とん太のめがね

いととふゆ

とん太のめがね

 朝の通勤路でとんぼを見つけた。

 ふと、童謡の「とんぼのめがね」が頭に流れる。

 とん太のめがねは……普通のめがねだ。

 僕はいたって普通……つまらない人間だ。

 何の印象も与えられず、「おとなしい人」で片づけられてしまう。

 夕暮れでもないのに切なくなってきた……。


 ちなみに「とん太」というのはめがねをかけ始めた小五の時、付けられたあだ名だ。中学生になっても小学校時代からの友達がそう呼ぶから、クラスの男子には浸透してとん太と呼ばれていた。

 僕の名前の「しょう」が「」となったわけだ。


 今は二十五歳。もう僕のことを「とん太」と呼ぶ人間はいない。SNSをやっていない僕につながっている友達はいない。


 いいわけっぽくなってしまった。SNSをしてなくても、友達とはつながれる。つまり、誰も僕を必要としていないのだ。


 仕事帰り、スーパーに寄り、値引き品ばかりの惣菜が入ったレジ袋を下げて一人夜道を歩く。

 とん太のめがねは……まっくろめがねだ。暗闇を歩いているから。


「とん太!!」

 すれ違いざまに、女の人が叫ぶ。つい振り返ってしまった。僕のわけがないのに。

 だが、目が合ったその女性は……。

「トーコ……!」

 中一の時のクラスメイトだ。

「良かったー……。やっぱり、とん太! 変わってないね」

 変わってない……。今の僕にはグサリときた。


 

 彼女の名前はしょう

 中一の時、席が隣になった彼女は僕に言った。

「君が『とん太』なら私は『とん子』だね」

 ……とん太とん子って。それじゃあ、お笑いコンビだ。

「トーコのがいいんじゃね」

 その会話を聞いていた女子が「トーコかわいいじゃん。トーコって呼ぶね!」とはしゃぎ、クラスの女子と俺は翔子のことをトーコと呼ぶようになった。

 そして、僕のことをとん太と呼ぶ女子はトーコだけだった。


 トーコと話すようになったおかげで、彼女の友達とも話すようになった。だけど、トーコが一番話しやすいし、気が合うと思っていた。


 だけど、トーコは春休みに、中二になる前に転校してしまった。

 転校しなくても、同じクラスになれなかったもしれないが、廊下で会えばトーコは話しかけてくれるに違いない。

 トーコがそばにいなければ、他の女子と話せない。僕は口数が少なくなっていった。


 ――それからだろうか。自分が何のとりえもないつまらない人間だと感じるようになったのは。

 中二、中三でクラス替えがあると、僕のことを名字で呼ぶ奴が多くなった。高校生になると、とん太と呼んでいた友達からも名字で呼ばれるようになった。


 トーコが転校しなければ、楽しい期間はもっと長かっただろう。自分がつまらない人間だと気づくこともなかったかもしれない。



 そして、今、目の前にトーコがいる。こんなに久しぶりなのに、俺だと確信していたわけではないのに声をかけてくれた。


「トーコも変わってないな」

 すると、トーコはうれしそうに笑って、言った。

「元気だった? 仕事帰り?」

 お互いの近況を簡単に話し終わると、沈黙ができた。

 ……そういえば、俺からトーコに話しかけたことはあっただろうか。

「あの、よかったら連絡先教えて。今度ゆっくりご飯食べに行かない?」

 僕は勇気を出して言った。



「私たちさ、名前だけじゃなくて雰囲気も似てるって友達から言われてたよ」

「僕も似たようなこと言われたことある。どうせ、陰では地味カップルとか言われてたんだろ」

「ちょっと、地味って!」

「カップルは否定しないんだ?」


 あれから、週に一回、僕たちは会っている。

 今日も食事を終えてもおしゃべりが止まらない。


 僕はつまらない人間。だけど今、目の前にいるひとは笑ってくれている。


「私、視力悪くなってきてさ。今度めがね買いに付き合って! どこで買ってるの? とん太のめがねみたいなのがいいな」

「なんで? 丸い流行ってるのにすればいいじゃん」

「私たち、名前も雰囲気も似てるなら、顔も似せなきゃ!」

「なんでだよ」

「もうっ、夫婦は顔が似てるっていうじゃん」

 夫婦……? 僕たちが?


「あっ、とんぼ!」

 トーコはごまかすように窓の外を指差した。

(完)





 


 

 

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