第31話 メガネの弱点 3

あたしと紅美花は部屋に入ってからも、腕を絡ませあって、お互いに体を寄せ合いながら肩と頬をくっつけて横並びに座っていた。


「対策はできるとはいえ、どうにかして紅美花のこと元に戻させないとね」

「いいわよ。あたし一人でなんとかするから、舞音は何もしないでよね」


話す度に、紅美花の柔らかい頬の感触が直に伝わってきて、少し話しにくかった。2人で頬までくっつけながら横に並んで会話をしている姿は、多分客観的に見たら滑稽だと思う。


「ねえ、彼女のこともうちょっと頼って欲しいんだけど。あたしのこと寂しい思いさせるのが、紅美花のしたいことなの?」

あたしが頬を膨らませると、紅美花の頬がプニっと動く。


「……わかったわよ。無理のない範囲で助けてくれたら嬉しいわ」

諦めたようにとはいえ、紅美花が納得してくれたから、やる気がみなぎってくる。


「よし! じゃあ、紅美花を元に戻すために頑張るね!」

「あくまでも、無理のない範囲で、しか許可しないわよ」

「大丈夫、無理なくいくよ!」

「大丈夫かしら……」


紅美花が不安そうにあたしの太ももの上に置いていた手のひらの上に、手を重ねてくる。そして、そんな不安なことを考えないように、気を紛らわせるみたいに、あたしの人差し指、中指、薬指と適当な順番で弄くり回していた。


「とりあえず、珠洲なのは、確定しているから、あたしが直接文句を言って――」

そう言った瞬間、紅美花があたしの薬指をギュッと掴んだ。


「ダメ! 舞音は珠洲の視界に入らないで!」

「え?」

「視界に入ったら、好感度いじられちゃうじゃないの! せめて舞音はあたしのことを考えてよ! ずっとずーっとあたし一人舞音のこと愛してたんだから、今度は舞音があたしを愛して!」


紅美花は姿勢を変えて、おでこをくっつけてきた。あたしのことをジッと見つめられる場所に移る。


「近くない?」

「視界を舞音で満たしたいのよ。他のことは考えられないくらい、五感を全部舞音にしたい」


真正面から、横坐りをしていたあたしの膝の上に、紅美花がお尻を乗せた。そして、ギュッと首元に手を回して抱きしめてくる。


「重いんだけど……」

「失礼じゃないかしら?」

「いや、体重が重いっていうんじゃなくて……、その……、ごめん」


なんとか別の失礼にならなさそうな理由も考えたけれど、思いつかなかった。ごめん、紅美花はスタイルは良いけど、背が高くて、胸も大きいから、ちょっとだけ重い……。


「認めないでよ!」

紅美花がムッとしながら、あたしの頬をギュッと両方向から手のひらで押さえた。勝手に口を窄めさせられる。


「や、やめてよぉ」

「舞音が意地悪なこと言うんだもん。わたしがこんなに困ってるって言うのに!」

「ご、ごめんってば!」

「許さないわ。わたし、体重重いの気にしてるのに!」


「だって、紅美花は背もおっぱいも大きいんだから、あたしよりも重くても仕方ないじゃん」

「また言った!」

紅美花が不機嫌そうに言う。


「ご、ごめんってば。機嫌直してよぉ!」

「あたしの言うこと聞いてくれたら機嫌直すわ」

「何させるつもり?」


あたしが尋ねると、紅美花が一瞬視線を下に逸らしてから、自分の鼻先を人差し指で触って、言いづらそうに口を開いた。


「舐めて欲しいの」

「えっ……?」

「舐めてって言ってるのよ……」

紅美花が少しずつ声を小さくしながら頼み込んできた。


「鼻を?」

「そう。舞音の匂い、わたしにしっかり覚えさせて。離れていてもメガネに負けないように、わたしに舞音の全てを染み込ませて」

紅美花は真剣だった。


「わかったよ……」

紅美花の形の整った綺麗な鼻に舌先を近づけた。


鼻柱からゆっくりと上に向かって舌を這わせる。ツンと形の良い鼻尖に向けてわたしが舐めている間、紅美花があたしの背中を撫でてくれていた。紅美花の呼吸が舌に触れて、ほんのり冷たい。


