砂漠でメガネをかけるべきか

イルスバアン

砂漠でメガネをかけるべきか


 砂漠を歩くのに、メガネは邪魔だった。


 どこまでいっても似た風景。

 目印となる建物や木なんてものはなく、大きな砂山でさえ当気づけば形を変えている。

 それをレンズ越しに見つめても道なんて見えず、強い日差しばかりが瞳に飛び込んで火傷しそうになる。

 一人彷徨い歩きながら、メガネを胸元にしまった。

 陽炎で揺れていた風景が更にぼやけて、ついに世界は輪郭を失い、夢の中を歩かされている気分になった。


 こんなことが起きるだなんて思わなかった、といえば噓になる。

 わざわざアフリカに一人旅しようと思ったのも、未知への冒険がしたかったからだ。

 慣れない土地に行くのだから、ハプニングだって当然起きるとは思っていた。

 それでも先人たちの旅先での苦労話を、自分がガイドに金目のものを奪われて砂漠に置き去りにされるまで、どこか他人事だと思っていたのだ。


 未開の地のことを知ろうと飛び込んだのは、視野を広げるためだった。

 汗を掻いているのに、服は濡れる前に熱で乾いていく。

 足元に小さいモノがぶつかる。それは何かの生物だったらしく、股下を慌ててかけぬけていった。

 乾いた空気が痛い。砂が音を吸収し、自分の歩く音しか聞こえない。

 こんな砂漠を歩く感覚は、自ら勇んで旅をしなければ得られなかった知見だ。

 百聞は一見に如かずというけれど、ここではただいるだけで、見識が増えていく。


 だが、増えていく見識とは逆に、僕は歩きながら自分の盲目さを痛感していく。

 好奇心や興奮に身を任せたせいで、いくつかの予兆があったというのにそれを無視し、結局こうして砂漠の真ん中で死にかけている。

 砂山の頂上に上り詰めて周囲をみたけれど、街もオアシスも見当たらない。


 ふぅ、と溜め息を吐いた。


 いくら代わり映えのない世界だとしても、やっぱりメガネはかけるべきだ。

 自暴自棄になってはいけない。

 例え何一つ変化や予兆に気付けなかった僕だけど、最後の最後である今からでも、道をしっかり見据えることはできる。


 砂をぬぐい、

 耳元の髪を払ってツルを差し込み、

 鼻上にフレームの重みを感じながら僕は前を見た。




 ほうら、やっぱりモノが見えるということは素晴らしいことだ。




 輝くレンズの先には、

 すぐ近くを歩くラクダ乗りたちの姿があった。

 日陰を通っていたせいで、今まで見えなかったらしい。


 僕が叫びながら山を下ると、こちらに気付いて手を振り返してくれた。


 ハッキリと見える彼らの二つのコブの丸みは、僕のメガネの輪郭とよく似ていた。



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