ムネメ1986―瓶底の先に広がる世界―

gaction9969

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 小さい頃から目が悪く、小学校入ってしばらくするともう黒板に書かれた赤チョークの文字がほとんど視えなくなっていたわけでして。ファミコンを買ってもらえなかった家庭であったのに、視力はどんどん下がっていったわけですな。「視力矯正」なんていう今思うとうさん臭さしか無い、今でいうVRゴーグルのようなものをかけさせられて、上下左右に点滅する赤い光を目で追えとかいう、逆に目悪くなりそうな治療とかも受けさせられたものの当然良くなるはずも無く、眼鏡、という選択肢に落ち着くのはごく自然な流れではありましたものの。


 当時、眼鏡をかけている子供というのは珍しかったわけでして。マイノリティーだったわけです。「メガネマン」という安易なあだ名をつけられるほどには、五十人クラスでひとりかふたりくらいしかいない程度の存在だったわけです。


 しかも学年学期の途中からいきなり様変わりクラスチェンジをするわけで、そういうのに敏感な周りの子供からはいじられる、という事が火を見るより明らかであり、そういった目立つことは極力避けたいおとなしく消極的だった私は「学校で眼鏡をかける」ということが「学校のトイレで大をする」ことよりも何か気恥ずかしかったのですな。なので親から話の行っていた担任の先生に促されても、なかなかかけるということをしなかった。それでも先生からしたらかけさせないといけないわけで、ついつい声を荒げてしまい、周りからの注目は否応上がる。そんな中で遂にもう泣きそうになりながらかけさせられたわけですが、おお、とかいう何の興奮か分からないけれど興奮気味の歓声に包まれたわけでございます。


 まあ反応リアクションはそこまでのものでも無かったと。まあ当たり前ですが。「意外と似合う」とか何が意外かは分からなかったのですがそのような評価を受け、順応性も高い子供たちはそれっきりで、私も黒板がよく視えて最初は少し感動、でもすぐ慣れた、であっさり馴染んでいったわけでございます。そんなありきたりな思い出ではありますが、妙に頭の奥底には鮮明に残っているわけでして。


 いま振り返ってみると、小学校六年間と中学の一年間の七年間だけ。中二からは急激にイキり始めてコンタクトに変えるというありがちなムーブでそのまま今に至るのですが、連続装用可能なハードだったとは言え、二週間くらいつけっぱなしで生活して、それを十年くらい使用し続けたという第二の角膜を移植したんじゃないかくらいの脅威の体験もあるのですが、それはまた別の話でありまして、ともかく。


 ……ひんやりとしたガラスレンズの先に視える世界が、輪郭がくっきりとしている以上に眩しく色鮮やかに見えていたのは、少年の頃だったから、かも知れませんなぁ。


(了)

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