お菊と石田

上馬祥

皿屋敷

貞享二年。旗本青山某の屋敷で奉公する下女お菊は、青山家伝来の品である唐物の皿を割ってしまった。


「堪忍しておくんなまし」


怒る青山はお菊の中指を切り落として、土蔵へと追い込み、


「皿が戻るか、指が生えたら出してやろう」


折檻する。

耐えかねたお菊は隙を見て逃げ出し、


「待て、逃がさぬぞ」

「お赦しください」


屋敷の裏にある古井戸へ身を投げた。

それからというもの、夜ごと井戸から声がする。


「ひとつ……ふたつ……」


家中に箝口令かんこうれいが敷かれるも、人の口に戸は立てられぬもの。

噂はまたたく間に江戸中へと広がった。



これを聞きつけた石田という旗本、


「捨て置けぬ」


なにを思ったか家宝の皿を風呂敷に包んで家を飛び出した。


「どこいくんだい!?」


カマキリのような顔をした女房が呼び止めるも、


「困っているものがおるのだ!」


一目散に青山の屋敷へ駆けてゆく。


菩薩ぼさつの石田の異名をとるこの男は、カマキリがこさえた間男の子ども三人を素知らぬ顔で自らの子として育てるような無類のお人好しである。


(待っておれ)


見ず知らずの下女であろうと放ってはおけぬ性分なのであった。



さて青山邸。夜。

この日もお菊の霊があらわれ、


「ひとつ……ふたつ……」と数える。


家人が恐れおののき布団に籠る中、


「ここのつ……。ああ、一枚足りない!」

「ここにござる」


石田はひとり片膝をついて皿を差しだした。

月光に映ゆる白磁の皿。

まごうことなき名品である。が、


「ふんっ!」


お菊は受け取るや膝でぱりんと割ってしまった。


「なにをする!」


皿が欲しくて嘆いているのではない。

青山が憎くて化けているのだ。


「一枚足らんわ!」


そう吐き捨て、再び井戸へと身を隠した。

呆然とする石田。が、これで引き下がる世話焼きではない。



翌日。

今日も今日とてお菊は数を数える。


「ひとつ……ふたつ……」


傍らに石田。この日は黒い皿を抱えている。

桂から削りだし漆を塗った木の皿。昨日のとは比ぶべくもないが、お菊のため丹念にこしらえた真心の品である。


「ここのつ……。ああ、一枚足りない!」

「ここにござる」


的を射んと祈る与一のように、石田はお菊の成仏を一心に願った。が、


「ふんっ!」


またしてもお菊は皿を割ってしまった。


「そ、そんな」


捨てられた皿の破片を拾い上げる石田にお菊は鋭い眼光を飛ばす。


(少しは見どころのある男かと思ったが……)


このようなチンケな器で満たされるような易い霊ではない。

ふんっと鼻を鳴らして井戸へと帰っていった。


たたずむ石田。しかしこの程度で諦める男ではなかった。



翌日。


(今日も来ておるな)


石田は日が沈む前から庭にてお菊を待つ。

留侯のごとき忍耐強さには感じ入るところもあるが、


「ひとつ……ふたつ……」


そのような情でほだされる恨みではない。


「ここのつ……。ああ、一枚足りない!」


お菊は高らかに告げる。


(どうだ小僧。参ったか?)


ちらり石田を見ると、手に皿――。


(ま、まさか?!)


鈍く輝くそれは――。


「ここにござる」


見事なはがねの皿。 虎徹と銘がある。

長曽祢虎徹、と言えば音に聞こえた名工。

堀川国広に並び称される作刀の横綱ではないか。

女とはいえ、その名にはお菊も覚えがある。


皿を持つ手が震える。

生半なことではなかったであろう、刀工に皿を鍛えさせるなど。

その苦労は察するに余りある。

が、お菊が戦慄するところはそこではない。


(ム、ムリだ……!)


鉄の皿。これは割りようがない。


「いかがなされた?」


石田がにやり笑う。


(うぬぬぅ!)


お菊の青白い面が憤怒で紅潮する。

負けてしまうのか? こんなお節介に屈してしまうのか?


「ご満足いただけましたかな?」


石田。なんと憎たらしい。両頬が盛りあがり、歯茎をのぞかせている!


「調子に乗るなぁぁぁ!!」


お菊は膝を皿に叩きつけた。

ぐしゃっ、と音がする。

皿は――、傷一つない!


(さすが虎徹!)


石田は飛びあがって喜んだ。


「これで未練はありますまい。ささっ、成仏なされよ」


が、


「くっくっくっ……」


笑っている。お菊は苦悶しながらも、勝ち誇っている!


「ま、まさか……」


皿ではない! 見るべきはお菊の膝。うっ血し腫れあがる患部は、間違いない。


「膝の皿を割ったか!?」


そう人体にも皿はあるのだ!


「ひっ、ひえ~~~~~~」


執念、いや怨念であろうか。


「一枚、足りない!!」


皿屋敷のお菊ここにあり!


(見たか。我が業の深さを)


ひっくり返る石田。

と、懐からなにかが転げ落ちた。

鈍く光るそれは――。


(あ、あああ――?!)


皿。こんなこともあろうかと用意してあった予備の鉄皿!


こひゅ~~~~~~~~~!


お菊の気管支が壊れた笛のように鳴る。

膝の痛みが稲妻のごとく全身を貫く。

耐え切れず尻もちをついた。


(ど、どうする?)


皿。残るもう一方の膝とを見比べる。

石田も固唾をのんで見つめている!

ふたりの激しい呼吸が夜へ呑まれ――暁。じき日が昇る。


(ええい、毒を食らわば皿までよ!)


意を決したお菊は皿を――。



ある日の酒場。


「おい、聞いてくれ」

「どうした?」


町人らが酒を手に話し込んでいる。


「見たんだ」

「なにを?」

「なにをって、お菊だよ」

「おお、どうだった?」


噂に尾ひれがつき、お菊はすこぶる美人という話になって見物客が絶えない。


「それがよ。井戸から出てくるんだが、這いつくばったまま一向に立ち上がらない。ついぞ顔を拝めなかった」

「へえ、ずいぶんと慎み深いじゃねえか。そそられるぜ」


この世に未練たらしい様を恥じているのか?


「いや、それがどうも違うんだよ」

「どう違うんだ?」

「なんていうか、痛めているような」

「なにを?」

「脚さ。たぶんひざが悪いんじゃねえかな」

「へえ、幽霊ってのは脚が悪いのか」


そうして、また尾ひれが伸びていくのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お菊と石田 上馬祥 @KamiumaSyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