つしかない。
情報速度と情報効率を上げすぎた人類は、その情報をいつか処理しきれなくなり、情報中毒に陥ってしまう。体感時間を操作するデバイスでも作られて時間の概念を掌握でもできれば、また別なのだろうけれど、人類はまだそこまでは到達できていない。では、どうするか。
例えばまだインターネットで画面越しにしか世界が繋がっていなかった時代には、文字のやり取りを行うSNSが活発だった。そこには色々な人類がひしめいていて、文字情報の相互干渉を繰り替えしていた。ディスプレイ越しの画面の中、情報の洪水が起こっていた。
さえずりが、うねる波を作るその世界には、すぐにブロック機能やミュートワードが生まれた。気に入らない情報の発信者との繋がりをシャットアウトする。嫌な気分になる文字列をそもそも表示させないようにする。見たいものだけを見て、見たくないものは視界から消す機能。人々が自らの心と脳を守るためには、そういう機能が必要だったんだ。
ここでようやく今君の目の前にある、その眼鏡の登場だ。
その眼鏡は、視界で先ほどのブロックやミュートと、同じことができる。
君は、見たくないものをその眼鏡に登録できる。君が念じるだけで記憶されるから、すごく単純で簡単な作業だ。
そして――登録したものが視界に入っても、それは君には見えない。
代わりに何が見えるかの種類やレベルはAIが判断してくれる。
完全に消えても差し支えないものは、消滅させて、そこに空いた穴は周りの風景からAIが勝手に補完するだろう。見たくないポスターや雑誌、視界にすら入れたくない文字なんかがある場合は、そういう処理になるはずだ。
あるいは、別のものに置き換わっても問題ないようなものは、置き換えになるかもしれない。それこそ君が行きづらくなってしまったあの店なんかは、絶対に入ることのない古民家にでも置き替わっていた方が、意識しなくて済むだろうね。
ただし、うっかり車なんかを視界から完全に消してしまったら事故の元だから、そういったものはモザイク処理だけにされるだろう。まあ車が見たくないほど嫌いな人は、レアケースかもしれないけれど、動くものは基本的には、変な処理をしすぎると危険だ。
普段会話をするような人付き合いのある人を完全に消してしまうのも危険だ。顔はモザイク処理をしてもいいし、ちょっと設定すればその外見をアニメ調の可愛い女の子にでも置き換えて、声や話の内容だって、柔らかいものへと変換することができる。
物だけじゃない。概念だって登録できる。
喧嘩を見たくなければその喧噪は見えなくなり、暴言や誹謗の声は、スピーカーで相殺して聞こえなくなる。耳障りな説教はそこから学ぶべきことだけが説話として脳へ刻まれ、君は心を強く傷つけることがなくなるだろう。
見ない、というのは、視界の話だけではない。ウェアラブルデバイスとして進化し続けた眼鏡が言う「見ない」という行為は、そのことについて考えるとっかかりをなくすことと同義だ。
人類の格差も広がった。
君が歩くときに少しでも路地裏へ入れば、眼鏡を買えない人たちが、粗悪な幻覚剤で眼鏡と同じ世界を見ようと、ゾンビのように歩く姿が、嫌でも目に入るだろう。毎日のニュースでは紛争や内戦の話が必ず一回は出るし、自分の世界に酔ったお節介焼きの善人たちは、街頭で君の好きじゃない世界をいつも押し付けようとしてくる。それらだって、全て消すことが出来る。
そうして完全に自分に都合の良い世界へ、人類は辿り着くことが出来るようになった。
さあ、君は、何を消す?
まず、最初に、何を登録する?
君の世界に、今この瞬間、何が一番不要なんだ?
……君は、頭の中で念じる。
👓
だいすきだった もうあえない あなた
を、登録しました。
👓
そう――それでいい。
世界から脱落した僕の姿が、電子幽霊として視界の端に見え続けて、先ほどまでのように語りかけている状態は、君にとって健全な状態とは呼べない。
これは、明らかなバグなのだから、文明の利器を以て消すのが正しい選択だ。
大丈夫だ。何も君の心のストレージから完全に消えるわけじゃない。
ただ、強い未練が見せるこの幻覚と幻聴が、君のこれからの生活に支障を与えないように、少しばかり補正されるだけだ。
未来は開かれている。
人類の理想を描く力と、そこへたどり着くために歩みを止めない執念は、君たちの世界を進化させ続けることを止めない。
もうその未来へたどり着けない僕はここに置いて行き、君は新たな人生を歩む時だ。
叶えたい願いは、伝えたい想いは、貫きたい信念は、探せばいくらでも君の中に見つかる。
そこへ行かない理由として使われるのを、僕が嫌がることを、君はよく知っているだろう。
だから、ここで、さよならだ。
それでも。
それでもどうしてもまた僕に会いたいときが来たら、君はその眼鏡を外せばいい。
眼鏡を外す、それだけでいい。
たったそれだけで、君の記憶領域から、シナプスの迷路を通り抜けて、零コンマ数秒以内にきっと、僕は君の目の前に現れる。現れて、愚痴でもなんでも聞いて見せる。
君を抱きしめることだけは、おそらく出来ないだろうけどね。
――じゃあ、また会わないことを祈っているよ。
大好きだった、いや――僕が今でも大好きな、君。
(了)
見たくないものは見なくていい眼鏡 ronre @6n0
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