そうして、舐めあげた後に、そっと鼻先を唇で挟んでみた。紅美花の綺麗な高い鼻にあたしの前歯が当たる。


「これで満足してくれた?」

「ありがと。ちゃんと覚えておくわ、舞音の匂い」


紅美花はあたしのことをギュッと抱きしめてきた。そのまま、紅美花があたしの首元に鼻先をくっつけて、また嗅いできた。必死にあたしの匂いを覚えこむみたいに。


大丈夫かな。変な臭いしていないだろうか……。


「そんなに嗅いでくるんだったら、香水でもつけてきたらよかった」

「それじゃあ意味ないわ。わたしは舞音の匂いをしっかり覚えておきたいの」


鼻先の位置を変えるたびに、紅美花の髪の毛があたしの頬や鼻をくすぐるから、その度にこそばゆい感触と、爽やかな匂いが鼻腔をくすぐる。大好きな紅美花の匂いをあたしも嗅がせてもらえている。


「クリスマス、絶対に紅美花と一緒にデートするから。それも、ちゃんとあたしのことを思ってくれている紅美花とね。だから、絶対に今週中に解決するよ」

「できなかったらクリスマスは一緒に過ごしてくれないの?」


寂しそうに紅美花が尋ねてくる。泣きそうな声出さないで欲しいけれど、逆の立場なら、あたしもやっぱり泣きそうな声を出すんだろうな。


「できなかったら、罰としてクリスマスはずっと紅美花があたしのことを考えてしまうように、抱きしめ合いながら外を歩く」

「何それ、ただのご褒美じゃないの」

紅美花の口からご褒美なんて言葉が出るのが、ちょっと面白かった。


「ご褒美じゃないよ。歩きにくいからいっぱい転ぶと思うし、みんなから変な目で見られる。それに何より、あたしを見てくれない紅美花と一緒にデートをするのは、あたしが悲しい」

「最初の2つは良いけど、最後の1つは嫌だわ。じゃあ、やっぱり今週中に解決するしかないわね」

紅美花がフッと息を吐いた。吐息の音が耳の下あたりからしっかりと聞こえてくる。


なんとか早く解決策を見つけたかったけれど、あたしの頭脳じゃ残念ながら良いアイデアは浮かばなさそう。だから、思い切って紅美花に伝えた。


「あたし、やっぱり珠洲のところ行って、説得しようと思う」

「だから、それじゃあ舞音の数値が……」

「なら、紅美花も一緒に来てよ。体密着させてたら大丈夫なんでしょ? そしたらあたしも紅美花もお互いのことを好きでいられるし、命令も受け入れなくて済むでしょ?」


「そうかもしれないけど……。もし、舞音も好感度を弄られたら嫌すぎるわ。だって、体を離した瞬間に、わたしも舞音も珠洲のことが好きになっちゃうんでしょ?」

「そうなったら、ずっと離れなかったら良いよ。ずっと一緒にくっついて、ご飯食べる時も、お風呂に入る時も、寝る時もずっと一緒にいたら良いじゃん。そしたら、ずっとお互いを好き同士でいられるよ」

あたしは真面目に言ったのに、紅美花がフフッと笑った。


「何よそれ……。生活し辛そうね」

「そうだね、動きにくそう」

「なんで他人事みたいに言うのよ」

紅美花は呆れたように笑ってから、頷いた。


「でも、そうするしかないわね。クリスマスも近づいてきてるし、さっさと解決しちゃいましょう」

あたしたちは覚悟を決めた。


それからも、しばらくの間抱きしめ合いながら紅美花の気持ちが珠洲にいってしまわないように、同じ部屋で吐息の音を聞きながら過ごしたのだった。

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