第29話 メガネの弱点 1

真沢さんの好意に甘えて、廊下を走って紅美花を探してみたけれど、今どこにいるのかはわからなかった。


「どうしよ……」


教室にはいなかったから、とりあえず下足室に行って靴を確認する。紅美花のローファーはまだあるから、校内にはいるみたい。でも、うちの学校広いし、一体どこで何をしているのかの見当はつかなかった。


「どこ探したら良いんだろうなぁ」

ため息をついてから、校舎の出入り口の方を見ると、人が立っていた。馴染み深い人影だったから、「あ」と思わず声が出てしまった。小柄で長めの黒髪少女は凛菜だった。


凛菜は最近あたしのことを避けてるっぽいから、ちょっと気まずい。あたしは慌てて背中を向けようとしたけれど、あっさりバレてしまい、声をかけられる。


「ねえ、なんで逃げるの? やましいことでもあるわけ?」

仲が良かった頃の凛菜のものとは違う、冷たい声だった。あたしは思わず背筋を正してしまう。


「いや、別に逃げたわけじゃないよ……」

恐る恐る凛菜の方を見て、無理やり作り笑いをした。


頭上の数値はもちろん見えないけれど、前に見た5という数値を思い出す。話しかけるのも怖かったけれど、恐る恐る口を開く。


「あ、あのさ……」

紅美花を見なかったか聞こうと思ったけれど、それより先に凛菜が声をかけてくる。


「あんた、斉藤に告られたんでしょ?」

「え、うん……」

予想外の質問。凛菜にそんなこと聞かれるとは思わなかったし、なんで凛菜がそれを知っているのかもわからなかった。


紅美花が喋ったとか? ……いや、紅美花に限ってそんなことは絶対にないと思うから、別の理由なんだろうな。


確かにいろいろあってすっかり影が薄くなっているけれど、紅美花と付き合えるようになる前に、斉藤くんに告白された事実はある。


「けど、それがどうしたの?」

「斉藤になんかしたの?」


凛菜が腕を組んで怒っているけれど、当然何も心当たりなんてない。校舎裏に行くまで誰に告白されたかすらわからない状態だったのだから。


「何かって……?」


色仕掛けとか? 紅美花みたいなメリハリのある体型の美少女ならともかく、素材そのままのあたしに掛けられる色はないよ?


「あんたさ、好感度操作できるメガネ使ってたんでしょ?」

「え……」


なんで凛菜が知ってるんだろ。その疑問について考える間も無く、凛菜が続けた。

「それ使って、斉藤の好感度操作して下げたってことだよね?」

わたしはノータイムで思いっきり首を横に振った。


「してない、してない! してないし、そもそもその時は好感度操作する方法なんて知らなかったし!」

あたしは引き続き、思いっきり首を横に振り続けた。


「そもそも斉藤くんの好感度操作して、振るとかサイコパスすぎるでしょ!! あたしには紅美花っていう大事な子がいるのに、変なこと言わないでよ!」

あたしが本気で苛立った声を出すと、凛菜が怪訝な表情をこちらに向けてくる。


「で、でも……、じゃあ……」

そう言ってから、凛菜が眉間に皺を寄せた。


「斉藤はわたしと付き合って、たった数日であんたに告白した浮気性な男ってこと……?」

あたしはまったく話についていけていないのに、凛菜が勝手に納得していく。


「待って、まず斉藤くんって、凛菜の彼氏だったの……?」

「そうだけど……」


そっか、そうなのか……。あたしのこと好きなの男子のことをあっさり振ってしまった罪悪感が飛び去ってしまった。凛菜と付き合いながら、あたしに告白するなんて、ダメじゃん。むしろ振って良かったのかも。


「でも、なんでメガネのこと知ってるの……?」

「だって、あんたたち好感度がどうとかメガネかけて話してたじゃん」


「そういう話はしてはいたけど……。でも、普通信じる……?」

まあ、即メガネの効果を信じたあたしが言えることじゃないけれど。

「わたしも初めは信じてなかったよ。でも、珠洲が同じやつ持ってたから、見せてもらって納得したんだ」


珠洲が同じの持ってた……? 非常に引っかかる言葉が凛菜の口から飛び出した。


「えっと……。珠洲はいつから持ってたの?」

「今朝持ってきてた。まあ、さすがにあんたたちみたいに教室内でメガネ使ってはしゃいだりはしなかったけど。こっそり見せてくれたんだよね」


つまり、今紅美花の好感度を弄ることができるのは珠洲ってことか。紅美花に意地悪していた人物の正体は、思ったよりも身近な人だったみたいだ。


でも、安心はできない。むしろ、ちゃんと珠洲なりの正義の元で数値を弄っていそうなのが、逆に怖かった。あたしの呼吸が少しずつ荒くなっていると、凛菜は不安そうに尋ねてくる。


「ねえ、てかほんとに斉藤の数値弄ってないわけ?」

「弄ってないよ。さっきも言ったけど、人の好感度上げさせて、それでわざわざ振るなんて、ヤバい子じゃないから!」


あたしが答えると、凛菜が大きくため息をついて、「そっか……」と呟いた。そして、トボトボ去っていった。


なんだかとっても落ち込んでいるけれど、どうしたんだろうか。凛菜のことも心配ではあるけれど、それより今は紅美花だ。


「どこ行ったんだろ……」

探そうとした時に紅美花が俯きながら重たそうな足取りで歩いてるのを見つけた。


「あっ、紅美花……! って、今はあたしと話せないんだっけ」

話しかけてから思い出したけれど、紅美花は首を横に振る。


「一応無視の命令は解いてもらったわ……」

紅美花が疲れたように微笑んだ。その笑顔の引き攣りようが、まったく問題解決は解決していないことを伝えてくれていた。


「珠洲に意地悪されてるの?」

一瞬驚いたような表情をした紅美花だけど、その質問には何も答えてくれなかった。まだ口封じをされているのかも知れない。代わりに静かにあたしのことを見つめてきた。


「舞音のこと、大好きなのに……」

紅美花は嘆くように呟いた。

「ねえ、珠洲に好感度操作されてるんだよね?」

尋ねても、紅美花は答えてくれない。


「ねえっ!」ともう一度聞こうとした瞬間に紅美花の唇があたしの唇に触れた。突然のことすぎて、思わず目を見開いてしまっていた。ソッと閉じたれた紅美花の瞳から伸びるまつ毛が触れてしまいそうなくらい近い。


塞がれた口からは何の言葉も出せなくなった。学校の下足室に、誰も来ないことを信じながら、ただ静かに紅美花の気が収まるのを待った。そうして紅美花の口が離れてから言われる。


「これ以上首を突っ込んできたら、喋れなくなるようにずーーーっとキスし続けるから」

「それ、嬉しいだけだよ?」

あたしの答えを聞いて、紅美花が少し恥ずかしそうに俯いた。


「いずれにしても、舞音にはこの件には変に関わってほしくないのよ……」

「あたしは紅美花が苦しんでる姿これ以上見たくないよ……」

そう言うと、紅美花が苦笑いをした。


「これはわたしのエゴなのだけどね、舞音が好感度操作をされて、わたし以外の人に心揺らいでいるところを見たくないのよ。わたしは舞音以外の人のことを考えさせられているのに、舞音にだけ強要するのは自分勝手で不公平なのはわかっているわ。でも、たとえメガネの効果でも、わたし以外のひとを愛してほしくないの……」


ゆっくりとした瞬きで紅美花の長いまつ毛が揺れた。寒い風が校内にも入ってきて、体が冷える。


「本当にどうしようもなくなったら、みっともなくても舞音のことを頼るわ。だから、わたしから言えることは、舞音に珠洲の視界に入ってほしくないってことくらいかしらね。舞音がわたしのことを愛してさえくれたら、わたしはどんなことだって平気だから」


紅美花が綺麗な鼻筋の通った横顔を見せながら、下駄箱からローファーを取り出した。雑に落とさずに、静かに床に置いたローファーに足を入れていく。あたしより紅美花の方が冷静そうだな……。


「わかったよ……」と一応答えておいた。

わかんないけど、理解するしかないんだろうな……。あたしが諦めてため息をついたら、紅美花が「ところで……」と切り出す。


「吐いた……?」

「え……?」

「なんかさっきのキス酸っぱかったわよ……」

あたしと紅美花は黙って見つめあった。


「……ごめん」

申し訳なさそうに謝るあたしを見て、紅美花が呆れたように笑ったのだった。

「今すぐ口濯いできなさい」

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